雨の日は雨なりに -スマホで100日連続noteに挑戦day24-
雨ですねえ。
強行軍の出張を終え、腑抜けた感じの午後です。。。
もやもやしてたり、しんどい状況の身内の話を聞いて、雨の日は雨の日なりに、と感じつつ書いてます。タイトル画像は居心地良いカフェの入り口の地面^_^ 雨ですねえ。
雨の日は雨なりに、霧の日は霧なりに
いま自分がいる出先の街は、雨のせいで霞んで霧がかかった様になってます。
雨や霧、、、と考えながら記憶をたぐっていくと、学生時代の山岳サークルのことを思い出したので、差し支えなさそうなところをごく短く書いて、タイトルにつながるかどうか、書いてみます。
雨の日は雨の日なりのテンションや感覚で。霧の日は霧の日なりの記憶と感傷で、書いていけたらいいなあ、なんて。
霧の記憶、色あせない記憶
もう25年くらい前になると思いますが、学生時代に在籍していた山岳サークルで、夏山登山中、日本アルプスの燕岳(つばくろだけ)で、後輩が行方不明になり遭難、翌朝発見(テント場の崖下に滑落してました)、救助、一命取り止め、ヘリコプター搬送、首の骨が折れていたにもかかわらず、後遺症もなし、という衝撃的で、奇跡的な体験をしました。
上級生の側だった自分たちにとって、いま思い出しても胸がぎゅっとなるようなしんどい体験だったのですが、当人を翌日発見できて生還し、無事に快復したからこそ、の学生時代の思い出でもあります。
改めていろんな幸運と長野県警や山岳救助の方々、燕山荘のスタッフや搬送先の病院の皆さんに感謝の気持ちが湧いてきます。。。生きてて良かったなあ。。。元気になって良かったなあ。
そぼふる雨と、霧に霞む街並みを見ながら、どうしてあの時のことを思い出してるのか、というと、濃霧だったんですね。発見から救助、ヘリコプター搬送までの時間。そこがなんだか、つながった様です。
あの時、いろんな時間ギリギリで安全な場所まで大怪我している本人を大勢で必死で引き上げて、一刻も早く病院に!というとき、それまでの濃霧が嘘の様に晴れて、待機していたヘリコプターが飛べて、スピーディーに搬送できて、、、というドラマの1シーンのような場面を皆で体験しました。
25年前とは思えない鮮明な映像や画像が記憶に残っています。
霧が晴れていく瞬間や、雲の合間から青い空が見えた時のそらの光。印象的な自然現象が、記憶を色あせないのか、その時の状況や感情がそうさせるのか、わかりませんが、、、そんな感覚の鮮明な記憶イメージ、長い人生、いくつかありますねえ。。。
みなさんは、いかがですか?
生活に役に立つ、仕事に役に立つ、からの解放
書きながら自分が見つけたいものが少し見えてきたのですが、実利のないものを、今日は雨を眺めながら書きたいようです。
一個人の雨や霧にまつわる記憶なんて、一般社会にはあまり意味はありません。
多分自分は意味のあることを書きたいと思いながら、誰かの役に立ちたいと思って、日頃ブログ書いてる気がするのですが、、、
にもかかわらず今日そういうこと=実利のないこと、生活の役に立たないこと、を書いてるのは、雨の日は雨なりに、霧の日は霧なりに、というフレーズを読みながら、意味がなくてもいいのだ、書きたいことを書けばいいのだ、と思い始めているから、なのかも。
心に雨が降ってる時や、霧がかかっている時は
雨なりに霧なりに過ごせばいいんです。
人の役に立とうとか、
かっこいい自分でありたいとか
そゆことはいったん横に置いて、
雨モード、霧モードの自分を許して
思い出に浸る時間や
自分を慰める時間を
持てばいいんです。
なんか、そう感じたのです。
雨の日は雨なりに、霧の日は霧なりに。
自分の愛する大切なあなたに贈ります^_^
あなたは、雨の日や霧の日に、何を思い出しますか?
そして、探求はつづく。
カフェの狛犬?バリの神様?雨が似合いますな