【社長日記】2025年の始まりに考えたこと
謹んで新年のお慶びを申し上げます。
旧年中はブックダムのnoteをお読みいただき誠にありがとうございました。
本年もブックダムの皆で、noteをはじめとしたSNSやリアル・オンラインを通して広報活動を行ってまいります。
そして、一人ひとりが仕事や日常を通して自分だけの"生"を表現できることに繋がることを願っています。
noteをフォローいただいている皆さまに、何らかのかたちでプラスになれば大変嬉しく思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
一日は一日
テレビをつけても、スマホを覗いても、街を歩いても、「 お正月だな 」と感じるわけですが、普段と変わらず日は昇り、また沈んでいく、いつもと同じ24時間が与えられた1日なわけです。
わたしは今日も生きて一人で過ごしていましたが、同じように一人で過ごされていた方もいれば、ご家族やご友人と過ごされている方も多くいらっしゃったと思います。
働かれている方もいらっしゃれば、産声をあげた新しい命もあり、この世を去られた命もあるでしょう。
日々、すべてと言っていいほど目に見えないところで何かが起きていて、何かが生まれては、何かが終わっていく。それは今日も明日もずっとそうでしょう。
何が言いたいかというと、決して元旦が特別でわけではなく、と同時に、毎日が特別で二度とない日であるということを、ひとり噛みしめていたわけです。
人生とは 今日一日のことである
かの有名なデール・カーネギーの名言ですね。
人生の真理はもうとっくの昔にわかりきっています。
今というこの瞬間を生きることの大切さは、デール・カーネギーにとどまらず、数多の先人達が説いてきました。
わかりきっていながら、自分事に置きかえて振り返ると「もっとできたんじゃないか?」が山のように積み重なっているわけです。
その瞬間瞬間では精一杯生きてきたことは間違いありませんが、課題が山積し、受けた恩義に対して何も返すことができておらず、理想との距離がある現実を目の前にすると、今の自分の考え方や行動の量や質をヨシとできません。
肯定するとか否定するということではなく、今日は昨日と比べてより良くなれたか?という問いに、具体的かつ迷いなくYESと答えられる一日×365の2025年にします。
未来の自分に誉めてもらえるように
いつ人生の終わりが来るか誰もわかりません。
もし今信じている使命があるとすれば、ミッションとビジョンを実現して、菊池奈起を生き切ったなあと清々しい気持ちでいる自分が、数十年後の未来に待ってくれているのを想像しています。
未来の自分を「大いなる何か」といった概念にも捉えています。
「よく頑張ったじゃん」
「2025年の変化と成長がターニングポイントになったね」
未来の自分にそう誉めてもらえる2025年にします。
あ、最後に。
新年のご挨拶を色々な方とやりとりしていましたが、久しぶりな方とのコンタクトもとれて、こういう節目はありがたいな、お互いに生きているってありがたいなと思いました。
と同時に、普段何気ないふとした瞬間に、気になったら言葉を贈ることも大事だなとも改めて気づきました。
生きているって当たり前じゃないですから。
2025年の始まりに、そんなことを考えていました。
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