今日の読書『情報生産者になってみたー上野千鶴子に極意を学ぶ』
お茶はいかが?
日々乃 夢です。
本を読み、考える毎日の中で、分からないことがますます増えてきました。そんな中、久しぶりに手に取った本からたくさんのことを学んだので、紹介します。
上野ゼミ卒業生チーム(2021)『情報生産者になってみた―上野千鶴子に極意を学ぶ』筑摩書房
です。
私は情報生産者?
2018年に出版された上野千鶴子著『情報生産者になる』の続編となる『情報生産者になってみた』ですが、両方合わせて読むと学びが深まります。
私は、『情報生産者になる』を大学院入試の準備期間に読みました。
大学院入試で必要な研究計画書を書く上で、どのように研究を進めていくのか、どのような問いがあるのかなど考えを深める上で頼りにしていた一冊です。
今回の『情報生産者になってみた』は、上野千鶴子ゼミに所属してい方たちが、研究者になった現在から上野ゼミの様子を振り返る内容です。
ゼミ発表で何を感じていたか、何を学んだか、何が研究を続ける熱意に結びついたかなどが書かれているので、研究者を志していなくても何かを学んでいる人にとって参考になるところが多いと思います。
今回改めて読んでみて、多くの発見がありました。
一度目には気が付かなかった部分に気が付いたのです。
最近は、「とにかく論文を書く、毎日少しずつでも書く!」と思っていました。しかし、『情報生産者になってみた』を読んでいて次のことを考えたのです。
「書くことばかりに気がいって、中身が伴っていないのでは?」
「何を研究したかったのだろうか?」
そして究極的には、
「どうして研究しているのだろう?」
ということです。
もちろん、書きたいことがあるからこそ論文を書いています。それでも、目標が「論文を書くこと」になっていて、論点が置いてきぼりになっているのではないかと気が付きました。
「これだ!」と思って始めたはずの研究が、「これだったっけ…?」と不安になってきたのです。
(とはいえ、その不安に向き合うことは大事だと思います。)
上野ゼミが始まった最初の気持ちについて、次のように書かれた箇所があります。
この箇所を読んで、私も初めてゼミに出席した日を思い出しました。「この学期が終わっても何も完成していなかったらどうしよう…」と不安になりました。
そして何度ゼミを重ねても、結局いつも「次に来る時に何も進んでなかったらどうしよう」と思います。とても緊張感があります。
緊張が続くと疲れてしまうので、意識して生活にお茶を取り入れています。
問いとは何か?
研究をする上で、問いは欠かせません。しかし、問いは思ったよりも言葉にしようとすると難しいものだと感じます。
私の研究生活は、大学院に入学してすぐに研究計画書を見直すところから始まりました。大学院入試に合格しても、研究計画書は見直すところばかりです。
改めてリサーチクエスチョン(問い)を箇条書きにしてみると、「これは既に他の研究者が論文で扱っているな」「これは答えるには大きすぎる問いだな」など上手くいきませんでした。
今もまだ問いを言葉にすることは難しいと感じることがありますが、『情報生産者になってみた』で印象的な一文がありました。
この一文を読んで、「本当にその通りだな」と納得しました。
指導教授が「この問題を解いてください」ということは無く、学生が「こんな問いがあります」と示すことで初めて研究が始まります。
私は、教授に会うたびに「そもそもこの研究の問いは…」という話になるので頭を悩ませます。
しかし、次なる壁があります。
先行研究の収集です。
先行研究がない?
先行研究は、研究の土台となる大事なものです。これまでにどのような研究がなされていて、どのような視点から問題が指摘されているのか、どのような国や地域で研究が行われているか、などまずは学びます。
そうして、議論を始めることになります。
しかし、先行研究があまり無い(あるいは存在はしているけれど自分が読める言語ではない、自分の手に届く範囲にない)ということがあります。
とはいえ、先行研究が無いということはまだあまり手が付けられていない研究分野ということです。
新規性は高い、けれど未知の研究です。
こうした研究に挑むのは大変ですが、似た視点で書かれた論文は必ずあるものだと思っています。既に存在する論文をどのように読み解き、必要な資料を集めていくのか、それもまた研究の日々だと感じます。
先行研究として助けてくれる資料はきっとまだまだあるのだろうと思いながら、私も良き先行研究となるような論文を書きたいと思っています。
Google Scholarという論文検索エンジンを開くと、次のように表示されます。
先人たちが積み上げた研究の上に、あなたは立っているのですよ、というメッセージです。また、私はこの一文を目にする度に、巨人になれなかった人(研究が頓挫したり、頓挫させられた人)も想像します。
『情報生産者になってみた』には、そうした生き残れなかった人についても書かれています。
今は遡れない時代に遡ることが出来るのは、その時代に記録を書き残した人がいるからであって、自分一人で研究しているのではないということを感じます。
私は、1人で黙々と日々を過ごすことが多いのですが、Google Scholarのページを開くと今は亡き研究者を想い、今日もどこかで情報生産に努めている人がいることを想うことがあります。
情報生産者になったなら
『情報生産者になってみた』というタイトルは非常に面白いと感じます。
情報生産者になった、でもなく、情報生産者たちでもありません。
どこか控えめな印象すら覚えるこのタイトルは、情報生産の難しさと苦しさ、そして面白さを示していると思います。
研究の日々の中で、情報を常に吸収しながら、情報を生産することはとてつもない作業だと思います。
一文を書いては消し、書いては消し、やっと出来ても書き直し…
情報生産者になったと感じられる日が来たら、どのような気分だろうかと想像しています。