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3月に100パーセントの妻と出会う

3月に100パーセントの妻と出会う

今日はホワイトデー。

妻は外国人なのでホワイトデーというものに無頓着なのだろうと俺は期待せずにハンドルを握り関内某所で信号待ちをしていた。
昨日とはうってかわって晴天の昼前の横浜。
こんな日は瓶のビールを持って海岸で飲みたい。
時折、バックミラー越しにチャイルドシートの中すっぽりと収まる俺のお姫様と目が合う。お姫様は不敵な微笑みを浮かべ俺を見つめ返す。
「サルトル先生、大きな本屋さんへ寄ってくれないかな?」
俺の耽美なハイパーミラクル学園物語の駄文「サルトル先生とシモーヌ」を知られて以来、妻は時々、必死に笑いを堪えながら俺のことをサルトル先生と呼んでくれる。
 「ええよー、でもコロナ本屋は一番やばそうやから、〇〇連れて行くん危ないわ。〇〇チャン行ってくる?一人で。俺ら車で待っとる」
「まかせて」
何を任せるのか、少し疑問が残ったが、意気揚々と車から降りて、颯爽と肩に風を切り、ビルの中へ消えてゆく彼女の姿を頼もしく感じながら見送った。

30分後、姫とスヤァしかけている俺の元にLINEのメッセージがくる。
「今すぐ来て!はやくしてね」
やれやれ、荷物運びか、会計か。。。
いつも財布には数千円入れておけって言ってるのに。

そう思いながら、姫を抱っこして、本屋のあるビルへと向かった。

すぐにレジの脇で立つ妻を見つけることができた。
「あ、夫が来てくれたので、お会計お願いします」
「18,000円になります」
⁉️
店員が妻に重たそうに二つの紙袋を渡す。
「村上春樹、好きだったんでしょ?ホワイトデーのプレゼントよ、これ」
さすが俺の愛するリアルシモーヌ。
ホワイトデーに本をくれるとか。泣けてきそうだ。

そう、彼女の口から、プレゼント、という言葉がこぼれ落ちた。

「まって、俺持っとるやつ何冊かあるからそれ、返品させてもらっていいすか?」

何冊か抜き、九千円弱になる。
お小遣い五千円の彼女には大金だ。
2ヶ月分。色々と我慢して貯めたのだろう。
補足しておきたいが、俺は小遣いゼロ円だ。

「では、お会計を」
妻が、こちらを見て微笑む。
一向にお会計を済ませようとしない。
俺は、訴えかけるように俺を見つめる妻を捉えたくなかった。

沈黙を破るかのように妻が言う。

「はやくしてね」

それは、あらかじめ、決められたような機械的な波形の音だった。

「プレゼント」という響きが静かに漂い、遠い水平線へと遠いてゆく。
まるで、夕焼けに輪郭だけ縁取られた沖合のヨットを眺めるかのように音もなくただ離れて行く。
インスタグラムで感想を見かけたビジネス新書たちも遠くに霞んでゆく。読みたかったオードリータンや決算書の読み方、会計の何とかかんとかの青緑の新書たちが、俺を嘲笑うかのごとく、いま、まさに目の前の新書コーナーに並んでいるのに蜃気楼のようだ。
3冊買っても、紙袋の中の春樹の値段には及ばない。
大体、象の消滅の中身はすでにほとんど昔に文庫本で読んだことがある。

「はいはい、なんでなん、、、」
俺はこうして村上春樹を自腹で買わされ、家に着いたら読んであげる事を約束させられたのだった。

帰りの車で妻は得意げに言う。
「うふふ、なかなかいいプレゼントでしょ?」

隣には不敵な微笑みの姫1号。
バックミラーには、眠る姫2号。

俺の休みが終わろうとしていた。

バレンタインのお返しに何か読んで欲しい。
それが彼女の言い分だ。

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