韓国へ行った。やっぱり彼氏は寝取られてもいいと思った。
人生初、ひとりで海外へ行った。
場所は韓国。理由は日本から近くて、安くて、比較的おひとりさんにもハードル低そう、というだけ。笑
初の海外で私は何を思ったか?2つ発見があった。
「やっぱ”常識”なんて、この世に存在しなくね?」
これに尽きる。
仁川空港の自販機を見たらポカリが250円で販売されていた。
「そーか。ポカリが250円で売っててもいいんだよな」と思った。
ソウル行きの電車で見た、初めて見る韓国の街。
「なんだこれ…走ってる車も、看板の文字も、街の構造も全然日本と違う」と思った。ソウルの街に降り立つ前に私は思った。
縮こまってるの、もったいないわ。
もっと大きく夢を描いて、ワクワク生きよう。
鮮烈にこう思ったのを覚えている。
やりたいことや思い描く理想は、いつの間にか自分の手に届く範囲のことで描いていた。もっと自由でいいし、大きなこと掲げて夢見た方が楽しい。私の韓国のお土産は、韓国に到着して30分で既に手の中にあった。
…..いや、タイトル関係なくね?と思ったかもしれない。
海外に来て思ったのは、前述の通り「常識は人間の作りしものなんじゃないか」ということ。日本では食事の際に食器を持ち上げて食べるが、韓国ではこれはマナー違反にあたる。…..例えばこんな感じに、文化や時代で”当たり前”は変わる。
私は”当たり前”という言葉が好きではない。「絶対なんてこの世にねーだろ」と思っているから。
でも、仕事が上手くいかなかったり、自分に自信がなくなったりすると、世の中の常識を自分に縛りつけて、身動きが取れなくなる。
世の中の”当たり前”や”美徳”に自分を縛りつけて、苦しくなっていないか?それを、この人生初のひとり海外で改めて感じた。
そしてもう1つ。
”世にいう幸せ”は”自分にとっての幸せ”とは
イコールではないと私は思う。
ここでやっと、タイトルの伏線回収が始まります。笑
私は彼氏が他の女と枕を交わそうが、風俗で手ほどきを受けようが何とも思わない。初めて異性と付き合った19歳から変わらない私の価値観。(でも過去に1度もそういったことを相手にされた事はない)
これを周りに話して共感されることは、まずない。たまに猛反発を喰らう。
世間では性の倫理的にアウトとされているが、私にとっては何ら問題ない。だから別にいい。これが私の関係構築の形であり幸せの形だから。
・以下は「なぜそう思うのか?」の理由↓(興味ある人だけどうぞ)
「ずっと同じ女抱いてても飽きるやろ。ずーっと飽きさせない程の夜のテクニックも色気も私にはないわ。」と自分を客観視している。ずっと同じカレー食べてても飽きるから、たまにシチュー食べて、カレーの良さ再確認できればエエわ。シチューの良かったところをカレーにも再現したら無双できるやん?的な。
ベースとして、パートナーとは圧倒的な信頼関係を構築している自負があるし「そんな行為1つで相手の気持ちが私から離れるような、安い女ではないしな〜」と自分で思っているってのはある。(おっと、ここで大口を叩いたー!!!)
だから、私は韓国で「周りがどう言おうと、やっぱり彼氏は寝取られてもええわ」と思ったのでした。
最後に。
「なんで私はここまで新しい世界や新しいトライに貪欲なんだろ」と考えた時に純粋なワクワクだけでなく”枠にハマらないようにする為”もあるなぁ、と気づいた。
社会人になると、仕事と家の往復になりやすい。刺激も少なくなりやすい。毎日が同じ日の繰り返しになる。すると生活が型にハマってくる。
人間は可能性に満ちてるのに、狭い置かれている社会だけが自分の世界だと思ってしまう気がする。
だから、新しいコトに触れて「あーそっか、もっと世界って広いよな」と思っていたいんだな。って気付いたのでした。
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