ゴリラ日記 vol.01:フィードバック評価の重要性、ネット議論のお話
仕事が忙しいですね。最近これしか言ってない。コロナウイルス対応のため過剰な労働を強いられています。このnote記事を1000円に設定しておくので、誰か金銭面で助けてください―――って言うと、本当に買ってくれる人がいそうだからやめておきますね。安心無料ゴリラです。
さて。一般にに文章って書かない期間が長くなればなるほど、書けなくなります。実際わたしの場合、そこそこ真面目に書くとして、前は2,000字/時間だったのが、今は1,000字/時間にまで落ちている感じです。こりゃいかん、くだらない日記でもいいから書く習慣をつけよう。前もこんなこと言ってたけど……。日記シリーズマガジンは前に立ち上げてたっけ? まあ今日からってことでいいです。
最近、ふとマシュー・サイドの『失敗の科学』を再読しました。この本はいまひとつ失敗から学習して次に繋げることが苦手な人類の習性を解き明かし、そうした習性がある上で、じゃあどうすればいいかを具体的な研究事例に基づいて分析・提言した本です。
ここのところ議論に興味のある若い学生さんのフォロワーが増えてきたので、この中からひとつ興味深いお話を紹介したいと思います。
紹介したいのは、フィードバック評価の仕組みを用意せずに何かやるのはいかにムダかという話です。言われてみれば当たり前なのですが、「当たり前」を感覚で終わらせず、実証データを押さえておくことが大事です。そうしておくと、ネット議論で「エビデンスは?」と詰め寄られた時にも対処できます。ある本が良書である条件のひとつに、参考文献リストがしっかりしていてトレーサビリティ(追跡性、出典を追いかけられるという意味)が確保されているというものがあります。これも学生さんは覚えておくといいいと思います。
フィードバック評価の大切さは以下の通り。元の論文まで読むとけっこう面白い話です。
職種によっては、訓練や経験が何の影響ももたらさないことが多いという。何ヵ月、ときには何年かけても、まったく向上しないのだ。たとえば心理療法士を対象にしたある調査では、免許を持つ「プロ」と研修生との間に治療効果の差は見られなかった。同様の研究結果は、大学入学審査員(入学希望者の勧誘・選考などを行う専門職)、企業の人事担当者、臨床心理士についても出ている。
ある職種では経験や訓練に大きな意味があり、ほかの職種ではまったく価値がない――。なぜ、こんなことが起こるのか?
ゴルフを例に考えてみよう。練習場で的に向かって打つときは、一回一回集中し、的の中心に近づくように少しずつ角度やストロークを調整していく。スポーツの練習は、基本的にこうした試行錯誤の連続だ。
しかしまったく同じ練習を暗闇の中でやっていたとしたらどうだろう?
『失敗の科学』(マシュー・サイド, 2016)Kindle版
「ある調査」とは、ダニエル・カーネマン氏とゲイリー・クライン氏が2006年に共同発表した研究報告です(論文リンク)。カーネマン氏のほうはノーベル賞受賞者で、ヒトの意思決定の仕組みや認知バイアス等についてさまざまな実験結果をもとに詳述した著書『ファスト&スロー』が有名です。これまた良書なので未読の人は買うといいと思います。(学生でお金がない場合は、図書館で探す、なかったら注文してみるのも手です)
マシュー・サイド氏がゴルフのたとえで的確に指摘した通り、「いまの俺は上手く打てたのか? それとも下手に打ってしまったのか?」が何らかの形でわからないと、「上達」という現象は基本的に起きません。というより、そもそも上達しているかどうかが分かりません。いわば、その基準がないわけですから当然です。
この話をネット議論に拡張すると、「負けた時に負けたと分かる仕組み」が何らか必要です。具体的には「私の主張であるAは、もし命題αが立証された場合は否定されるな~」とあらかじめ決めておくことです。上記の引用部分でいえば、「職種によらず、経験によってスキルは向上していく」というデータが出たら壊れます。あるいは「みっちり調べたら、大学入学審査員に関しては、経験による向上が見られた」などが示された場合でも、部分的にせよ壊れます。反証できる主張をする、さらに広く言えば、検証できる主張をするということが大事です。
ただ、ここにはちょっとした倒錯があります。元となるデータを提示する、そのデータに対する分析手法を明示する、分析結果から結論に至る論証プロセスをしっかり書く、もちろん出典も示しておく―――ということを真面目にやると、大量の「ツッコミどころ」が発生し、ネット議論的には主張が脆弱になります。
前にも述べたことがありますが、いわゆる理系の論文では世界的にIMRDCというフォーマットが規定されています。Introdction-Method-Results and Discussion-Conclusionというやつですね。日本語でいうと緒言・方法・結果と考察・結論です。(最後に参考文献リストすなわちReferenceがつくので、正確にはIMRDCRというべきかもしれない)
このフォーマットが広く採用されている理由は色々あるでしょうが、そのうちひとつには確実に「間違いをいかにバレやすくするか」という目的意識があります。たとえば出典を明記したら、「出典の論文と言ってることが違わないか?」は簡単にチェックされてしまいます。逆に出典を伏せておいて調べにくくしておけば、「著者の要約」と「出典の主張」の差は相対的にチェックすることが難しくなり、テキトーぶっこいてもバレない確率を上げられます。そう、新聞・テレビがよく使っている手法ですね。
「2019年にアメリカで行われた調査では……」って探せるかボケ。範囲広すぎるだろ。
学術的・知的な領域で重視されている、いわば「開示の原則」のような考え方は、「ネットケンカの勝ち方」とはまったく逆方向である点に、若い学生さんはご注意ください。論文方式の逆張りをすればするほど、ネットケンカ的には強いです。特に若いうちはそうした「強さ」に酔いしれてしまうことがしばしば起きます。隠さず言うなら私もそうでした。出典を秘匿する、元データを開示しない、分析方法を教えない、言質がとられないよう曖昧に主張する、はっきり目的や結論を書かない―――しかし、私はみなさんにそんな「ネットケンカ強者」を志向してほしくないと思っています。
これは必ずしも個人的な恨みではないです……って書くとウソくさいですが本当です。本当だってば。こそこそ悪口書かれてウザいなぁとか思ってないから!
というのも、このネットケンカ志向で最も大きな損をするのは本人だからです。知的領域から本当に締め出されます。大学院時代、研究室内ではもちろんのこと、国内外の学会やその後の懇親会でも色んな方と「議論」をさせていただきましたが、ネットケンカの典型的テクニックは、研究室・学会はもちろん、これらに比べると治安の悪い民間企業の会議でさえ通用しません。(まあ会議に関しては、ネットケンカとは別種の意地汚い技が必要になってくるのですが……)
日記なのでこのあたりで締めくくりに入りましょう。
議論に強くなるなら、もっとも脆弱に(もっともオープンに)主張する方法こそ採用しましょう。一見すると逆説的ですが、人生でずっと使えるスキルを培うことができます。
えーと、これで3000字くらい? やっぱり3時間くらいかかってしまった。精進します。