父の話をするということ
*自死の話が出てきます。苦手な方や読みたくない方はそっと閉じていただけたらと思います。
これから誰かに家族のことを話すときに、フラットに父のことを話せるようになっていけたらいいなと思う。
私の父についてはこちらをご覧ください。
今まで何気ない会話の中で「ご両親は元気?」と聞かれたら元気ですよと答えてきた。
でも、なんとなく嘘をついているような嫌な気持ちになるし、家族についてもっと踏み込んだことを聞かれたらどうしようと不安な気持ちになる。
そして何より、私のその受け答えは父の死、父の存在を否定することになってしまうのではという考えに至った。
日本は他の国と比べて、自死を特別視したり偏見があったりするそうだ。
たしかにそう言われると私にも思い当たるところはあって、親しい人に父が自死で亡くなったことを伝えようか考えるとき「こんなに優しい相手はショックを受けるのではないか。知らなくてもいいことをわざわざ私は伝えようとしているのではないか。」と悩む。きっと病気や事故などによるものであればこんなに悩むことはないだろう。
父のことはほとんど覚えておらず、自死であったことを聞かされたのは二十歳を過ぎてからだから、もはや身近な人というより遠くの他人の死について受け止めるような感覚さえあったこと、
私自身はその死因について今はもう否定も肯定もせずに受け止められていると思っていたにも関わらず、だ。
最近グリーフサポートをされている方とお話しする機会があってそのことに気が付いた。
冒頭の話に戻ると、周りの人は悪気なくたわいのない会話の中で家族の話をしているだけなのだから、私だって暗くならずに「父は私が小さいときに亡くなりましたが、母は元気ですよ」って答えればいいんじゃないか(自死については最初からわざわざ言う必要はないかなとも思うけど)。
子どもの頃はお父さんお母さんが居るのがいわゆる一般的な家庭だと思っていて大多数の同級生はそうだったけれど、この年齢になると両親のどちらか、あるいは両方がなんらかの理由で亡くなっている人だって多くはなくても居るわけだし、
私にとっては子どもの頃よりは父について伝えやすくなった。
言いたいと思えない相手にまで打ち明ける気はないけど、伝えることも今まで通りやり過ごすことも選べるようになっていけたらいいな。
それが私にとって父の存在を肯定していくことになると思うから。