書と画
私が小学4年生くらいだった頃の冬休み、母の姪が家に泊まりに来ていて、私の書き初めの宿題をみてもらい書道のコツを教えてもらったことがあった。書道は小学校の授業以外で習ったことは無かったけれど、お姉さんの教え方が上手かったのか学校の先生にたいそう褒められた。
さらになんと、区の展示会への出展候補として最終2人まで残り、出展用の課題文字で書き比べたが学年1人の枠で惜しくも選ばれず。書道を習っていた男子の作品が選ばれた。
精一杯書いたので悔しくはなかった、むしろお稽古に行っていない自分が親戚に書き初めの指導を受けただけでここまで行けたことが嬉しかった。
大人になってから、ふと思い立ち書を習いに行った。「書道」ではなく「書」というのはその教室の先生の教え方が「書」だったから。「道」は型のようなものだけれども、歴史などから基礎を学び、個人の解釈の中から道を開拓していけば良いという大らかなお考えの先生だった。私は篆書に興味があったので、文字の歴史から学べるその教室にすっかりハマってしまい白川静先生の『字統』も購入し、書と文字の歴史の勉強に励んでいた。しばらく通っていたのだが、しかしちょっと遠かった。仕事が忙しくなったり引っ越したりするうちに行けなくなってしまった。
美大でもタイポグラフィや書体の授業を専攻科目に入れたのは、やはり文字への興味があったからなのだが、今思えば小学校時代にちょっとだけかじった書道のコツ、あの時から始まっていたのかもしれないと思う。
でも今は主にイラストや絵を描いているので、文字に関することを仕事や趣味に活かしているかというと、そうでもない。
けれども全く関係ないかというと実は絵に繋がっているような気がしてこの記事を書き始めたのである。
まずはお手本通りに書くのが書、力を抜きながらスッと線を引いて筆を持ち上げ気味にした後にトメ、手先ではなく腕ごと動かしてグッとハネやはらいに持っていく。実はこの呼吸のような筆の運びを無意識に水彩画でもやっている。
植物細密画を学んだ時にも何となく書に通じるものがあるような気がしていた。見たままを写実に、丁寧に、呼吸をするように。
植物画に限らず自己流のペットの似顔絵などもそうしている。
仕事でイラストを描く時にはアナログよりもデジタル画が多かったりするし、デフォルメタッチが多いのでペンの運びは少し違うけれど、やはりアナログに近い表現に近づけたり、デフォルメする場合は極端に線を削ったり特徴を大げさに表現するので、体で覚えているアナログの運筆をそこに再現している。
思えば「書画」という芸術の分野も存在する。私はその道を目指しているわけではないが、可能性は、もしかしたら表現の一部としてあるのかもしれない。
今も書に興味はあるのだけど、そこにかける情熱や時間を絵に注ぎたい。だけどあの篆書やらタイポグラフィなどへの興味は無駄ではなかったんだなと、小学生の頃に無心で書いたあの文字からずっと今の私に続いているんだと気が付いて、何だか文章にしておきたいと思ったのでした。