【読書メモ】『太陽のパスタ、豆のスープ』(宮下奈都、集英社)
2020.4.17 #読了
誰かに勧められて買ったようそうでないような。コ本やのショップカードが入ってきたからそこで買ったんだろう。
結婚直前に破談を言い渡された主人公のあすわご途方に暮れながらも人生を立て直していく物語。あすわの幼さにイライラさせられるところも多いけれど成長譚なのでそこはそれ最後のためのスパイスのようなものである。
読みながら考えたことを。キッカケはこの部分。
"どういえば私がよろこぶか、気持ちよくごほんがサーブされるかわかっている。ここへ来れば何かおいしいものがある。にこにこにこ。ここへ来れば何かおいしいものがある。にこにこにこ。"
にこにこしているのはあすわで、自分の料理への無責任とも取れるこの信頼に嬉しくなってしまう部分なのだけれど、ここを読んで最近の自分の感覚を再点検したくなった。
2015年に念願かなってフリーランスとして活動を始め、運良くいろいろなことに恵まれて、本も何冊か出したし自分の店も持てた。店を開いてからはそれに伴う多くの大事なことからそうでないことに忙殺される日々に気付けば感性がすり減っているような気がする。
どんなときでもやれることってそんなに多くないけどそのうちの一つが僕にとっては文章を書くことでだから本を出すことができたと思うのだけれど、でも、店を持ってから書くことが少なくなってしまった気がする。本屋に行って楽しくなって店主の話を聴いて感動してそれを思い出して書くという一連の作業。まだまだ下手だけれどももっとやっていきたい続けていきたいこと。
それらに関しての感性が鈍くなっているというか、変に慣れてきてしまっているというか、忙しさと疲れにかまけてセンスオブワンダーを失いかけているというか、そんな危うい感覚がある。現時点で問題が起きているわけじゃない。でも何か自分に納得がいかないそんな感覚。
きっとそれはもっと本を読んで、もっといろいろなことを知って、いろいろなことを経験する中で、解決されることだとは思うのだけれど、人に会って話を聴く、ということに対していま一度向き合ってみたい。
自分が、自分に関わってくれる人たちに差し出せるものの中心はきっと聴くことと書くことだとと思うから。
瑞々しい文章にそんな考えを喚起させられた。