児童文学の皮を被ったハードボイルド小説
昔、NHKで、『ひげよ、さらば』という人形劇をやっていたのを覚えている方はいらっしゃいますか?確か私が小学校1、2年生ぐらいの頃だったと思います。
野良猫たちが野良犬と縄張り争いを繰り広げるお話で、主人公は榊原郁恵さんが声をあてていて、シブがき隊の御三方がお名前そのままのキャラで声を当てたりしていた人形劇です。
この人形劇も、子供むけにしてはわりとハードな展開だったように思うのですが、数年を経て分厚い原作本に出会いました。
小6ぐらいかな?たしか近所のお兄ちゃんが子供むけの本を処分する時にわが家に声をかけてくれて、いくつかもらってきた本の中にありました。
30年近く前に読んだ本なんですが、今だに若干トラウマ気味のこの本。子供ながらに読み終わったあと、これを子供むけの人形劇にしようと思った人すごいな、と思ったのを覚えています。
それぐらいずどーんと重かった。
まず最初、ヨゴロウザが野良猫たちの縄張り、ナナツカマツカで意識を取り戻すところから始まります。ヨゴロウザはなぜかそれまでの記憶がなく、自分が誰なのかすら(猫であることまでも)わかりません。そこで出会った片目という猫が、それは記憶喪失だと教えてくれ、そしてなぜか片目はヨゴロウザを知っており、名前も教えてくれるのです。
彼の願いは野良犬たちとの争いに勝ち、猫の国を作ること。ヨゴロウザは片目に協力することになり、やがてナナツカマツカのリーダーへと祭り上げられていくのですが、群れで行動する犬達に対して、団結するという概念がそもそもなくて自由気ままな猫たちをまとめることは容易ではありません。
やがて強権的になっていくヨゴロウザ、仲間の死、狂気を帯びていく片目。この辺りからどんどん子供向け感は無くなっていきます。
何もかも忘れてしまい、赤ん坊のようだったヨゴロウザ。猫であることも忘れ、猫らしい行動というものさえ失っているヨゴロウザはいわゆる自我を喪失した状態なんです。その状態からまた自我を獲得していくのですが、その過程では片目の影響が大きく、どんどん彼のイデオロギーに染められていってしまう。野良犬との戦いのための軍事訓練や統率を重んじ始め、“猫らしさ”と言うものを失い独裁国家的なものへとつきすすんでいくヨゴロウザにじわりとした怖さを感じます。
争いと死、暴力と支配。危機を前にしての狂騒。
いやいやいや、子供が読むもんじゃない気がする!!
と、ちょっと茶化しをいれたくなるぐらいヘビーな内容です。
野良犬の方もエグくて、わざわざ殺した学者猫の死体をヨゴロウザ陣営に投げ込んで動揺を誘うとか、いやそれもう『仁義なき戦い』やん……。
“草”(マタタビ)依存症の猫とか出てくるんですけど、もう完全に薬物依存症のそれで、しかもめちゃくちゃリアル。
作者の上野暸さんは戦前生まれで学徒動員にも行ってらっしゃる年代の方なので、おそらく身近で見られたことがあるんでしょうね。ヒロポンが合法だった時代の方ですから……。
そういったことを合わせて考えると、全体主義と戦争へと突き進んだ、上野氏が体験した時代を写し込んだ風刺なのかもしれません。
野良犬との戦いは思わぬ結末を迎え、猫たちは平穏を得るのですが、平和が戻った時、猫達はまたかつての自由気ままさを取り戻すのです。
それはある意味当然のことなのですが、連帯を求めていた片目にとってはそれは耐え難いことだったのです。そして片目の狂気が向かう先は……。
トラウマ必至の片目の行動、そして明らかになるヨゴロウザの過去、タイトルの意味。
いやもうほんと、大人が読んでもしばらく引きずりますよ。一般文芸読むようになってた歳で読んで良かったです。うっかり児童書しか読んでない時に出会ってたら、シビアすぎて本当にトラウマになってたかも。
語り口といい内容といい、めっちゃめちゃハードボイルドです。なんだろう、読後感はちょっと『インファナル・アフェア』初めて見た時の感覚に近いかも。善悪の間にい続け、別の自分を演じ続けることで脅かされる自我、善にとどまるか、悪をも飲み込むか、また個と組織の関係と、そんな色々考えさせられる感覚が似てる気がします。
ラストも暗喩的でめちゃくちゃ重い読後感。
でも、今思い出してもすごくいい小説だと思うんですよね。含んでいるテーマが本当に複雑で一言で言い表せない。
つくづく思いますが、これやっぱり児童書のカテゴリには収まらないです。
また乾いた書き口がめっちゃめちゃハードボイルド。人形劇のソフトでちょっとかわいらしいイメージを持たれている方にはぜひ読んでいただいて、驚いてほしいです。
近いところで言うと、『流れ星銀牙』かな。でもあれよりダークかも。
やっぱり児童文学は侮れない!