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冬枯れ

 冬枯れの桜の木に、雪がうっすら積もっている。冬の朝は遅い。電車は動いていてもまだ薄暗く、歩くたびに出る白い息の方が空よりも明るいくらいだ。
 駅と高校を繋ぐ並木道を、私はわざとゆっくり歩いていた。転ばないようにではない。サクラが必ず追ってきてくれると分かっていたから。私はじっと、待ち兼ねているのが分からないように、ゆっくり歩を進めるのが習慣になっていた。
 「ユキ!」
 案の定、後ろからサクラの声がして、私はこれまたゆっくりと振り返る。そして、気持ちの昂りに気付かれないように息を吸う。
 「おはよ、サクラ」
 「おっはよ〜、寒いねえ!」
 彼女の手を掴もうとしたその瞬間、駆け足のサクラが雪に足を取られる。
 「危ない!」
 私は必死にサクラの両手を掴んだ。転んだらきっと、その冷えた手を、私に預けてくれなくなるだろう。サクラはそういう子だった。
 サクラも私の手を掴み、転ばずに済んだ。安心して私の両手を掴むその姿が、健気でどうしようもない。
 「ありがと、ユキ」
 笑いかけたその顔が、私にだけ向けられたならいいのに。
 
 今日も、サクラの右手と私の左手は繋がれている。
 女の子同士なら、手を繋いでいても何も言われない。男の子同士とか、異性同士ではこうはいかない。女に生まれた唯一のメリットだ。毎朝どうでもいい話をしながら、新雪に足跡をつける。もう受験が始まるが、こんな時間に学校に来る生徒は私たちくらいだ。
 「調子、どう?」
 「この前の私立は悪くなかったかな、浪人は避けられそう」
 「そっかあ、さすがだね」
 「サクラは?」
 「どうだろう、勉強よりも実技がなあ……浪人してでも行くけど」
 「まだ諦める時期じゃないでしょ」
 サクラは美大に行きたいらしい。本当は同じ大学に行きたかったけれど、それを理由に目指せるようなところではない。ああ、美大を諦めて、私と同じ大学に進んでくれないかな。
 そんな自分本位なことを考えている私には気付かず、サクラが笑った。
 「なに」
 「ユキのそういうとこ好き」
 無邪気な笑顔でそう言うサクラの、そのかわいらしい表情を見ることができなくて、照れ隠しのように髪を耳に掛けた。が、その瞬間、いつもあるはずのものがないことに気付き、私は足を止めた。振り返り足元を見回すが、そこは一面の雪だ。
 「ユキ? どうした?」
 「ヘアピン……」
 ない。
 ピンがない。
 「ピン?」
 「サクラがくれたピンがないの」
 「え、落とした?」
 「分かんない……」
 積もった雪のせいで、どこに落ちたのか分からない。今朝は確実に着けてきた、というより毎朝サクラのことを思って着けているのだから今日忘れたはずがない。降り続ける雪が視界を遮る。あのヘアピンは、サクラが去年の誕生日にくれたものだった。嫌だ。あれがなくなってしまったら、私とサクラの関係性まで消えちゃうみたい。焦っているうちにも、雪が何もかもを覆い尽くして隠していく。嫌だ。最悪。私が自分のことだけ考えてたから。
 私はサクラにお揃いのものをあげたことがない。プレゼントはいつも消耗品。お揃いのものをあげただけで、サクラが自分のものになったかのように錯覚するのが嫌だったから。そんなこと起きるはずもないのに。そして、いつかそれをサクラが持たなくなることが恐ろしかったから。にもかかわらず、私はサクラがくれた小さな雪のヘアピンを毎朝喜んで着けていた。なんて単純で愚かなのだろう。
 それを、無くすなんて。
 ふと気付くと、サクラも屈んで探してくれていた。こんな寒いのに。私と手を繋ぐために、手袋をしていないその手で。
 風が吹く。雪が強まる。桜並木がしなり、雪の塊が落ちた。
 私は急に恥ずかしくなって、サクラの冷えた手を包んだ。
 「い、いいよサクラ。ごめん。もう見つからないよ」
 「でも」
 「手、冷たい」
 「そんなの……」
 「いいから、ほんとごめん」
 申し訳ない気持ちでサクラの手をさする。こんな私のために。
 サクラの右手がするりと抜けて、避けられたかと思った私はサクラの顔を見た。彼女の鼻が赤い。それでもかわいいのが、ずるい。サクラは自分の髪を留める黒いヘアピンを外していた。私とお揃いの、雪のヘアピンだ。何をしているのかと戸惑っていると、ふいに目が合い、手が近付いてくる。そして、その手がおでこに触れた。
 大地から足の裏へと伝わるこの気持ちは、恋そのものだ。
 「私の、あげるよ」
 「え?」
 「ユキは前髪留めてた方がかわいいもんね」
 前髪を確かめると、いつもと同じ感触がある。
 「あ、ありがとう」
 サクラ。私の迷いも憂いも、全てサクラさえいればどうでもいいんだ。
 私にはサクラがいないと生きていけない。でも、サクラは?
 「行こう」
 もうすぐ別れることになるこの『親友』の手を、私は握った。離したくなかった。
 
 いつもより口数が少ない私をよそに、彼女は夢に向かって歩いている。
 毎年、春になるのが怖かった。
 雪が桜を覆い隠してその芽吹きを妨げるように、私はサクラが花開くのを邪魔し続けてきた。親のようにサクラを見つめ続け、誰かに奪われないように注意を払ってきた。
 今、私はサクラとの3回目の春を迎えようとしていて、この春は別れを意味していた。
 「春になったら、また探そう」
 「え?」
 「ヘアピン」
 サクラが微笑む。
 ああ、一生この雪が、解けなければいいのに。そう呪いながら、「そうだね」と微笑んだ。

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とん
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