妻と週末に庭の柿をいくつか収穫した。キッチンに無造作に置かれた柿と同化するかのような西日が、床に細く長く伸びる僕の影をつくった。
僕の影は僕の実存ではなく、単なる影でしかない。それは朝は西の方へ伸びて、日中は足元にうずくまり、夕暮れ時は東の方、白い月を追いかけるかのようにして伸びるただの影にすぎない。光のないところでは、影は暗闇と同化し、光が射すところにだけ、ただ、あるのだ。僕が動けば、ついてきて、僕が立ち止まれば、そこにとどまる。やがて、僕の鼓動が止まった時、肉体が塵になるまで、僕にぴったりと寄り添う。あるいは、暗い棺のなかならば、影はいつものように暗闇に同化して、僕の元を去るのをじっと待つ。
ラヴェル『ハイドンの名によるメヌエット』が聴こえてきて、細い僕の影がブロンズ像──『歩く男』──のように思えた。
極限まで無駄を削ぎ落とした彫刻──アルベルト・ジャコメッティの彫刻は人間実存とその危機を表現したと広く評価されている。
疲れた労働者を彷彿させるように、やたらと細く高く儚い、それでいて、どこか力強い彼の彫刻は、サルトルだけではなく、ジャン・ジュネの心にも深く響いたようだ。
この孤高のシュルレアリスムの代表的彫刻家についての美術評論、『絶対の探求』を発表したサルトルを介して、ジュネはジャコメッティと出会った。
サルトルのジャコメッティ論はもちろんすばらしいが、ジュネのジャコメッティに関するエッセイは、廃墟のアトリエで彫刻、あるいは人間の実存に格闘するジャコメッティを彷彿させるがごとくに美しい。
想像に働きかける郷愁──古く親しみ深い遠い記憶、想い出たちは、時間の経過とともに、ある日、郷愁へと変わり、心を揺さぶり、忘れかけた何かをあたかも世界の深淵かのような溝から音楽、景色や薫り、あるいは、誰かの声や眼差しとともに蘇らせることもある。それらは、すべて、〈私〉固有のものであり、誰のものでもない。
資本主義経済による政府介入の計画経済は全体主義と独裁を招くリスクがある──昔、どこかで読んだハイエクの『隷属への道』に書いてあった。
正義という大義名分を振り翳し、暴力を正当化させる権威主義者たちは、往々にして、誰のものでもない、〈私〉固有の記憶を黒い赤で塗りつぶし、〈計画的〉に公共の名において、均一な記憶を代わりに植え付けていく。
均一的な計画に不満を漏らす者たちを彼らは恐怖によって封じ込める。
独裁政権とはそのようにして、やってくるのだろう。
剥奪された自由より、不自由な中でも生き延びるのに必要なものが与えられていると、やがて、ひとはいつの間にか、土地ではなく、権力に隷属していることに安心し、隷属していることは忘却の彼方へと追いやられる。
いままさに、世界中でおこっていることであり、その状況に浸りきった僕の日常。
資本主義と国家というふたつの暴力装置に対抗するための非暴力的力というのは、〈郷愁〉、実存の神秘の美がときには力の要素のひとつにすらなりうるかもしれない。
〈郷愁〉は決して孤絶した個のうちでは成り立たず、過ごした時の周囲のひとびと、時代、歴史を包括する空間そのものをちいさな共犯者たちとの共有によってこそ、誰かの〈個〉のけっして同じものはない〈郷愁〉へと変わるだろう。
個々に享受される〈郷愁〉は、空間そのものを残すことの意義が、ジュディス・バトラーの言葉を借りれば、「非暴力は人間関係だけでなく、すべての生きている関係、相互構成的な関係に関係」から明らかでもある。
ナショナリズムへの対抗、闘争の力としての非暴力は、無論、〈批判的能力を持って〉だが。
バトラーはナショナリズムへの対抗としての力、非暴力は、暴力のphantasmaticを理解する力≒想像力によって解放可能とも言っている。
ジャコメッティの想像の回復──バトラーの言わんとする想像と連動して、僕に語りかけてくる。そして、〈郷愁〉を支える芸術のもつ意義をジャン・ジュネはこのように表現している。
歴史を包括する空間が破壊されたあと、何が残るのというのだ?
郷愁という美、それは、日常に向き合うという、地味で決して洗練されてはいない、傷だらけの美でもある。そして、そうした、泥くさく、穢れたものからしか、美は生まれない。バタイユがまさしく追求したエロティシズムの真髄へも繋がる。
公の絶頂の恍惚、それは我々が、美は非暴力という権力への暴力装置であると認識しちいさな共同体のなかでその認識を共有さえしあっていれば、いつかなしうるという希望もわずかながら残しておこう──僕は、そのように思いながら、あたりが闇に包まれていくのを感じた。
共同体であっても、人間の実存は神秘に包まれ、また、生まれてくるときも死ぬときも、孤独である。その孤独と孤独の間を埋めるかのようにして他者との、そして空間からの郷愁がある。
孤独は誰もが意識するまでもなく避けられない我々の身勝手な概念──ただ、そこに、在ることの、唯一の傷からうまれた美を僕は讃歌する。
参考文献