幸せになることに対し妥協をしてはいけない 僕のマリ「書きたい生活」を読んで
「常識のない喫茶店」で鮮烈なデビューを飾った僕のマリさん2冊目のエッセイ「書きたい生活」を読んで思うことがありnoteを書く。
「常識のない喫茶店」は1年前くらいに手にとったろうか、妙に気になる表紙とパンチのあるタイトル。
店のルールに"お客さんと喧嘩してもよい"というものがありクレームを言ってきた客に「は?じゃあーもう来ないでください」ときれる(笑)
世間一般のフィルターを通せば「んな、非常識な」と思う人もいるだろうが、そもそも「お客様は神様だ!」のような風潮がまだ残っていることにヘドが出てしまう。
客は客だ
コンビニでたまに異常なほど無愛想な店員がいるが逆に清々しさを感じる。
無駄に笑顔を振りまかなくていい。
会計してくりゃーいい。
少しの勇気で今後のストレスが少しでも軽減するなら、それに越したことない。
黙っている=許容したと判断されてしまうため、自分が快適に過ごしたいなら声をあげることも時には必要なのだ。
さて、今回の主題でもある「書きたい生活」は「常識のない喫茶店」の続編であり、著者が喫茶店を辞めたその後の日常を綴っている。
前作同様、僕のマリさんの考え方や価値観にとても共感。本作でいくつか心に残った箇所について言及していきたい。
小さな不快にも目を背けない
社会は理不尽であり何かと我慢を強要される。
でも、それって当たり前として受け入れなくてはいけないの?
嫌なものは嫌と、怖いものは怖いと何故言ってはいけない?
大人だから?そんなの関係ない。
生きている限り、自分が幸せになることに対して妥協したくない。
無理をしても何も生まれない
どんなに強い人でも無理が続くといつか壊れる。
”壊れる”ってモノに使う表現であるが、この表現はとてもしっくりくる。
昨年ブームになったドラマ『silent』でも仕事を無理をして続ける主人公に友人が同じような言葉を掛けている。
現実問題、学校や会社といった組織にいると
無理をしなければならないことが山ほどある。
断って会社にいづらくなったらどうしよう
いじめの標的になったらどうしよう
断ることで自身の成長を妨げてしまったらどうしよう
色々なことが頭に浮かぶが仮に自分の立場が
危うくなったら逃げちゃえばよい。
草食動物が肉食動物から逃げるように。
人間だけが逃げて批判されるが戦略的な逃げは大あり。
自分の価値を作る
安請け合いをしない。
例えば、結婚式のウェルカムボードを絵のうまい友人に頼む際、当然の如くタダでお願いするような不届き者がいる。
このようなお願いをされた際に自らの価値基準が定まっていないと了承をしてしまう人もいるだろうが、間違いなく搾取である。
自らを高く見積り過ぎてもダメだが低くしても損をしてしまう。
自分ができることは他の人も当たり前のようにできると思っている人が多く見受けられるが、決してそんなことはない。
ただ、そのことに気付くには自分の世界にとじ込もってはいけない。
人と話すことで「あれ?自分が当たり前のようにしている○○は皆できないんだ!」と気付き、価値観を相対的に判断できるのはないか。
終