“正解“の無い問いを生きる。話し合いながら【訪問看護ステーション開設70日目】
先日、がん末期の利用者さんの顛末についてチームで話し合う場面がありました。悩ましい状況で「何が正解なのかわからない」感じでしたが、多様な個性のチームで話し合って意見を出し合って、少しずつ我々の「目指すべき」「目指したい」形らしきものが見えてきて、さらにそれぞれの感覚や考え方を話して、ご本人達のニーズや意向を整理しました。
結果として、訪問診療の先生のおかげもあってご本人のリクエストに応じて“納得の上“で、段階が1つ先に進んだようです。訪問診療クリニックのナースさんとのコミュニケーションも円滑で、ここでも「話し合いながら」進めたのでした。まだまだプロセスは続きますが、よかったなあと感じています。
特にターミナルの利用者さんの場合、十人十色で人の数だけプロセスのパターンがあり、わかりやすい定番の“正解“はない、と先輩方から何度も聞いてきました。その現実を訪問看護師として生きています。
当事者になってみないとわからないことが多すぎて、ご本人はもちろん、ご本人の意向を支えるご家族の戸惑いや不安やプレッシャーは大きいのでした。
そのご家族全体に寄り添う事業者の責任は重いですが、ともに進む関係性が作れれば、頑張れる。そう思える体験でした。看護師として地域でやれることがあることの喜びとともに。
話し合う、という営みの簡単なようで奥の深い意味や価値に気づき始めています
訪問看護ステーション始めて、自分のできていないことに気付かされることが多いのですが、「話し合う」ということの意味の大きさについても再発見し、学び直しています。時間が限られるなかで、それでも納得いくまで話し合うことの大切さ。
人は話し合うことでしか、“正解が分かりにくい“または“正解のない“問いを生きることは難しいのかもしれません。自分の中での自問自答、ご家族との話し合い、チームの中での話し合い、チーム同士の話し合い。
ご家族連携も、地域連携も、チーム内連携も、全て「話し合い」でしか前に進まない。そこがうまくいかないとそれぞれが挫けたり、信頼できなくなったり、疑心暗鬼が先にあってしまって(正体のない、事実と異なる可能性のある「お化け」が育って)、ともに進めなくなってしまう。
話し合いっておそろしい
話し合いってすごいパワフル
話し合いって可能性に満ちてる
どれも本当だなあと感じています。
そして探求はつづく。
またまた登場。ご近所の事業所さんの看板娘さん^^。猫ちゃん達は答えのない問いを哲学的に生きているようにも見えるし、日向ぼっことかつおぶしのことしか考えてないようにも見える^^;愛くるしさの奥に、答えのない問いを生きる知恵を持ってるように思えて、ついつい頼ってしまうのでした。またこの子に会いに行こう〜^^。