#364 怒られることにビクビクせず自分の人生を生きる

澤円さんのVoicy澤円の深夜の福音ラジオ 【第484回】「自分がどうありたいかを問い続ける大切さ。」を聴いたことのアウトプット。
澤さんが、とある会社の勉強会で講演をしたときに受けた質問で、他人が怒ることに自分の行動を制限してしまう話。

講演の終わりとその後の懇親会の最中に受けた質問の中で印象深かったのが、「何か自分がやろうとしたときに上司に怒られる。そのことをどう思いますか?」という質問を受けた。
「怒られる、ということによって自分が行動するのをやめる」というのは、僕の中では他人の人生を生きているひとつの表れじゃないかなぁと思う。
もし、自分が正しいと思っていたり、これによって会社や組織や世の中がすごく良くなると自分で信じているんだったら、まずやってみればいいじゃないかと思う。
でもそのときには、「上司に怒られるからこれはやめておこう」と判断する人がまあまあ多いように思う。
そうやって自分の行動を制約してしまうのは、ちょっともったいないかなと思う。
「自分がこうありたい」と思うのであれば、そのために必要な行動は片っ端からやればいいし、それを「もしかしたらこうかもしれない」「あの人は怒るかもしれない」「あの人は嫌だと思うかもしれない」ということに縛られてしまって、自分が行動するのをやめるというのが、一番つまらないんじゃなかと思う。

私は、人一倍怒られるのが苦手です。相手は注意のつもりでも、私は「怒られた」と受け取ってしまうこともしばしばです。
なので、「怒られるからやめておこう」という心理はわかります。
でも、澤さんがおっしゃるように「他人に怒られる」という理由だけで自分の行動を止めてしまうのは、たしかにもったいない。
怒られても死ぬわけではないし、その行動をしない後悔が怒られることより大きくなる可能性が大いにあります。
もし怒られたとしても、過去に怒られた数秒か数分と「やっぱりあのとき行動すればよかった」と思う出来事のどちらが心に残っているか想像してみると、後悔の方が大きい人が多いのではないでしょうか。
他人に怒られることにビクビクするより、自分の人生を堂々と生きる癖をつけていけるとよいですね。

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