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嫌なもの・悪いものには蓋

どこかで聞いたことがある.
人が車を運転していて事故りそうになるとき,ぶつかりそうな対象から目を逸らせなくなってしまうのだと.

これって普段の生活にも言える.

何か嫌なことがおきたとき,何かを失敗してしまったとき,
ずっとそのことについて考えてしまう.
他にいくら良いことがあろうと,目を向けずに.
そのことでずーっと悩むし,後悔してしまうのだ.

目を向け続けてしまうと否が応でも記憶の中に強く残ってしまう.
それは結局自分の首を締め続けてしまう.

***

学生時代のときに,とある団体に属することになった.
その中で私より2個上の先輩がいたのだけれど,私とどうにも合わなかった.距離の詰め方が私からすると急すぎたのである.

相手に悪気はないことは重々承知していたし,ここで険悪ムードになって周りに気を使わせたくなかったため,私は表面上合わせることに徹した.ただやはりストレスは溜まっていくため,友人と会うときの一番の話題はその愚痴だった.

ある日,友人にいつものように愚痴を言っていたら言われたのである.
「それ,結局好きなんじゃない.」と.

私は苦手だからずっと愚痴を言っていたのに,全体を通してみるとその人のことを考え続けていることになってしまっていたのである.

嫌な思いをさせられていると思っていたけれど,私も愚痴を言ったり思い出させることで,自分自身に嫌な思いをさせていたのだ.

そこからの行動は早かった.次期には団体をやめることを表明したし,やめてからは連絡先をすべて断った.
そのことで,その人に関する情報がもう入ってくることはないし,友達に延々と愚痴を聞かせることもなくなった.

***

これは非常に極端な例だけれども,嫌なことや悪いものに意識を向け続けることは心に非常に負担がかかるものである.
克服するというのももちろん素敵だと思う.考え続けたからこそ,分かる魅力もあるかもしれない.

しかし,度を過ぎたものや頑張りすぎて息切れしてしまったら,スッパリ切るという選択肢を増やしてもいいのではないだろうか.
これは逃げではない.自分を守るためのものである.

嫌なものには蓋.
それまでかけていた時間を好きなものに使っていこう.
そう自分にも言い聞かせ,今日は眠りにつこう.

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