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宮本隆司『九龍城砦』の廃墟跡で思い出す、90年代J-POPサウンドの全盛期

90年代のJ-POPがやっぱイイよね~、という意見に深くうなずいてしまうのは、もちろん僕がそのころに高校・大学生活を送ったという同時代感によるものだ。あの頃のミリオンセラーを振り返ると、1991年の「SAY YES」、1992年の「君がいるだけで」、1993年の「TRUE LOVE」あたりまでは、まだ80年代の名残が色濃く残っていたが、その流れが大きく変わったのが1994年からだろう。Mr. Children が「innocent world」と「Tomorrow never knows」を大ヒットさせたこの年、もう一方では「恋しさと せつなさと 心強さと」が街中で流れ、翌1995年には「CRAZY GONNA CRAZY」と「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」がテレビの歌番組をジャックし、そして1996年の「DEPARTURES」で小室サウンドが最高潮に達した。

たびだちの日はなぜか風が強くて、という歌詞に背中を押されるように、あのとき僕が向かった香港。このタイミングでしか行けなかったと思うし、いまでも行っておいてよかったと感じる。すべりこみで間に合ったという思いは、香港が中国に返還される前に行けたということだけでなく、実はもうひとつ、香港名物だった市街地どまんなかに離着陸する香港国際空港(啓徳空港)の閉鎖前に行けた、ということだった。香港の夜景は100万ドルという手垢のついた表現で形容されることも多いが、それは確かに素晴らしいまでの景色だった。もはや存在しない空港と、消滅した飛行ルート、あのとき飛行機に乗っていた人にしか見ることが出来なかった夜景を文字通り目の前にし、僕はここに来て本当によかったと強く思った。


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だけれども、香港に行こうと決め、準備を進めていたころは、やっぱり遅かったのではないかという後悔ばかりが先に立っていた。中国返還前に、そして啓徳空港の閉港前に行けたにも関わらず、である。僕の気持ちを消沈させたのは、啓徳空港近くにあった九龍城砦がすでに取り壊されてしまっていたからである。

無計画な増築の連続で、複雑怪奇な威容を見せつける、この巨大なスラム街は、もちろん無法地帯でもあり、普通なら近づきたくもならない場所だった。だからこそ、数多くのクリエーターたちの興味と想像を喚起し、映画やドラマの舞台につながっていったのだ。海外旅行が珍しくもなんともない時代になり、行ってみたい場所にいつでも簡単に行けるようになった今、どこに行きたいかはもはや問題ではない。そうではなく、いつの時代に行ってみたかったという方が、はるかにその人の考えていることを引き出せるのではないかと思う。

僕にとっては、それは香港であるが、もちろん現代の香港ではない。僕が初めてこの地を訪れた中国返還前でもない。そのもっと前、九龍城砦が清濁をすべて飲む干すような圧倒的なエネルギーを放っていた頃に、行ってみたかったのだ。宮本隆司の写真集『九龍城砦』は、香港に旅立つ前の僕が本屋で買い求めた一冊であり、今も大事に本棚に置いている。いつ眺めてもそこにある光景に魂を奪われそうになるほどに、今も地場の魅力に溢れており、僕はこの写真をみるたびに、そしてその後も香港を訪れるたびに、もっと言ってしまえば90年代J-POPのあの懐かしメロディが耳に届くたびに、その脳裏には、なぜ僕はもっと早くこの地を訪れることができなかったのだろうか、という悔いても悔い切れないほどの記憶が鮮明に蘇るのである。ミスチル桜井が Tomorrow never knows と歌い上げるあの声は、だからもっと早く行動すべきだったのに、と自分が責められているようで、今も聞くたびに懐かしさと同時に心臓が縮むような思いをするほかないのだ。


SF作家、ウィリアム・ギブスンが、長編小説『あいどる』を書くために参考にしたといわれる、「九龍城砦」の伝説の写真集が装いを新たに復活する!「時代も国家も、そして善悪をも超越した九龍城砦は、永遠の時間の中でいつまでも屹立し続けているに違いない。」(宮本隆司)。香港に鎮座していた高層スラム「九龍城砦」が消滅して20年が過ぎたが、今もなお、人々の心を捉えるのはなぜか……。巨大高層コンクリートスラムの内部に入り、その姿を活写した宮本隆司の写真集『九龍城砦』が、デジタルリマスター版にて復刻、在りし日の城砦の詳細が、全点断ち切りによる大胆な迫力あるレイアウトで甦ります。