「年賀状はやめます」というハガキ
先月の中旬、友人Mからハガキが届いた。丁寧な言葉遣いで、来年分からの年賀状を出さないことにしたという旨が記されていた。いい意味で、ちょっとした衝撃だった。
その友人とはもう十年以上会っていない。電話もしていない。年賀状のやりとりだけのつきあいになっていた。だからそのハガキを読んだとき、「そうだよな~」という思いの〝ちょっとした衝撃〟を受けたのだ。
Mと同じようなつきあいの友人や知人は何人もいる。私が現役をほぼ引退してからはその状況に拍車がかかった。いつの間にか年賀状がこなくなったり、こっちから出さなくなったりという人もいる。
そういう状況のなかで、年賀状のやりとりをやめようと明快に意思表示をしてきたMのハガキは新鮮にさえ思えた。
年賀状でのつきあいしかない人には、いっそのことMのように意思表示をしようかと思った。そうすればお互いにすっきりするではないか。「今年は年賀状が来なかったけど、何かあったのかな」とか「あいつもついに面倒になったか」などと気を回すこともなくなる。
形骸化した年賀状などにたいした価値はない。多忙な年の暮れ、儀礼だけの年賀状に手間をかけるのは無駄だ。それに、今年は郵便料金の値上げもあった。
そうだそうだ、年賀状なんかやめちゃおう、という気分になる。しかし、師走のなかばになってからMのようなハガキを出すわけにはいかない。こういうことにはタイミングというものがある。Mはいいときに出したものだと感心した。たぶん、ずっと考えていたのだ。
そんな丁寧でなくても、何も言わないまま出さなくなってもいいではないかとも思う。現にそういう人もいるし自分でもそうしているのだから。
ところで、Mはすべての人にそのハガキを出したのだろうかと疑問が浮かんだ。つまり、虚礼廃止宣言だ。Mのハガキの文面からは、そのことは読みとれなかった。たぶん、ほんとうにつきあいのある人には出すのだろうと私は推測する。もしそうなら、年賀状本来の姿に戻ったということになるのではないか。
現代ではネットの普及が著しく、年始のあいさつもSNSで簡単にすんでしまう。カネもかからず、元データさえ作ってしまえば瞬時に、しかも多人数に送信できるからわずかな時間ですむ。
過渡期には「そんなことでは失礼だ」とか「誠意が感じられない」とかという声もあったようだが、いまや制圧されてしまったように思う。
日本郵便によると、令和7年用の年賀はがきの当初発行枚数は10億7000万枚だそうで、 昨年の14億4000万枚より3億7000万枚の減少(率で25%)とのこと。 比較が可能な平成16年用以降では最大だそうだ。
63円だったハガキ代は10月1日から85円になった。たぶん、日本郵便にしてみれば、値上げしなければ苦しいということなのだろう。そして、消費者はますます離れるという負のスパイラルに陥るのだ。
こうして時代は変わっていくのだなあと、しみじみ思う師走のひととき。