考えすぎる人たちへ。
ーー考えて考えて、考え抜く人たちへ。考えても考えても分からず、行動してみても分からず、苦しんでいる人たちへ。そんな素敵な人たちへ。同じように苦しんだ漱石が、血の涙を流して書いたであろう小説「行人」の一節をお届けします。
あなたにはこの「兄さん」の苦しみがわかりますか。ーーー
下の記事の続きです↓
漱石「行人」より。考えすぎた人間の苦しみ。
あなたの兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、知的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生まれてきたような結果に陥っているのです。
兄さんはもう何でも構わない、というような鈍なところがありません。必ず何か定まったものがないと承知できないのです。しかもそのものの形なり程度なり色合いなりが、ぴたりと兄さんの思うつぼにはまらなければ是としないのです。
兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分がこうと思った針金のようにきわどい線の上を渡って生活の歩を進めていきます。その代わり相手も同じきわどい針金の上を、踏み外さずに進んできてくれなければ我慢しないのです。
しかし、これが兄さんのワガママから来ると思うと間違いです。
兄さんの予期通りに兄さんに向かって働きかける世の中を想像してみると、それは今の世の中よりはるかに進んだものでなくてはなりません。したがって兄さんは美的にも知的にもないし倫理的にも自分ほど進んでいない世の中を忌むのです。だからただのワガママとは違うでしょう。
兄さんは自分では自分のことを馬鹿らしいと心の底から思っています。その苦しみに耐え切れず、水に溺れかかった人のようにひたすらもがいているのです。わたしには心の中のその争いがよく見えます。しかし天賦の才と教養の工夫とでようやく鋭くなった兄さんの眼を、ただ落ち着きを与える目的のために再び暗くしなければならないということが、人生の上においてどんな意義があるでしょうか。よし意義があるにしたところで、人間としてできる仕事でしょうか。
わたしはよく知っていました。考えて考えて考え抜いた兄さんの頭には、血と涙で書かれた宗教の二文字が、最後の手段として踊り叫んでいることを知っていました。
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの3つの物しかない。」
兄さんは言いだしました。
「しかし宗教にはどうも入れそうもない。死ぬのも未練に食い留められそうだ。なれば、まあキチガイになるしかないな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は正気なんだろうかな。もうすでにどうかなってるんじゃないかしら。僕は怖くてたまらない。」
(新潮文庫 夏目漱石「行人」より)
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