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行動基準①感謝の気持ちを持とう 

ブックダムには10の行動基準があります。
行動基準とはわたしたちの日々の行動や在り方における一貫した指針です。
それぞれの行動基準に絶対の正解はないですが、一人ひとりが考え、定義し、実践するという主体性に委ねています。

ただし、いかなる組織もリーダーのそれが基準となり、鏡になります。
本日は10の行動基準の1つである「感謝の気持ちを持とう」について、私がどのように定義し、いま現在どのように解釈しているかを記します。



当たり前なものなど存在しない

感謝という言葉自体は、ほとんどの人が生まれてこのかた日常的に耳にしてる言葉であり、「 大事なのはわかってる 」「今さらくどい」「当たり前」と思われるでしょう。

しかしながら、私にとって感謝の源泉は「当たり前なものなど存在しない」という概念です。

呼吸ができる
歩ける
目が見える
家がある
水が飲める
陽の光がある
緑の木々がある
・・・

頻繁に意識することはないですが、これらも当たり前のことではありません。誇張でもなんでもなく、厳然たる事実です。
わたしはわたしの世界を形づくるあらゆるものから恩恵をいただいている。くどいですが、これは情緒的なことでもスピリチュアルでもない。厳然たる事実。少なくともそのような解釈をしています。

たったひとりでできることはない

ブックダムという会社を立ち上げて、事業を始めてから、果たして一人でできたことなどあっただろうか。
思い返してみると、そんなことなど1つもありませんでした。これからもそうです。
このnoteの記事を書くという、あまりにもささやかすぎる仕事さえもです。

そもそも文字を認識して記憶して出力できるという能力はひとりで養えたのか?今記事を書くためにPCを使っているが作ったのは誰だ?お前の手元までどれだけの人が関わったのか?
問いを重ねれば重ねるほど、「あ、俺何もしてねえし何もできねえや」と思い知らされるのです。

社員、著者の方々、取引先の方々、そして読者の方々。
その一人ひとりにも大切な人たちがたくさんいます。本来感謝はその範囲まで行き届かせるもの。私自身、まったく感謝が足りていない。申し訳なくなってきました。

愚かで非力で無知で未熟であるという絶望


こうして内省を深めていくと、一旦は "絶望"という駅に行き着きます。
生きているだけでどれだけの人に迷惑をかけているんだろう。どれだけ罪深き愚かな存在なんだろう。
社長としても無知で非力で未熟で申し訳ない。
許しを請うたところで何にもならない。鈍い痛みが全身を覆い、絶望の海を漂います。

「 感謝の気持ちを持とう 」について向き合い続けると、落ちるところまで落ちるのがお決まりです。でも、それでいいと感じています。
思いあがったら終わりの始まりのような気がしていますから。

一日一回 まずは大切な人を思ってみる

この前とある方と話していたとき、感謝について対話が深まりました。
結論として、「 一日一回、大切な人を思ってみる 」ということから始めてみるのが一つの真理なのでは、という"希望"の駅に終着できたのが印象的でした。

家族(祖先含めて)、社員、お客さま、取引先のみなさま、まだ見ぬ読者のみなさま。日本。世界。地球。宇宙。
限りはあるけれど、こうして生かしていただいている感謝の気持ちを、祈るように自分自身の奥深くに捧げたいと思います。

「感謝の気持ちを持とう」
当たり前のようで、もっとも自分自身の在り方を問われる行動基準。
これからも最期のその日まで問い続け、実践していきます。