少数派
きっと最小限が良いのかもと思った時の話です。
私は、ものに溢れる生活が嫌でした。
親が片付けが苦手でものが捨てられない人でした。
親と何度対立したか分かりません。
それでもやはり嫌で親と何度も対立しました。
次第に自分のものを捨てる様になりました。
必要なのか分からなくなってくる時もありました。とりあえずものが捨てたくなる衝動に駆られ自分のものを捨てました。
捨てると部屋が綺麗になるので心が少しスカッとしました。
自分の部屋が無かった(母親の話によると8畳の半分が私の陣地でその半分が母親の陣地らしい)ので余計に不満が溜まると他人のものは捨てられないので自分のものを捨ててました。
正直…ものはあまり必要無いと思いました。
でも、親に私の理想を押し付けてたのかもしれません。
自分が親になんだかんだ依存してたのかもしれません。
私の思考が親ありきの考えになっていました。
他人を変えるのも難しいので親なら尚更難しいです…。
これからは自分で決めて自分の人生を歩んでいこうと思います。
彼と同棲した時に正直価値観が違ったらと不安になることがありました。
でも、似た価値観だったので安心しました。
彼もミニマルに暮らしたい人だったので良かったです。
ミニマルに生きると心の余裕が出来るように実感します。
ものは人を幸せにはしてくれない…。
本当にそうだと思います。
心が豊かなら質素な生活だって幸せに感じられます。
ものが人のエネルギーを吸い取るって私はあると思います。
ものを取っとくことも大切だと思いますが、ものを手放す事は自分や相手にとってもっと大切なことだと思います。
死ぬ時にいくら大切なものと感じててもそれは持ってはいけないからです。
いつからお金やものが無いと幸せになれない世の中になってしまったのか?
私は、哲学の本をよく読みますが、昔の人は、無いなら無いなりに別の方法を探して暮らしてたと思います。
それにもっと発展した方が良いなど一言も書いてありません。
憶測ですが、昔の方が心豊かに暮らしてたように感じます。
心が豊かに暮らせてたら世界はもっと平和になってると思います。
発展しすぎることにも自分は疑問を感じます。それって本当に必要なのかな?と。
環境を破壊してるならその選択は正しくないのかな?と。
失敗することにより、気づけることもありますが…。
成長すると言うことは、それに適応していかないといけなくなります。
誰でも適応出来るわけでは無いと思うのでそこから生きづらくなったりしてしまうのかな?とも感じます。
話がずれました。
私は定期的にものの整理をする様にしてます。
綺麗になると嬉しいからです。
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