#464 他人には変わってもらえるのは稀
澤円さんのVoicy澤円の深夜の福音ラジオ 【第614回】「後悔への対応&他人は変えられる?」を聴いたことのアウトプットをもうひとつ。
澤さんがリスナーからの質問に回答する回で、他人は変えられるかについての話。
他責にするタイプの人が同僚にいて、その人の行動が自分の中でモヤモヤしていて、「こういうふうに変えた方がいいんじゃないか?」と伝えたら、「そんなこと言うアンタが最低だ」とガンと言われた。これについてどう思うか?という話ですが、はっきり言うと、他人は変えられません。諦めましょう。
「あなたが変わるべきだ」というコミュニケーションは、100%上手くいかないと思った方がよい。
百歩譲って、ものすごく信頼関係が構築できている間柄であっても「あなたがこうやって行動を変えるべきだ」と言っても通用しないと思った方がよい。もし、信頼関係が構築できているのであれば、「あなたがこうしてくれると私は嬉しい」というコミュニケーションは可能かと思う。
自分の好きな相手が、自分のことをもっと好きになってくれる可能性があると思ったら、行動や振る舞いを変える理由にはなる。
しかし、「あなたがこういうふうに行動を変えるべきだ」と言われて「あー、そうか」と気づいて行動を変えるというのは、はっきり言って確率は極めて低いと思った方がいい。
ましてや、信頼関係がきちんと構築できていない相手からすれば、それはただのノイズで、余計なお世話にしかならない。
「相手が行動を変えてれるといいなぁ」と思ったら、ものすごく親しい信頼関係になって、絶対に価値観が共有できていると思えたら、初めて「こうなってくれるといいなぁ」という要望としてお伝えするとのいうのが、せいぜいかなというところ。過去と他人は絶対変わらないというのが前提。
変えることができるのは自分だけと考えた方がいい。
(中略)
「この人の行動がよくないなぁ、自分は不快に感じるなぁ」と思うのであれば、「不快である」ということを伝えるのは手段としてはアリだと思う。
ただしそれは、相手としては、受け入れる理由が何もないので、それに対して反発することも、これは自分は受け入れなければならない。
不快であるから、「私はそれを不快だ」と受け取り、そして「あなたが何かそういう振る舞いや言動をしたら、何回でも不快ですよ、と言いますよ」と宣言をするのかいいかもしれない。その権利は一応ある。ただし、それを言ったことによって、事態が好転する確率はほとんどないので、それも含めて自分で受け入れるしかない。
「後悔への対応&他人は変えられる?」
「他人に変わってほしい」と思うのは、相手からすれば、こちらの勝手な話です。
同じ意見の人が複数いたとしても、その意見が刺さらない限り、その人にとってはノイズにしかなりません。
逆に、特別親しかったり、信頼が構築できている相手以外から言われたとき「はい、わかりました」とはならないと思います。
本当に気に障って、相手の言動や行動が自分にとってストレスになってしまうのであれば、距離を取るのが一番よいと思っています。
その人に対して、変わってもらうための言い方や接し方を変えたところで、そんな労力は無駄になるでしょうし、その人との仲が良くなることはないと思います。
その労力を惜しまないくらい、その人のことが好きだったり、期待したりしていない限りは、距離を取ったりスルーすればよいというのが、これまでの澤さんの話を聴いての私の考えです。
刺さらない相手への「べき論」の押しつけは、お互いがハッピーから遠ざかるだけで、他人には変わってもらえるのは稀ですね。