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思案比較: 数学者とITエンジニア

長期休暇中の執筆も終わったので、空いた時間で「数学者の思案」という本を読んだ。
東京大学で数学教授をしている方が書いた、独特な視点のエッセイだ。

その中でITなんでも屋、世間ではITエンジニアと呼ばれやすい仕事をしている私が、ノートで記録しておくほど面白かったところ4点を、私見も交えつつ紹介していく。

数学者よりは、IT系の人ほうが日本は多いだろうからだ。

最近コンピュータの説明でよく扱う仕事猫フィギュア。
プログラマーやオペレーター役。

この記事ではITエンジニアと名乗れる人が読めばたぶん伝わるだろうけど、そうでない人にも可能な限りわかりやすいよう、ポケモンとかマイクラとかを混ぜながら書いていく。

サイコロとマイクラキャラのレゴ。
サイコロは確率やステータス役、マイクラキャラはアプリ等のプロセス役が多い。
冒頭は数学者役。

ちなみに私は数学が相当苦手で、くもん出版の中学生用の数学ドリルからリスキリングしているほどだが、それでもこの本を楽しく読むことができた。

KUMONで計算能力が上がるという話題を聞き、
リスキリング目的で買ったKUMONの数学ドリル。
なんと私は帯分数を忘れていた。

1.志望者を集めても、活躍できるか高い精度で判定方法がない

「1 頭の良さと研究」「数学者と頭の良さ」で、次の記述がある。

私は、数学者を志望する高校生、大学生を集めた中で、誰が将来数学者として活躍できるかを高い精度で判定する方法はないと思っている。ただし、良い方法がない中で相対的には、数学の筆記試験は一番ましな方法であって、これより優れた方法はないとも思う。

河東 泰之「数学者の思案」

これはITエンジニアの能力を確認するときも同様のことがいえる。

下手に小論文だのプレゼンだのをやらせるよりも、目の前で黒背景に白文字なあのターミナルエミュレータやテキストエディタでいろいろコマンドを打ってもらったり調べたりしている様子を見た方が、かなりマシにITエンジニアとしてのこれまでの経験の蓄積を判断できるのだ。

先生猫「君はこのviさんを知ってるかな?」
学生猫「はい!知らないです!」
これでターミナルエミュレータの利用はマズいことがわかった……

同時に、次のような記述もある。

さらに言うと、筆記試験の成績が良いから数学者として活躍できるはずだ、と言う方向の期待は裏切られるケースはたくさんあるが、逆方向の、数学者として活躍できる人は筆記試験の成績は良いはずだ、というのはまだそれなりに信頼度があるという気がしている。しかしこれにも例がはたくさんあるので、安易に試験で切り捨ててしまうと有能な人を失ってしまう危険があり、かなりの注意が必要である。

河東 泰之「数学者の思案」

こちらもITエンジニアの能力を見る際に重要になる。

世の中には、ターミナルエミュレータやテキストエディタを操縦できるとしてもまったくもってITエンジニアとしての研究の成果がみえない……つまり、技術記事も書かず、独自の視点から開発したアプリもなく、管理運用もトヨタ式カイゼンも手順書修正もせず言われたことをしてるだけ、という風に本人の研究成果が確認できない人たちがたくさんいる。

様子としては、特定コマンドを打つだけで結局システム開発ができない、要求を整理し相手と交渉・説得ができない、システムを複数人で管理するための準備ができないなどが出てくる。

しかし一方で、ターミナルエミュレータやテキストエディタを操縦できないのに上記の開発・交渉・管理をスムーズにできる人は、ほぼ見覚えがない。

その代わり、運悪くITプロジェクトに割り当てられてしまった、労務に小慣れた一般的な会社・行政の事務員のような人たちが、日々苦しそうに仕事に取り組んでいる。

彼らの毎日が少しつらそうで、いつかなるかもしれない私にも見え、それが理由で私もリスキリングしているというわけだ。

2.独創性の計測は困難だが社会性には依存?

なにかと話題になりやすい独創性や創造力、いわゆるオリジナリティについても、「1 頭の良さと研究」の「独創性と多様性」において次のように言及されている。

(そういうことを考えると、)数学者として活躍するためには新しいことを生み出す創造力と、論理や計算などに代表される数学力の両方が必要である、この両者の能力の間にはあまり相関がない、実績を挙げる前に前者の創造力を測定するのはかなり困難である、後者の学力は比較的簡単に筆記試験で測れる、といったところではないだろうか。

河東 泰之「数学者の思案」

創造力は後述するとして、数学力についてはITエンジニアに馴染みあるものでいえば、アルゴリズムやデータ構造の理解の範囲の広さとその理解度が、数学における公式を把握しておくことと同じくらいに重要になる。

「この子はサカバンバスピスの色違い、ヨシ!」
わかるに越したことはないが、これは創造力だろうか?

別にB木の亜種や、コンピュータにおける記憶領域の種類を「ポケモンのなまえ」みたいに網羅して詠唱したり、どんな種族値等を持ち最適なアプローチが何かまで説明する必要はないということだ。

しかし筆記試験でこれら「ポケモン」は測りやすく、問題として出されやすい。正直これを私が理解度の確認で使えた試しはなく、そこにいたるコンピュータ操作の過程を観察するだけでせいいっぱいだ。

そしてポケモンバトルもまた、ポケモンを理解していても勝敗はわからない。対戦をするほどであれば皆ポケモンの全てを知っているからだ。ちなみにポケモンをやっていたはずの私はまったくわからず、よく同僚たちから解説され、そのたびに忘れてしまっている。

これらは何を測っているのかといえば、論理的思考に慣れているか、つまり一般的なモノや論理はわかるか、論理と論理を組み合わせる、論理の直列性を扱えるかを確認しているのだ。

これらモノや論理と、その論理の直列性が理解できないと、Excelでまともなデータ分析ひとつこなせない。データベースも書いたSQL文に応えてくれないだろう。

いっぽう厄介なのが、これらを組み合わせてシステムを何かつくれ、プログラムを書け、みたいな、まさしく独創性にからんだ領域だ。

「マイクラで家を建てよう」みたいな話であり、豆腐ハウスからアンコールワットまで多様なわけだが、これらすべてが「建造物を建てなさい」という問いからスタートしうる。

どちらも家の形を目指してつくっている。
しかし素材も違うし、形も危険性も変わりかけている。
どちらが創造性に優れているのだろうか?

ちなみにマイクラでアンコールワットはほんとに作っている人がいて、その人の本も読んだがとても面白かった。

アンコールワットをつくれるのはマイクラでもすごいことだが、豆腐ハウスはそんなに問題なのだろうか?

これは「時と場合による」としか言えない。クリエイティブモードでない状態で複数人でアンコールワットを建設するのは、至難の業でありさらに時間がかかることだろう。

こうして、問いの答えもそこに至るステップ、すなわち独創性もバラバラになりうるが、複数人いるかどうかや、その人たちが今何を重視しているかによってはこれらの答えもステップも同じ人がやっていても異なってくる。

独創性は社会性にも大きく依存し、計測は困難なのかもしれない。ただ、自分はいじめられる、と常日頃思っている人が、わざわざ複数人のときにアンコールワットを建てるようなこともなかなかないだろうから、これまでのびのびとやってきたかどうか?と独創性に関連はありそうだ。

3.年齢を重視して得られるものは?

「2 飛び級」の「早熟と数学の才能」において、飛び級制度についての言及がある。

私が飛び級制度を主張する理由は、早熟な天才だから大事に育てるべきだからではなく、年齢によらず、各人の能力と意欲によってふさわしい教育を受けられると言う制度が、結果的にうまくいかない多くの事例も含めて、優れた社会の仕組みだと思うからである。

河東 泰之「数学者の思案」

これはITの世界も同様であり、高専時代もプログラミングをしていた同級生が私のようなITなんでも屋クラスでいろいろ独自研究しつつこなしている事例は実はほとんどない。2,3学年にふたりいれば奇跡だと思う。

彼ら同級生はほとんど同じ会社で単一のプロジェクトで終始してしまっていて、彼らが本来発揮できたはずのIT研究はほとんどなくなってしまっていた。

研究に打ち込んできた同級生たちのかつてのすがた(左)といまのすがた(右)。
いまのすがたもかっこいいが、ストレスが溜まり、土日でのIT研究は難しいそうだ。

会社にしろ行政にしろやるべきことはあるし、そこに伴わない教育は経済的に合理的ではない。選択と集中は、分たれた組織にはあったほうがよい。

そこで統合元になる公的な制度が必要になるわけだが、なかなか公的な教育機関でのリスキリングは容易ではない。そもそも大学に通いながら働けるような土壌がまだ日本だとないのだ。詳細についてはこの「数学者の思案」に委ねようと思うが、大学院生が大学生に教えて生計を立てている話はとても面白かった。

私はもともとITはかなりの範囲でGoogle検索しながらほぼ独学でスタートできることをわかってはいたので、検索をかけつつ本を買い漁ることを繰り返し、約5年で500冊を家に溜め込んだ頃には概ね独学を軌道にのせられた。

費用はざっと換算して、
1000円 ~2000円 * 500冊 = 50~100万円。

IT系以外にも金融や航空関連で買い込んだことから高くついたように見えるが、大学などに通えばこの50~100万は5年ではなく1年で消えてしまいかねない。

かといって、小中学生向けのプログラミング講座を増やしたとてうまくいくかはまだ微妙だ。どのみち私の同級生たちの後任となるだろう。

若年層向けの教育はやらないよりはマシだろうが、今後は私のかつての同級生たち(あるいはかつての先輩たち)向けに、もっと始めやすいリスキリングの制度が生まれてくれることを期待したい。

4.難問にはメリットはほぼない?

「10 難しい試験・難しい授業」「難問のメリットとデメリット」において、難問が「悪い点は、自分はこの科目に向いていないと思わせ、多くの人から学ぶ意欲を失わせる」というデメリットを持つことからも、次のように書かれている。

私には、こうした難問をやたらとやらせたがる趣味は、鉄のボールで特訓すれば普通のボールは簡単に打てるようになる、といったかつてのスポーツ根性マンガのような考え方と同類に見える。そういう考え方は全然勉強の実態に即していない。優しい問題では差がつかないから難しい問題をやらせるのだというような主張もよく聞くが、極めて疑わしい話だと思う。それほど難しくない問題でも十分差はつくし、むしろ難しすぎるとみんなできなくなってかえって差がつかなくなるのである。

河東 泰之「数学者の思案」

これはIT業界だととてもよくある状況だ。

いっさい大ごとにならない事例ではあるが、たまに適性をみるとかいいながら難問を出して煙に撒き、右往左往しているのをみて選民意識を高揚させる勘違いした人々もいる。よその会社だろうがSNSだろうが、本当によくみかけるし、私も何度か絡まれたものだ。

しかし、出題した本人自体が似たような難問に遭遇した時にはいつも手出しできず逃げて何もしてないため、相手にされなくなってしまっている。

大ごとになる事例は、人が手を下すことなくすでに生み出されていて、それをどのように定義し、どのように解くかはすでに各人に委ねられてすべてが始まってしまう。

それらの問題解決も含めて会社や行政は必要なのでしかたないのではあるが、どれだけ学校での成績が良かろうが悪かろうが、取り組む問題の難易度が高いと、ほとんど差はない。

ほんとうに少しでも先に有効な一手を打ち始められるかどうかだけにかかっているので、勘違いを抑え、一緒に問題と並走できるようにすることでしか、真の意味で効果的な授業はないのかもしれない。

どのみち難問にぶつかるのだし、みんなでなんとかしたほうが手っ取り早い。

数学とITなんでも屋のこれから

このほかにも、Pixivみたいな論文サイトarXivがあったり、プログラムは必ず書いた通りに動くと言う厳密さについて触れられていたりと面白い内容が本当にたくさんあった。

私はこの本を読んで、あまりにも遠いところにいると感じていた数学者という人たちが、実は私のようなITなんでも屋に近い視点でいろいろがんばっていることを知ることができてよかったと思う。

これで、なんとかくもん出版の中学生用の数学ドリルをまた進めることができそうだ。
よ〜し、がんばりたい……



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