世界の本窓から

海外の旅50ヵ国ほど。旅のおともはノンフィクションを中心とした読書。いつかあの場所であの本を読みたい。どこへ行っても地元の酒を飲むのがスキ。

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海外の旅50ヵ国ほど。旅のおともはノンフィクションを中心とした読書。いつかあの場所であの本を読みたい。どこへ行っても地元の酒を飲むのがスキ。

最近の記事

芸術都市バルセロナのアパートメントで暮らす|ガウディ建築に囲まれて

海外に旅行にいくのではなく、短期間でも暮らしてみるのなら、絶対にバルセロナがいいとずっと思っていた。 地中海に向かって開けた明るく陽気な街。カタルーニャ州の州都としての歴史と独自性。サッカーチームは世界最強だし、豊富な魚介類に地場野菜でつくるうまい料理も最高だ。ピカソやダリを始めとする数多の芸術家たちに愛されたのも納得である。バルセロナに住んでみたい理由を挙げたら、それこそ続々とステキな魅力で埋め尽くされそうだが、そんななかでも僕がもっとも好きなのが、ここがガウディ建築の街

    • マンガ大賞受賞作『乙嫁語り』の舞台|中央アジア・キルギスの大草原で駿馬を駆る

      書店員を中心にした各界のマンガ好きが選ぶ、その年いちばんの推しのマンガを選ぶのが、この「マンガ大賞」だ。過去歴代の受賞作や上位ランキング作品には、ずらりと注目作が並び、なにかオススメ漫画を探しているのなら、ぜひこうしたリストから選んでみてもよいだろう。 そんなマンガ大賞の2014年大賞受賞作が、森薫の『乙嫁語り』だ。ときは19世紀後半、場所は雄大な中央アジアの大平原。遊牧して暮らす人たちの日常を描いた、じつにユニークなこの一作が、大ヒットした『僕だけがいない街』などの他作品

      • 地球の裏側へ|世界遺産の至宝ペルー・マチュピチュに向かって3泊4日標高4,000メートル越えのトレッキングに挑戦

        毎年毎年、世界のいたるところで増え続ける「世界遺産」。そして、その数が増えれば増えるほど、さらに注目が高まり世界中からより多くの人を集めるのが、the 世界遺産 of 世界遺産、とでも呼ぶべき限られた場所だろう。そんなひとつが、ペルーのマチュピチュであることに異論は少ないと思う。なにしろ、TBSの長寿番組「世界遺産」の、記念すべき第1回がまさにそのマチュピチュ遺跡だったのだから。 そんなマチュピチュに僕が行ってみたいと思ったのは、子供のときに観たNHKアニメ「太陽の子エステ

        • ヒマラヤ山脈の麓に佇むチベット仏教の王国|神秘と幸福のブータンで雷龍に出会う

          いつか行ってみたい国といったアンケート調査で、毎度上位に顔を出すのがブータンだ。とくに、2011年の東日本大震災後には、新国王夫婦が新婚旅行で日本を訪れ、ブータン熱は一気に高まったのを覚えている人も多いだろう。ヒマラヤ山脈の麓に位置する、総人口70万人にも満たないこの小さな国は、静かに厳かにチベット仏教を信仰する王国であり、その神秘性が旅人を惹きつける理由となっているように思う。 関連する書籍が他の国々に比べて極端に少ないことも、ブータンをいまなお謎多き国という印象を与える

          映画『恋する惑星』で描かれた、香港にしかない日常と非日常

          1994年に制作され、日本では翌年に公開された映画『恋する惑星』。あの当時、これを観て香港に恋しなかった人などいないだろう、それくらい衝撃的にチャーミングな映画だった。フェイ・ウォンの歌声にセンスあるカメラワーク、そして若かりしトニー・レオンに金城武の競演で描かれたすれ違う恋愛模様。それらを全て監督したウォン・カーウァイの手腕は、彼に一躍世界的な映画監督としての名声をもたらし、それまではどちらかというとブルース・リーとジャッキー・チェンだった香港映画界を大きく変える記念碑的作

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          宮本隆司『九龍城砦』の廃墟跡で思い出す、90年代J-POPサウンドの全盛期

          90年代のJ-POPがやっぱイイよね~、という意見に深くうなずいてしまうのは、もちろん僕がそのころに高校・大学生活を送ったという同時代感によるものだ。あの頃のミリオンセラーを振り返ると、1991年の「SAY YES」、1992年の「君がいるだけで」、1993年の「TRUE LOVE」あたりまでは、まだ80年代の名残が色濃く残っていたが、その流れが大きく変わったのが1994年からだろう。Mr. Children が「innocent world」と「Tomorrow never

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          沢木耕太郎『深夜特急』を手に、あのとき僕もバックパッカーの旅に出た

          有吉弘行と言えば? と聞かれて、ちょっと前なら毒舌キャラとか、あだな付けの名人などと答える人が多かっただろうが、いまなら何と言う人が多いのだろうか。もしも、猿岩石のヒッチハイク旅が真っ先に頭に浮かぶならば、間違いなく僕と同年代ということになるだろう。 あの当時、いまならコンプライアンス的にアウトとなりそうな、無茶ぶり企画を連発して人気を博していたテレビ番組『進め!電波少年』。その新プロジェクトが、あの「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」だったのである。若手お笑い芸人をオーディ

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