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教えることは難しい: トップガン マーヴェリック感想
不可能を可能とする海軍パイロット、マーヴェリックの行き着くその先。それは、教えることは難しい。そんな私たちの日常を映していたようにも思います。
ボンクラヲタク、略してクラヲです。プログラマーです。本来はコンピュータに規範《コード》を流し込み、その規範の法益をユーザーが享受できるようにし続けるのが仕事です。そしてユーザーからの至極真っ当な意見をもらって、いろんな言い訳をしながらもがんばって規範を直していくことも。
しかし私の場合はここ数年、人も相手にしなければならない時間も圧倒的に増えてきています。それは説明する、という時間であり、教える、という時間です。
つまり教えるということは、学校にいる先生だけに与えられた義務ではなく、どこかの組織に入って時間が経過すれば、どんな仕事でも、誰でも通る日常だということなのでしょう。
土日にはなんの予定も入らないほうが多々あって、小説や絵やコードを書いてばかりなこんな根暗ボンクラヲタクにも、この役回りは回ってきてしまうのです。みなさんに回ってこないはずがありません。
トップガン教官を挫折したそのあとから始まる最悪のリベンジ
最も教えるということに縁遠い活躍を、前作トップガンでみせた不可能を可能にするパイロット、マーヴェリックもまた、トップガン教官となって教えるという道に入っていく姿のなかでエンディングを迎えていました。それはトップガンでの彼の教官、ヴァイパーに影響されたところもあったと思います。
しかし彼は二ヶ月でトップガン教官をやめさせられています。退廃的な恋愛関係のように、うまくいかなかったのです。
マーヴェリックに与えられたのは、NSAのTAO: テイラード・アクセス・オペレーションズが異次元のIT技術によって成し遂げた独裁国家の核施設への妨害ハッキングと並ぶミッション。戦闘機をもってして地対空ミサイルまみれの空から完全に破壊しにいくという、不可能なミッションです。
物語が、トレーニングが進めば進むほど、なぜマーヴェリックがトップガン教官をやめさせられたのか。なぜイラクやボスニアのような本当の戦場や、その果てに航空機パイロット史上最も危険な任務である試作極音速機のパイロットのような地獄巡りをしていたのか明らかになっていきます。
マーヴェリックは、スキルが高すぎたのです。それゆえに、不可能なミッションを受領し、誰も彼に追いつけない状態に陥ってしまったのです。
できないことをできるようにする、それが教えるということの真髄であることは私も理解しています。
しかし、責任者たちが言ってくるように、そしてそれぞれの作戦やプロジェクトや業務の目的から考えればわかるとおり、無駄が多々あることは事実です。実際に私はそういった無理なことを指摘したり、ときに書き換えたりすることも実際にしてはいます。すべての人には、この星で果たすべきもっと行うべき大切な仕事が待っているのです。機会損失は確実に避けなければなりません。
けれど今回のマーヴェリックの任務の場合は、全員が生きて帰るには、全員が死の淵に在り続けるしかないというものでした。だからこそ、トップガン教官として一度挫折したマーヴェリックは最悪の形でリベンジすることになりました。
知らないことを教えなければならないという現実
何かを教えなければならないとき、自分すらも到達したことのない技術領域であることは、つまり知らないものを教えなければならないことが、ほとんどでしょう。プロジェクトは比較的わかりやすくそういった不可能を可能にする、というものがありますが、日々の事業運用改善においてはさらに難易度が上がることがほとんどです。
そのせいでプロジェクトも、事業運用改善も、社外の人間に、たとえばコンサルに発注してしまう企業が多々あることを、私は知っています。それが製造業のような膨大な投資をしていないはずの、つまりせいぜい各製品の公式ドキュメントを読めるか読めないか程度で製品のコードひとつ修正できたことのない社外のITベンダやITコンサルが跋扈した要因だったのではないかと、私は気分が悪い時に邪推してしまうことすらあります。
その外注の大半が、結局外注先から責任を持てる組織へ巻き取ることもままならないまま残り続ける、という話を、いろんな組織の失敗談の本や政治経済なニュースで流れているのを見ていれば、なおさら邪推はエスカレートします。
そうやって八つ当たりな邪推をするのは、社内で自分がそういった役回りをするなかで、途方に暮れることが多々あるからです。
誰かに教えなければならないような状況においては、自分すらも知らない。知っていてもあまりにもいまの組織の技術からかけ離れた技術を教えなければならないことは本当によくあります。
みなさんはそういうとき、どうしているのでしょうか。
私の場合は仕事がおわったあとに巨大な本屋に向かい、まったく知見のないコーナーで本を物色し、数冊買って土日に冒頭だけでもいいから読み、再現できるなら自力でコードを書くようなことを繰り返しています。
自分でも、これはあまり健全なやりかただとは思っていません。だいたい執筆の進捗は停止します。しかし、平日にただ頭を抱えて事態をどうすることもできないまま事態を傍観し続けることこそが、私が一番精神的にえぐられるので、避けたいのです。土日にぼっちだからこそできる技ですね。
それで平日は涼しい顔をして、そのやりかたはかなり無駄があるから、こういうやりかたに見直すべきだと言って果たせたほうが、まともな仕事にもつながります。それとあとからその知見が、仕事とは無関係な形で執筆に役立つこともあります。
マーヴェリックの果たすべきミッション:インポッシブル
マーヴェリックの果たすべき任務は、エースコンバットの任務をすべて重ね合わせたようなものです。エースコンバットをやったことがある人はわかると思いますが、実質的なAll You Need Is Kill状態に突入します。
ですがトップガンにおいては死に戻りなどは許されません。だから安全性ギリギリ、みたいな訓練を行い続ける必要があります。その訓練すら死の淵に立たされる、という描写はしっかりと今作に刻み込まれています。
今回のトップガン・マーヴェリックにおいては、厳密には前作トップガンとは異なっており、トップガン卒業生の最優秀をかき集め、その彼らを伝説のトップガンが精神的地獄に叩き落とす、という構造になっています。トップガン卒業生の精神が、戦闘機撃墜判定とともにたたき折られて腕立て伏せをさせられる様はそこそこコミカルに映っていますが。
そんな無敵なマーヴェリックを精神的地獄へ追い詰めるのは、自分が願書を抜くような悪事まで働いて戦闘機パイロットの世界から遠ざけようとしたグースの息子、ルースターがこの不可能な任務に戦闘機パイロットとして参加していることです。
彼を死なせてはならない。けれどその任務を奪えば、彼は本当にマーヴェリックのもとへ戻ってくることはない。そして、アメリカは作戦目標を果たすことができなくなる。当然自分はこれまでの過去があり、自ら任務に従事することは許されない教官となってしまっていて、自分の代わりに飛んでもらうしかない。しかしそんなことはほとんど不可能です。
能力、つまりスキルを教えることと、その時々の状況を感知し、適切にチューニングできる能力、つまりセンスを教えることは、教える難易度が桁違いになります。前者は簡単にできるようになりますが、後者はほとんど死の淵で戦い続けたマーヴェリックのような熟練者のなかにしか存在していません。ほぼマーヴェリックと同じ世界で戦闘機を飛ばさせるしか手がありません。それがマーヴェリックのミッション:インポッシブルです。
ITシステムの開発や運用も似たようなものです。真に要求されるのはセンスです。スキルはあって当然の扱いです。このセンスというものは驚くほど厄介なもので、高度なIT技術を使う瞬間にだけ使われるものではありません。人間が目覚めてから行う判断のすべてにおいて使用されるものであり、その条件判定を分散するのは不可能だからです。
だからこそ、ITシステム開発や運用をチームで行うことは困難を極め、仮にチームで作っていたとしても、パレードの法則のように特定の人物がすべての判断を執行し、周囲は割り当てられた作業のみを繰り返すようになっているのが、現実の大成したプロダクトではよく見聞きするものです。
ブルックス氏の人月の神話においては、ハーラン・ミルズ氏の案を紹介しています。それはプロジェクトを執刀医が判断を下し、副執刀医がそれを補助し、その周囲の人たちがオペを補助できるようにしていくやりかた、として書いています。これは社内においては貴族政治か民主政治といえば前者に相当しています。
社内における軋轢を考えれば貴族政治は良いようにはみえませんが、現代のIT産業を見るに、IT開発における民主政治と呼べるものは正しく起きています。それは社外で起きるものであり、全く異なるコンセプトとして開発され、運用されていくものだからです。実際そうしてUNIX産業はつくりあげられ、それらによるビジネス商法とは縁遠いところでLinuxやOS X、現代のAppleのMacOSやiOSは生まれ、ほぼ取って代わられています。製品を真に選ぶのは、社内の人間による政治ではなく、利用する顧客なのだということなのでしょう。
メンタルおばけルースター
マーヴェリックの妨害によって4年遅れてやってきたルースターですが、それでも戦闘機パイロットになってしまっている時点でメンタル面において異次元の存在です。
私が戦闘機パイロットの選定について知るのは空軍F-16パイロット、ダン・ハンプトン氏の回顧録VIPER PILOT、邦題F-16エースパイロット戦いの実録、における知識のみです。
その回顧録によれば、70,000人の士官のうち、パイロットになるのは10,000人、そして戦闘機パイロットの資質を持つとされるのはわずか3000人です。空軍士官になったとして、戦闘機パイロットになれる確率は実に4.28%、これは小中学校などのクラスにひとり程度しか戦闘機パイロットになることはない、という計算です。おまけにこれは士官のみのエリートクラスの話で、配下には数十万人いる下士官も存在していることは忘れてはなりません。戦闘機パイロットに至った時点で、エリートのなかのエリートに位置付けられるのです。
今作は海軍の話といえども、4年遅れようが戦闘機パイロットに至ったルースターのメンタル面の強さは、これらの割合からみてもと異次元といえるでしょう。この事情を知っている人ほど、彼は何度もその道を否定されてきたはずなのですから。
ルースターは父であるグースを、そしてマーヴェリックをも超えるべく、自らの指針に基づき動き続けています。なによりも彼は最もマーヴェリックを額面通りに信じず、自分なりに任務を果たすことを考えて動き続けています。それが教本通りに動くこと、安全を意識して空を飛ぶこと、という一見すれば硬直した態度へと繋がってしまっているだけなのです。マーヴェリックとの空戦訓練時にはその教本通りの在り方を捨て戦っているので、まさしくマーヴェリックと並びたつことにふさわしい条件が揃っていたと言えるでしょう。
しかしマーヴェリックはルースターをはじめとする指導相手たちにどう教えればいいかわからないまま、時間が進んでいきます。それぞれに自分がみてきた死の淵の環境を提供できたとて、そこから目的を完遂する領域に至らせる方法は、マーヴェリックすらわからないからです。
空戦訓練の時点で空戦をほとんど経験していないことを見抜いたはいいものの、緩めても300フィートすなわち91メートル高度で山の間を縫うように亜音速で飛ばせるようになるのは難しく、できるようになっても超低空爆撃を二発、必ず成功させなくてはなりません。そんなとき、どうすればよいのでしょうか。
自らが飛ぶことで不可能が可能だと指し示し、すべてを背負うことこそが本当に教えるということ
アイスマンの後ろ盾を失い、やめさせられたマーヴェリックは、普通の人から見れば奇策に出ます。それが自ら飛んで不可能と思われていたことは可能なのだと指し示すことでした。それは言葉や訓練以上に強いメッセージを示す、最強の教え方です。結局マーヴェリックがこの作戦のリーダーとして出撃するに至ってしまいますが。
ITにおいても、未知の技術を使う手法があったとしても、それを実現できる人間がいなければ誰も聞く耳を持つことはありません。IT系の人たちならなおよく知っているはずです。理想ばかりで姿を示さないIT技術では、結局は食べていけないからです。製造業のような投資を必要としないITの世界においてすらこの有様であることは、知らない人にとっては少々面食らうかもしれませんが。
ですがこの道は厳しいものです。不可能が可能だと示せば、それを指し示した人間にすべての責任がのしかかります。後継者も当然自分で育てるしかありません。私も恐ろしいくらい低次元なスケールで似たようなことになることはたびたびありますが、そのたびに頭を抱えているのが現状です。
だからこそ私はマーヴェリックが教えるということや、ルースターと向き合うということに苦しんでいる姿に、深く共感するのでしょう。教える立場になっている方も、これからそうなる人も、そうなのではないでしょうか。
最後の教えは、全幅の信頼のもとに自主性を委ねること、そして後継者を守り抜くこと
マーヴェリックは作戦へと向かうことになります。僚機に、ルースターを選んで。さらに作戦の中、任務を確実に完遂するべく迷い、いまは亡き父にどうすればいい、と訊ねる彼に、マーヴェリックは代わりのように語りかけます。
「考えるな、ただ動け」
これらすべての決定は、ルースターに全幅の信頼を置いていなければできません。教本や軍の命令のように考えるな、ただ自分を信じて動け、という意味でマーヴェリックは決定を下しているからです。
ルースターはその言葉を胸に、ついに自らの心を解き放って飛び始めました。そして、核施設破壊という爆撃を、複座機のレーザー支援なしに果たします。
そして最後は命を懸けてルースターを地対空ミサイルから守り、散っていきます。
これで幕引きか、と思いました。
納得していました。
ジェームズ・ボンドとのお別れも我々はすでに経験しています。
マーヴェリックはそういった、死してなお輝く存在になったのだと。
そうならないのが、このトップガン マーヴェリックをストーリーの側面においても、伝説の作品に至らせました。
すべてを教え終わった元F-14パイロットが第五世代戦闘機と戦うという、究極の答え
「結末は見えている、マーヴェリック。お前のようなものは絶滅に向かう」
そう上官に言われたマーヴェリックは、
「だとしてもです。今日じゃない」
その答えが、全てを教え終わったパイロットが、F-14によって第五世代戦闘機と戦う姿として体現されました。
同じ戦闘機といえども、別の種類になればすべての操縦方法を覚え直す必要があると思います。それを退役済みのF-14でルースターたちの世代が行う理由などありませんでした。F-14で戦うことはまさしく、マーヴェリックにしか果たすことのできないやりかたです。
こんな続編作品としての答えをたたき出されれば、どんな古びた戦闘機での戦いであったとしても、前作トップガンを知らなかったとしても、心動かされるものです。
全てを教えて去るとしても、まだやることは残っている。
それを体現するマーヴェリックは、教えるなかで役目の終わりを意識しながらも毎日仕事をがんばる人々の、福音のようです。
そんなマーヴェリックが生きてルースターと共に帰還する。あの空母での大盛り上がりのなかで迎えられる。観客もまた、そこに向かって心が走っていく。そして何度もそれを人は映画館の外で思い返し、やがてまた映画館に戻っていくのです。
実際私は7回トップガン マーヴェリックを観に行っています。これ以上に行っているかたも多いのではないでしょうか。
おわりに
航空機を自分で飛ばしながらどうトップガンを撮ればいいか考え続け、脚本が揃ったときには海軍パイロットの資格も得て、本物の戦闘機F-18コクピット内に6コもIMAXカメラをくくりつけて飛ばし、役者たちが戦闘機で撮影と演技をこなせる擬似監督レベルにまで育ててきた。マーヴェリック役であるトム・クルーズおじさんの惜しむことのない努力によってつくられたこのトップガン マーヴェリックは、不可能を可能にした作品だったと素人でもわかるような異次元の作品でした。
教えることは難しい。そんな私たちの日常を映していたようにも思えますが、同時に決して諦めることなく果たされています。
ここまでできるかどうかはわからないものの、私も自分なりに教えることに向き合って、すべてを教え終わったとしても、まだ果たすべきことを果たして行こう。そう思える素敵な作品だったと思います。
それにしても丸の内で映画を見た時、お嬢様の方々が楽しそうに戦闘機のお話をしながら立ち去っていく姿には本当に驚きました。いい映画は、新しい層にも刺さるということの証だったんだと思います。
それを見習って、いいとおすすめされた映画はがんばって観に行こうと思っています。私自身がかなりジャンルの範囲が狭い自覚があるからです。
そしたら、誰かに教えるときにもっとわかりやすくできるかもしれないですから。