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レティシア書房店長日誌

ジュリー・オオツカ「スイマーズ」
 
 ジュリー・オオツカは、1962年アメリカに移住したエンジニアの父と日系二世の母の間に生まれました。大学で美術を学んだのち、2002年、小説「あの頃、天皇は神だった」を発表し高い評価を得ます。彼女の第三作が、今回ご紹介する「スイマーズ」です。(新刊2030円)
 

 第一章は、とある街の地下にある公営プールにほぼ毎日通う人たちの世界です。様々な職業や階層のスイマーたちが、あらかじめ決められたプールの規則と彼らの間にある暗黙の了解に従って黙々と泳ぐ様子を、淡々と描いていきます。まるで、スイマーたちの背後からそっとカメラを回しているような描写です。
 第二章では、プールに突然ひびが表れます。原因は全く不明のまま平穏だった世界に不安が立ち上っていきます。そしてプールは閉鎖されます。その中に「過去27年間、毎日第三レーンで背泳ぎで泳いでいる」アリスという名の女性、彼女が主人公です。
 第三章では、アリスの認知症が進化してゆく様を描いていきます。病状の進行とともに、彼女には古い記憶だけが残ります。日系二世であるアリスは、日米開戦後に父親が逮捕され、家族と共に砂漠の収容所へ移送されたことや、結婚して最初の女の子がすぐに死んでしまったことなどを口にします。それを見つめるのが、作家となった40代後半の娘の「あなた」です。小説の中では名前はなく「あなた」という二人称で語られます。翻訳の小竹由美子は「作者は二人称を使うことで自身と重なるアリスの娘と距離を置き、主観にのめり込むことをしない」と指摘しています。
 第四章では、ガラリと舞台が変わります。アリスにような記憶障害を持つ人たちを収容する施設”べラヴィスタ(美しい眺め、の意)”が舞台となります。ここに入ることになったアリスと、決して悪質ではないもののビジネス本位の施設の姿を、やはり距離をおいて描写していきます。
 そして最終章は、アリスの娘である「あなた」が思い出す母の最後の日々と後悔です。
 地下にあったプールで、毎日黙々と泳いでいた頃。プールの規則と、コミュニティーの暗黙のルールをスイマーたちは遵守し、水に潜ります。その沈黙の世界が、至福の世界だったはず。が、プールの突然の閉鎖で一変します。沈黙の世界は永遠に戻らなくなります。そんな世界を愛したアリスは進行する認知症で、記憶の波に漂います。やがて大切だったものが欠けてゆき、彼女の世界が綻びてゆきます。
 前半のプールのシーンと、後半のアリスの認知症をめぐる日々とでは、全く違う二冊の小説が合体したようです。痛々しい傷口をむき出しにした母と娘の物語なのに、一定の距離を置いたクールな文体が、読み終わった時の穏やかな満ち足りた気分を作り出しています。本年度カーネギー賞受賞作品。

●レティシア書房ギャラリー案内
9/4(水)〜9/15(日) 中村ちとせ 銅版画展
9/18(水)〜9/29(日) 飯沢耕太郎「トリロジー冬/夏/春」刊行記念展
10/7(水)〜10/13(日) 槙倫子版画展

⭐️入荷ご案内
子鹿&紫都香「キッチンドランカーの本3」(660円)
くぼやまさとる「ジマンネの木」(1980円)
おしどり浴場組合「銭湯生活no.3」(1100円)
岡真理・小山哲・藤原辰史「パレスチナのこと」(1980円)
GAZETTE4「ひとり」(誠光社/特典付き)1980円
スズキナオ「家から5分の旅館に泊まる」(サイン入り)2090円
向坂くじら「犬ではないと言われた犬」(1760円)
「京都町中中華倶楽部 壬生ダンジョン編」(825円)
坂口恭平「その日暮らし」(ステッカー付き/ 1760円)
「てくり33号ー奏の街にて」(770円)
「アルテリ18号」(1320円)
「オフショア4号」(1980円)
「うみかじ9号」(フリーペーパー)
小峰ひずみ「悪口論」(2640円)
青木真兵&柿内正午「二人のデカメロン」(1000円)
創刊号「なわなわ/自分の船をこぐ」(1320円)
加藤優&村田奈穂「本読むふたり」(1650円)
オルタナ旧市街「Lost and Found」(900円)
孤伏澤つたゐ「悠久のまぎわに渡り」(1540円)

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