『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』 シンメイP
概要
『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』は、「本当の自分」を探すことの無意味さを東洋哲学の視点から解き明かす一冊です。著者は、現代社会で多くの人が抱える「自分探し」や自己肯定感の問題に対し、ブッダの「無我」やリュージュ(龍樹)の「空」の哲学を通じて新たな視点を提供しています。哲学的な内容をわかりやすく噛み砕き、ユーモアや日常的な例えを交えて解説することで、哲学初心者でも理解しやすい構成となっています。
本のジャンル
自己啓発、哲学、メンタル・マインドフルネス
要約
著者の『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』は、「本当の自分」を探すという行為が、実は無意味であると説いています。特に、ブッダの「無我」の教えと、リュージュの「空」の哲学を取り上げ、それらを通じて現代人が抱える悩みや自己認識について新しい視点を提供しています。
まず、ブッダの「無我」についてです。ブッダは紀元前2500年頃、インドの王子として生まれました。王子としての豊かな生活を送りながらも、人生の意味に深い疑問を抱き、その解決を求めて出家し、ホームレスのような修行生活に入りました。彼は6年間の断食を含む厳しい修行を通しても、「本当の自分」を見つけることはできませんでした。しかし、ある日、地元の女性が持ってきたおかゆを食べたことをきっかけに、「無我」の悟りに至りました。
「無我」という考え方は、世界は常に変わり続けており、そこに不変の「自分」など存在しないということを示しています。例えば、私たちの体は日々食べる食物から成り立っており、その食物もまた他の生物や自然から生まれています。つまり、自分の体は他の存在と常に繋がっており、独立した存在とは言えません。このように、「自分」と思っているものは、実際には様々な要素が集まってできている一時的なものに過ぎないのです。
次に、リュージュが提唱した「空」の哲学についてです。リュージュはブッダの教えが複雑化し、難解になったことを批判し、それを「空」という一言で表現しました。「空」とは、全ての物事に普遍的な本質は存在せず、それらは相対的な関係性の中でのみ意味を持つという考えです。例えば、誰かを「いい人」「悪い人」と判断するのも、その人の行動や背景に応じて変わるものであり、絶対的な性質ではありません。これが「空」の考え方であり、悩みや不安もまた固定的なものではないということを示しています。
著者はこれらの東洋哲学を通して、私たちが抱える悩みの多くは、実際には「自分」という固定観念によって作り出されていることを強調しています。例えば、仕事での失敗を「自分が無能だからだ」と思い込むことが苦しみの原因ですが、「無我」や「空」の視点に立つことで、そうした考え方自体が根拠のないものであることに気づくことができます。
さらに、著者は、悩みを解消するための実践的な方法も紹介しています。その一つが「悩む時間を決める」という方法です。1日のうちで30分間だけを悩む時間として設定し、それ以外の時間は悩まないようにすることで、余計なストレスを軽減できます。この方法は、日常生活にすぐに取り入れることができ、効果的なマインドフルネスの実践法として紹介されています。
本書はまた、私たちが悩みを作り出す傾向が進化の過程で培われた「生存本能」によるものだと説明しています。原始時代、常に警戒していなければ命の危険があったため、人間は意識的に悩みを作り出し、それを解決することで生存率を高めてきました。この進化的な背景が、現代においても不必要な悩みを生み出す原因となっているという指摘は、新鮮な視点です。
本書は全体を通して、東洋哲学の観点から自己を見直し、悩みを軽減するための実践的なアプローチを提供しています。悩みに対して新しい視点を得ることができ、日常生活をよりポジティブに過ごすためのヒントが満載です。
感想とまとめ
『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』は、自己や悩みに対する新しい見方を提供する一冊です。ブッダの「無我」やリュージュの「空」の哲学を通じて、自分という概念の無意味さを理解し、心の負担を軽減する方法を学べます。哲学に詳しくなくても楽しめるよう、日常的な例えやユーモアを交えて説明されているため、誰でも気軽に東洋哲学のエッセンスに触れることができます。
悩みがちな日々を少しでも楽にしたい方や、新しい視点を得たいと感じている方には、ぜひこの本をおすすめします。ぜひ一度チェックしてみてください。心の重荷が軽くなるきっかけがここにあるかもしれません。
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