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情報保障についてまた考えてみた〜弁えない私にできること

子どもたちの母校、、もっと言えば、夫の母校でもある地元小学校の開校50周年記念式典・祝賀会。
私は歴代PTA会長の1人なので、実行委員として参画。
今年度入ってから準備を進めて、昨日開催。
無事に終わって、やれやれという感じなのですが、今回、私は実行委員としての立場を利用して(笑)、ある提案してみました。今日はそのお話を。

50周年記念品の画像。記念誌、キャラクター焼印つきのどら焼き、エマージェンシーボトル、紺色トートバッグ。「大泉北小学校開校50周年記念実行委員会」の熨斗つき
実行委員として悩んだ末、決めた記念品たち

私は子どもたちが幼稚園、小学校時代、ほぼずっと何やしらの役員をやってました。
長年、町会長を務めてた父の血を引いているのだと思いますが、「聞こえないのに」という声もスルーして、多くの方のサポートを受けながら、父母会長やPTA会長までやっちゃってました。
そんな立場になると、自校他校の式典や行事に参加する機会もあるのですが、その際には、学校やPTAから手話通訳派遣を依頼してもらっていました。

練馬区では手話通訳の派遣は、「意思疎通支援事業」の一つになっています。

この事業を利用できる対象者として、練馬区では、
①練馬区在住の聴覚(言語)障害者
②聴覚障害者の団体や、聴覚障害者の参加が見込まれる団体(学校を含む)
としています。

これ、当たり前のようでいて、実は当たり前でないんです。
このような手話通訳派遣を利用できる対象者を①の在住聴覚障害者に限定している自治体がけっこうあるんです。
そうなると、例えば、私が他の区市の学校へ出前授業に行くとします。
学校が自分の自治体の手話通訳の派遣を申し込むと、「通訳を必要としている聴覚障害者(私)がうちの区(市)民ではないから派遣できない」となるのです。

まぁ、そのあたり、手話通訳が必要なのは本当に私だけなの?ってところになってしまい、私が音声言語ではわからないのと同じに、私の手話を生徒も先生も分からないわけで、、。私が、苦労して声を出してあげてるから、まるで手話通訳は私のためだけみたいに思ってるかもしれないけど、それなら、私、みなさんの言葉を音声認識で理解し、私は手話だけで喋りますよ!困るのは誰?」って言い返したいところで。

そのあたりのブチ切れ案件について語るとそれだけで日が暮れそうなので(今、深夜だけど)、、そーいう規約がある自治体があるということを知っていただくと、それと比べると練馬区は、聴覚障害者本人からの依頼だけでなく、聴覚障害者が参加する(見込み)の学校や団体、イベント運営者、、側からも依頼できるというところが、特筆ものだということが分かっていただけるかと。
これって、私は内容を理解できなくて困るけど、同じように主催者側は私に内容を伝えられなくて困る、だから、双方のために通訳が必要、ということなのだと思うのです。
当たり前なんだけど、そう銘打っている自治体が少ないことを考えると、やはりありがたい。

なので、これまで私は学校行事やPTA活動では、学校やPTAから依頼してもらってました。(個人の派遣依頼は回数制限もあるので、ありがたい)
ただ、そうやって学校やPTAが依頼する場合でも、結局は「私」のための通訳として手配され、私のそばで、私のためだけに通訳してもらっていました。その手話を必要とするのが私だけなので、しかたないといえばしかたない、当然といえば当然なのかもしれません。

でも、本当はそうではなく、聴覚障害者が参加する(可能性のある)その「行事・イベント」に手話通訳をつける、という形にしたいなぁ、とずっと思っていました。

だから今回、実行委員という立場を利用して(笑)、提案してみたのです、私のそばについてもらうのではなく、全体的な位置で通訳してもらえるように、と。(私が実行委員として動き回ることと、手話にずっと集中していられないことも理由として。)

そして、結果、実現!

演題でスピーチする人の左側に立って手話通訳をする通訳者。かなり後方の席から撮影している

司会や登壇者のそばで立ち、手話をしている通訳さんの姿。まるで、官邸や省庁の会見のように。
会場のすべての人から通訳が見えました。
誰がその手話を必要としているか、知らない人もいたでしょう。生の通訳を見たのが初めて、という人もいたかもしれません。
聞こえない参加者が私だけ、と分かっているイベントでこのような形はイレギュラーかもしれません。
でも、こういう行事やイベントで情報保障をつける、ということを実際に見てもらい、それを必要としている人がいるんだよ、ということを感じてもらえたかな、と思うのです。

手話通訳だけではありません。
演台にはwt01(Bluetoothマイク)置いて、音声を拾い、手元のスマホのUDトークで、リアルタイム字幕も見ました。
それを在籍児童の多国籍化で、生徒の学習や保護者対応に悩む何人かの先生や教育委員会の方にUDトークの多言語対応を見てもらいました。

UDトーク画面のスクリーンショット画像。皆様こんにちは。本日は大泉北小学校開校50周年記念祝賀会にお越しいただき、誠にありがとうございます」という言葉が日本語と中国語で表示されている


そもそも区としてUDトークを導入している練馬区、学校や生徒のタブレットでUDトークは使えるらしいのですが、ちゃんと、使えてなかった、、らしい。
それぞれの手元でいろんな言語で表示できると知らなかった、、らしい。
まさに、「宝の持ち腐れ」
実際に司会の言葉が日本語と中国語で表示されるのを見て「これなら、すぐにでも、全校朝礼や保護者会で使える!」と。

なんとまぁ、いまさら、、。開発者のAさんが聞いたら、ガッカリされるだろうな。

ということで、近いうちに、教育委員会の担当部署の方に、解説に行くことになる流れに。
また、お世話になった校長先生も、いまの在任校で外国人保護者対応を悩んでらっしゃるらしいので、具体的なノウハウをお伝えするためにお邪魔することになりそう。

実を言うと、前日、学校で準備をしている時、ある生徒が私たちに声をかけてきて、その生徒は日本語が全く通じなかった、ということがあったのです。
結局、その子が持っていた翻訳のデバイスを介して、やり取りしたのですが、ここまで会話ができない生徒さんは、学校生活、どうしているんだろう、と。授業もお友達とのやりとりも取り残されているのでは?

学生時代に失聴し、学校生活の中で仲間から取り残されている不安、寂しさ、不自由さを経験している私としては、勝手にその子の寂しさを感じてしまいました。
今はいろいろ便利なツールもあるし、技術もあるのに、結局、それを使える人がいなければ活かされないのです。
ほんと、もったいない。
だから、おせっかいとは思いつつ、私はこんなふうにしているよ、ということを伝えることで、何かが動いたらいいなって思うのです。

手話通訳もそう。
「聞こえない人のための通訳」から、「聞こえない人が参加する行事・イベントでの通訳」、そしていつかは、「行事やイベントには情報保障をつけるのが当たり前」になっていって欲しいのです。

情報は発信する側と受け取る側があるものです。
だから、情報保障は受け取る側が正しく受け取るための保障であるだけでなく、発信する側が正しく伝えるための保障でもあるのです。発信する側だって、自分の発信がきちんと届かない人がいるのは、残念だし、困ることだから。

聞こえる人が大多数の社会の中で、聞こえない人は少数派です。
日本の社会の中で、日本語を理解できない人も少ないかもしれません。
自分の足で歩いて会場に入れない人も歩ける人よりは少ない。
でも、数の上で少ないからといって、置き去りにしていいわけではないはず。

イベントも行事も、いろいろな人が参加するという想定で企画して欲しい。
これは日頃からボヤいているエンタメのバリアーとも通じることです。
作る人だって、話す人だって、演じる人だって、その作品を、話を、1人でも多くの人に届けたいと願っているはず。
その「多くの人」たちの中にはいろいろな人がいる、ということを思い出して欲しいのです。

いろいろなバリアに当たった時、心折れて「しかたない」と諦めてしまう人も多くいます。
私も以前はそうでした(…信じてもらえないかもしれませんが)
でも、バリアに向かって、多少痛い思いをしても、やっちゃえ、言っちゃえ!と思える、ある意味の強さ、厚かましさを身につけた今の私は、こーやって、身近なところから、「それっておかしいよ!」とか「こんな風にやれるよ」とか、発信していこうと思うのです。

それが「誰ひとり取り残さない共生社会」につながると信じて、、。

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ぶーみおちゃんぷ
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