死と再生の線香花火(読書記録21)
■一ノ瀬ユウナが浮いている
今回読書記録をつけるのは、乙一著:『一ノ瀬ユウナが浮いている』。
ある日不慮の事故による無念の死を遂げた一ノ瀬ユウナと、その死を受容できない主人公大地。彼がユウナが好きだった線香花火をつけると、死んだはずのユウナが現れる――。
ユウナは幽霊なので、大地以外には見えない、触れられない。線香花火を点けてからしばらくの間しかこの世にいられない。線香花火自体も、特定の花火でしか現れられない。といった制限があります。
特定の線香花火でしか現れられない設定(しかもその花火は製造中止。市場分しかない)のおかげで、ユウナを呼び出せる回数に限界が定まり、残りの回数が迫ってくるという、大地にも読者にも緊迫感を与えます。
大地はユウナを呼び出し、彼女の願いを叶えることで、ユウナが思い残したことを一つ一つ、解き放っていきます。けれど、大地がユウナを呼び出したのは、彼自身の心残り、ユウナに自分の気持ちを伝えるということを叶えるためでした。しかし、大地はそれを先送り先送りにしていきます。
大地は想いを伝えられるのか、ユウナと大地の行く末は。
ぜひ、小説を読んで確かめてみてください。
■死の猶予
流行っているものとして、異世界転生ものの話題が出てきます。主人公の大地はそれを様々な宗教の考え方を寄せ集めたもの、という考え方をもつのですが、ユウナと大地の在り方と、異世界転生ものの在り方は、どこか異なるようで通ずるところがあります。
異世界転生ものは、死んだ人間の意識を保持しつつ、新しい体に生まれ変わるわけですが、きっかけが「死」であることが特徴的です。同じく、ユウナも「死」を迎え、肉体こそ失ったものの意識は生前のものを保持している点で、異世界転生ものと共通しています。
両者ともに、「死」を猶予されて先延ばしにされている点が特徴的です。そして多くの異世界転生ものが不遇な境遇にある主人公が特別な立場に置かれ、不遇だった生前の無念を晴らすという内容であると同様に、幽霊のユウナで描かれるものもまた、生前の無念を晴らしていくことなのです。
残念ながら異なるのは、異世界転生ものはハッピーエンドで終わり得るのに対し、ユウナと大地を待ち受けているのは、残酷なまでの現実だということです。死者はこの世を去り、生者は残された世界を生きていかなければならない、その現実が。
それだけに、「死」を猶予された二人の時間は愛おしく、線香花火のように輝くものとなるのですが。
私たちの死後は、どうなるのでしょうか。異世界に転生すると考えれば、死の恐怖も少しは和らぐのかもしれません。生の果てに待つのが永劫の虚無だと考えると、それだけで恐怖の塊を口から押し込まれたように、窒息する息苦しさに圧し潰されそうになります。
■ユウナが開いた道
大地は特にこれといって秀でたところのない、平凡な主人公です。それだけにやりたいことも見つからず、夢を持って生きる周囲を眩しく感じるようになります。幼少の主人公は、ユウナが将来東京に出るから、と東京の大学に入ることを考え始め、ユウナの死後、線香花火で呼び出せるようになってからはユウナが叶えられなかった東京の生活を叶えるために、東京の大学を受験します。
東京にオープンキャンパスに行った大地は、東京タワーでユウナにこう言います。
大地の人生はユウナありきでした。就職先に選んだのも、出版社。きっとユウナと出会って、漫画好きの彼女の影響を受けていなければ進路として選ばなかったでしょう。ユウナが大地の人生を意図せざるものとはいえ、そこまで導いたのです。
みなさんには、そうした出会いはありますか?
もしあったなら、大事にしてほしいと思います。私は残念ながらそこまで劇的な出会いはありません。大学を選んだのも、小説家になりたいという目標があったからですし、就職先も本が好きだからで書店を選びました。今の仕事は生活の必要上に迫られて、と言えるでしょうか。人に影響されて、というよりは自分の中に確固たるものがあってそれに従った結果と言えます。立ち位置的には、大地の幼馴染たちが近いですね。明確にやりたいことが決まっている。
■夢とわたし
ユウナは東京で漫画家になるのが夢でした。その夢を叶える前に命を落としたわけですが、今を生きているみなさんは、自分の夢は叶いましたか?
私はいまだ夢の途上です。叶うかどうか分からない夢。歩いている道が正しいのか、それすらはっきりとは分かりません。ですが、たとえ結果的に夢が叶わなかったとしても、私は後悔しないと思うのです。後悔しないだけの努力をしてきましたし、今もしています。むしろ今の方が絶賛努力中ですね。だから、確信をもって後悔しないと言えるのだと思います。
いや、私は後悔するかも、という方もいると思います。そうした方に、ユウナが子どもの頃書き残したメッセージを送りたいと思います。
〈了〉