酒井邦嘉『科学者という仕事』【基礎教養部】[20211107]
実は、今回800字書評として上げたものの前に私の中ではいい感じに書けた800字書評が存在していたのですが,あまりに自己主張が強い文章になってしまったため丸々書き直したという経緯があります.そのボツ案をここで供養します.
ボツ書評
皆さんの身近に「科学」はあるだろうか.極端に原始的な環境でない限り,もちろん答えはYESであろう.現代の文明は科学のもたらす恩恵ありきで成り立っているからだ.それでは,皆さんの身近に「科学者」はいるだろうか.こちらの答えはYESとは言い切れないだろう.科学のもたらす結果を享受するのに,科学者と生身で触れ合うことは必須ではないためである.さらに言えば,その結果の背後にある過程を理解することさえ,一般市民には全く必要ない.現に私もこの文章が液晶画面に映し出される仕組みを何一つ理解していない.科学が世界中で“採用”されているのは,このように「過程」と「結果」を分断することに成功したためである.しかしその一方で,一般市民は「頑張ればその過程も納得いく形で理解できる」とも信じている.我々は科学の営みを丸ごと信仰するよう教育を施されたため,この過程と結果の分断を意識して不安になることは少ない.こうした我々一般市民の「無知の無知」は日常への科学の浸透には役立ってきたものの,今まさにその分断に関する無知が科学の発展を妨げているように思うのは私だけだろうか.科学者にとって「研究費」は命であり,その研究費は「税金」に依拠する部分が大きい.そして税金の使い道を決めるのが「政治」であり,政治とは民主的に「結果」を追求する営みである.我々はつい「結果が出る研究に金を出すべきだ」と考えがちだが,思い出してほしい.「過程」と「結果」は分断されているのだから,短期的に起こる結果を予想し得ない基礎研究がごまんとあるはずなのだ.そしてそういった基礎研究のいくつかが,何十年何百年後の大きな結果の「過程」となるのだ.これは歴史が証明している事実であり,政治の主権たる我々の意識一つで大きく科学は進歩する.まずは我々と科学者の間の分断を意識し,その溝を少しでも埋めることから始めよう.本書がその足がかりとならんことを.
Hirotoはこのボツ書評の何を気に入っているのか
「過程」と「結果」の分断という概念がこのボツ案には何度も登場します.この概念は,次の二つの現象を統一的に捉えられるためとても都合がよかったです.
・我々一般市民の視点:科学のもたらす恩恵(結果)ばかり享受して,そこに至る過程を何一つ理解していない.科学が世界中を席巻したのは紛れもなくこの性質のおかげだが,我々は傲慢なのでその過程もその気になれば理解できると思っており,分断を意識することすらしていない.(科学技術による脱魔術化を信じているが,実質は一周回って魔術化している)
・科学者の視点:基礎研究(過程)を行っているときに,それが社会にもたらす結果を全て先回りして予想しておくことなどできようはずもない.
このような,「抽象することで無理やり同時に議論できる」概念を発見したときはワクワクしますね.
このワクワクは文章を書こうとしないと味わえないような気がするので,日頃からアウトプットの場としてnoteなどを利用できればと思います.
それと,後半の「研究費」→「税金」→「政治」→(「民主的」と)「結果」という連想ゲームの箇所は,トントン書けましたしトントン読めるので気持ちが良いですね.文章を読むのは視覚的(空間的)行いですが,このように強制的に脳内で発声させたくなるような文章を混ぜることで意図的に聴覚的(時間的)行いを誘発させ,少し読ませ方を操ることができるかもしれません.実際ここまで考えて書いた訳ではないですが,真の文章の達人はここまで(もしくはそれ以上に)読み手を意識しているのでしょう.少しでも達人に近づけるよう精進したいと思います.