生かされて
著者 イマキュリー・イリバギザ
訳 堤 江実
出版 PHP文庫(2016/6/8 第1版 第3刷)
ルワンダジェノサイドを生き抜いた女性のノンフィクション。
はじめに
1994年、その年の夏、僕が生まれた夏でもある。そして、遠いアフリカ、ルワンダで、たったの3カ月間で80万人が民族紛争下で犠牲者となった年でもある。
日本で例えると、山梨県の県民が80万人(2021/04/01時点)。3カ月で忽然と姿が見えなくなる程のディストピア感だ。
第二次世界大戦でのホロコーストやユーゴスラビア紛争、ボスニア、コソボ紛争など、ヨーロッパ中心の紛争については、テレビや映画、本などで観たり読んだりする機会が多かった。
しかし、アフリカにおけるルワンダをはじめ、他民族紛争については、殆ど知識がない。
しかも、ルワンダで起こったこのジェノサイドは戦争によるものでも、宗教の違いからくるものでもない。ツチ族もフツ族もキリスト教徒だ。
教会すらもジェノサイドの現場となる。
プロテスタントの牧師でカレラというシモニの兄弟があざ笑いました。「こいつは、まるで自分が牧師かなんかだと思ってやがる。牧師は私だ。その私がこの殺戮を祝福しよう。この国にゴキブリどもを一人も残さないことを祝福しよう」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著
3カ月間で、アフリカの小さな「永遠の春」のように美しい国で、80万人もの人々がジェノサイドにあったというのはディストピアの世界でしかなかった。
けれど、それはディストピアなんかではなく、本当に起こった事だ。
著者は91日間、クローゼットくらいの大きさの秘密のトイレの中、7人でなんとか隠れて生き延びた。
これは、ジェノサイド下でどう彼女の信仰心が強くなり、敵を赦すに至るかという手記であり、彼女の心の中で今も記憶に残るジェノサイドの犠牲になった家族の手記でもある。
「私が覚えていることを書いたものです。まるで昨日起こったことのように思い出せます。実際に起こったことなのです。 私は、私と家族については実名で書きました。 でも、この本に現われるほかのすべての人の名前は、変えました。生き残った人たちを守り、憎しみの連鎖を呼び起こさないようにするために。」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著
読んでいて、常に疑問だったのは、何故、諸外国はこのジェノサイドに対し、即座に介入しなかったのか?という事だ。
同時期に、ヨーロッパではボスニア紛争が起きている。
アフリカだから後回しにしたのか?
ルワンダジェノサイド
1994年4月6日、ルワンダのハビャリマナ大統領とブルンジのンタリャミラ大統領の搭乗する飛行機が、何者かのミサイル攻撃を受けてキガリ国際空港への着陸寸前に撃墜され、両国の大統領が死亡した。攻撃を仕掛けた者が不明であったため、ルワンダ愛国戦線と過激派フツの双方が互いに非難を行った。そして、犯行者の身元に関する両陣営の意見は相違したまま、この航空機撃墜による大統領暗殺は1994年7月まで続くジェノサイドの引き金となった。
wikipediaより
ルワンダ紛争終結後の1994年7月19日、トゥワギラムングはルワンダ愛国戦線が樹立した新政権で首相へ就任した。
国家権力による周到な準備
『大量虐殺の社会史』によれば、ルワンダ虐殺はしばしば無知蒙昧な一般の住民がラジオの煽動によってマチェーテ(山刀,マシェット,マチェテ)や鍬などの身近な道具を用いて隣人のツチを虐殺したというイメージで語られているが、これは適切な見解とは言い難い。ジェノサイドへ至るまでには、1990年以降の煽動的なメディアプロパガンダや民兵組織の結成、銃火器の供給、虐殺対象のリストアップなど、国家権力側による非常に周到な準備が行われていた。この国家権力側による準備と、対立や憎悪を煽られた民衆の協力によって、およそ12週間続いた期間のうち前半6週間に犠牲者の80%が殺害されるという、極めて早いペースで虐殺が行われた。その結果、与野党を含めたフツのエリート政治家の多くが、紛争終結後の裁判によりジェノサイドの組織化を行った罪で有罪とされている。
wikipediaより
平和で仲の良かった隣人が殺人者になる
犠牲者の大半は自身の住んでいた村や町で殺害され、直接手を下したのは多くの場合隣人や同じ村の住人であった。民兵組織の一部メンバーにはライフルを殺害に利用した者もあったが、民兵は大半の場合マチェーテで犠牲者を叩き切ることで殺害を行った。犠牲者はしばしば町の教会や学校へ隠れているところを発見され、フツの武装集団がこれを虐殺した。一般の市民もツチやフツ穏健派の隣人を殺すよう地元当局や政府後援ラジオから呼びかけを受け、これを拒んだ者がフツの裏切り者として頻繁に殺害された。『虐殺へ参加するか、自身を虐殺されるかのいずれか』
wikipediaより
戦争でも宗教の違いからよるものでもないのに、何故ここまでに発展していったのだろうか?
ヨーロッパの植民地としてのルワンダ
「私たちは、ルワンダが三つの部族から成り立っていることも知りませんでした。 多数派のフツ、少数派のツチ、ごく少数の、森に住むピグミー族に似たツワ。 ドイツの植民地になった時、また、ベルギーがその後を継いだ時、彼らがルワンダの社会構造をすっかり変えてしまったということも知りませんでした。 それまで、ツチの王が統治していたルワンダは、何世紀ものあいだ平和に仲良く暮らしていたのですが、人種を基礎とした差別的な階級制度に変えられてしまったのです。」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著
ヨーロッパに翻弄された結果、民族間での不満が爆発したルワンダの悲劇のように見えた。
植民地とする侵略による悲劇の始まりは、一見すると平和と均衡を保っているようにも見えるが、ベルギーが撤退したことにより、今度は民族間の憎悪が爆発し結果的に、ジェノサイドが起こった。
彼女の父母は、彼女を含めて子どもたちに、
自分たちの民族は何であるか
ということを暗に記憶させないでおこうとしていたことが本書で書いてある。
民族間での差別が憎しみ合いを助長したりしないための配慮を著者の父はしようとしていたのではなかろうか?
国際社会の対応の遅れ
3か月という非常に短期間で行われたジェノサイドに対し、国際社会は何故対応が遅れたのか?
国連安保理は同時期に起こったボスニア紛争に対して積極的な活動を行っていた。ルワンダの平和維持軍削減を決めた国連安保理決議第912号を可決したのと同じ日に、ボスニア内における安全地帯防衛の堅持を確認した国連安保理決議第913号を通過させたことから、差別的観点からヨーロッパをアフリカよりも優先させたとの指摘がなされている。
wikipediaより
1999年、ルワンダ虐殺当時のアメリカのビル・クリントン大統領は、アメリカのテレビ番組の『フロントライン』で、"当時のアメリカ政府が地域紛争に自国が巻き込まれることに消極的であり、ルワンダで進行していた殺戮行為がジェノサイドと認定することを拒絶する決定を下したことを後に後悔した"旨を明らかにした。この、ルワンダ虐殺から5年後に行われたインタビューにおいて、クリントン大統領は「もしアメリカから平和維持軍を5000人送り込んでいれば、50万人の命を救うことができたと考えている」と述べた。
wikipediaより
同時期にバルカン半島での紛争を国連が優先し、アフリカの貧しい国で80万人が殺害されようとも後回しにしたのは、先進諸国の都合のよい何かしらが見え隠れしてくる。
被害者である著者の信仰心と赦し
カトリック教徒である著者イマキュレーは、長兄以外家族全員犠牲となり失っている。
それにもかかわらず、彼女は、信仰心を胸に、3か月を狭いトイレの中に身を潜めながらも生き抜き、葛藤に苦しみながらも加害者を赦そうとしている。
「「虐殺は、人の心の中で起こるのよ、ジャン・ポール」と、私は言いました。「殺人者たちだってきっと良い人なのよ、でも、今は、悪魔が彼らを支配しているんだわ」」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著
同じ過ちを繰り返すのは何故なのか
世界は、過去にも同じようなことが起こったのを見てきました。 ドイツのナチの出来事の後で、世界じゅうの大きな力のある国々は誓いました。 もう決してこんなことがないようにと。 でも、今、ここに、この暗闇の中に六人の罪もない女性がうずくまっているのです。ツチに生まれたからというだけの理由で。 どうして歴史は同じことを繰り返そうというのでしょう。こんな恐ろしいことが、どうしてまた起こったのでしょう。どうして、悪魔はまた、私たちのあいだを平気で歩き回れるようになったのでしょう。人々の心に、もうどうしようもなく、手遅れになるまで毒を流し込みながら。」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著
歴史上では何度も何度もこうした過ちを人間は繰り返している。
こうした真実は目を背けたくなったりもするし、時には、忘却の彼方へ押しやってしまいたくなったり、都合の良いようにすり替えたりすらされることもある。
おわりに
真実を語る人々の記憶をこうして文字や映像として残すことで、少しでも過去の繰り返してはいけない過ちをきちんと学ぶことも大切である、とつくづく思う。国籍、民族や性別、年齢や宗教、文化といった価値観の多様性をお互い尊重し、過ちを認めたり、赦すといった事で、負の連鎖を断ち切らなければ、常に我々人間は、ルワンダのような悲劇を繰り返すだろう。そして、真実を見極め国を超えてのヒューマニズムによる協力なくして、赦しというのはなかなかできないのではないだろうか?
「 虐殺の時代に犯した殺戮のために今刑務所にいる何万人という人々は、彼らが昔住んでいた町や村に釈放され始めています。 赦しが必要な時は、今なのです。 ルワンダは、再び天国になれるのです。 でも、私のふるさとを癒すためには、全世界の愛が必要です。なぜなら、ルワンダに起こったことは、どこでも誰にでも起こるのですから。 虐殺によって傷ついたのは、ヒューマニティです。 一人一人の人の心に宿る愛こそが、世界を変えられるのだと思います。 私たちはルワンダを癒すことが出来ると、私は信じています。 そして、この世界を癒すことが出来ると。一人一人の心を癒すことによって。 この本がその手助けになりますように。」
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著
ジェノサイドを生き抜いた彼女は、幸せな家庭をその後持ち、マンハッタンの国連に従事した。
長兄と家族のことを話す際、過去形ではないという彼女の言葉や、父母、次兄や兄弟との直前までのやり取りが深く愛情に満ちていたのも印象に残る。
本書を知るきっかけは、「忘れられた巨人」が出版された際、カズオイシグロがイギリスのメディア、ガーディアンのインタビューでルワンダジェノサイドを示唆していたことだった。
この本を読んでよかったと、心から思えた。
本書の冒頭で、ホロコーストの犠牲者であったフランクルの「夜と霧」が引用されている。
もはや何一つ変えることが出来ないときには、自分たち自身が変わるしかない
ヴィクトール・ E・フランクル
ルワンダで同じ信仰をもつ者同士での殺戮を引き起こす基礎を作ったかのようなヨーロッパ、そして国際社会の対応の遅れ。
国際社会の責任は重い。
世界からのヒューマニズムによる愛がこうした紛争には必要不可欠であると彼女は訴えている。
今でも世界では戦争や紛争が絶え間ない。
僕には何が出来るんだろうか。
イマキュレー・イリバギザ(Immacule Ilibagiza)
イマキュレー・イリバギザは、ルワンダに生まれる。国立大学で電気工学を学ぶ。1994年の大虐殺で両親と兄、弟を失う。1998年、アメリカに移住し、ニューヨークの国連で働き始める。彼女は、虐殺や戦争の後遺症に苦しむ人たちを癒すことを目的とした「イリバギザ基金」を設置しようとしている。現在、夫のブライアン・ブラックと二人の子どもたち(ニケイシャとブライアン・ジュニア)と共にニューヨーク州に住む
—『生かされて。 (PHP文庫)』イマキュレー・イリバギザ, スティーヴ・アーウィン著より
#生かされて
#イマキュリー・イリバギザ
#堤 江実
#PHP文庫
#ルワンダジェノサイド