ITエンジニアの選択はおすすめできない
家の中が本まみれになってしまうからだ。
インターネットが世界を繋ぐほどに発達したこの時代であったとしても、すでに家の中に600冊を超えている。
小中学校の図書室が12000冊ほどらしいから、実に1/20スケールをワンルームで展開していることになる。
そのくせほとんどが積読で、冒頭くらいしか読まない。個人で図書室をやってるようなものだ。
しかしこれでも、IT系の本は40冊以上は会社に置いている。同僚に読んでもらい、代わりに仕事をやってもらうためだ。
家の中に残っているのはITの歴史を知ることもできる本で、いくつかはすでに絶版している。
何も僕が持っている本がすべてITに関する本なわけでもない。
みんなが好きな漫画も小説もそこそこある。みんなが好きな作品を知るためだ。
ただ、ほとんどの人が読むかは怪しい、建築、医療、歴史、安全保障、軍事、法律……そういった本もたくさんある。
それらは全部、ITシステムが担おうとしている責任を理解しようとするためだ。
現代のITエンジニアは、そうした責任を追う者としての努力が要求されてている。僕らはITシステムに関わるまでは、素人同然なのに。
だから、ITエンジニアの選択はおすすめできない。
むかしむかし、ITは新3Kとか言われていたものだ。
きつい。
給料が安い。
帰れない。
これらはいまのITにおいても、事実である。
なのにいまでは、真逆の3Kが世間に広がってる気がする。広告には、こうしたイメージが載っているかのようだ。
かんたん。
給料が高い。
帰れる。
残念ながらいまのIT世界においても、フリーランチはない。
むしろ、フリーランチの居場所は、なくなっていくだろう。
いまどきのITシステムはたくさんの業務の責任を担う。そのITシステムが止まれば業務が止まってしまう。
だからきつい。
業務が理解できて整理できる責任者になれなければ責任者と取り分は分けるしかない。
責任を負えなきゃ責任者をつかまえるまで帰れない。
金融はそのあたりわかりやすいと思う。
金融は、僕らの預金をはじめとする資産の責任を背負っている。それらがATMから引き出せなくなったのなら、当然帰るわけにもいかない。
その時には、半沢直樹の悪役のような営業や責任者といっしょにいなきゃいけなくなる。
彼らの素行の悪さ、脇の甘さ、横柄さは、そうした自分で取りきれない責任への無意味な献身、そうせざるを得ない自分の運命への諦観の表れでもある。
リーマンの親父、脱サラした学校の先生、成績だけはよかったがよれよれになって文化祭に来た、就職した先輩たちをみて、僕はそれを知った。
だから僕は、ITエンジニアになりたくなかった。
大学と工業高校の中間地点、工業高等専門学校、いわゆる高専にいたからこそ。
高専ロボコンとかに出るような連中は、メーカーに行く。僕みたいな不真面目なやつは、半沢直樹の世界に兵士として雇われるしかなかった。
僕はITエンジニア以外で食べていける道を探す選択をした。絵を人並みに描けるようにがんばったりもした。
けれど、結局はITエンジニアとして兵士となる選択をした。
絵の世界にも、なんだかんだで半沢直樹の世界みたいなものを感じ取ったせいだったのだろう。責任を負って食べていけるのは、トップだけ。特に美術はITシステムほど産業の範囲も広くない。
そうした諦観と割り切りのなかでITエンジニアになった。
それでも、ITエンジニア以外で食べていける道を探す選択をしたことは、無駄にはならなかった。
アプリのインターフェースは、ひとりでITシステムをつくれるときには自分が唯一のデザイナーで、自分で本を買って学んでデザインすれば事足りた。
スライドをつくるときは、コンサルのやりかたとデザイナーのやりかたのハイブリッドをやることで、ITシステムとして最も妥当な設計で責任者とやりとりし、納得してもらうことができた。
妥当なシステム構造を求めて様々なジャンルの本を読み漁れば、会社の中だけでは出せないもっといいやりかたも簡単に開拓ができた。法を理解すれば、様々な規定類も含めて、責任者との意思疎通に役立てることすらできた。
ITシステムが担おうとしている責任を理解しようとする。
そうしたことを大真面目にやろうとしたとき、まだインターネットの中にある情報だけではどうにも難しい。
インターネット上にある情報の大半は、まだ新聞やテレビの域が近いように思う。
リリース前からの厳しいレビュー、膨大な情報量、それにもかかわらず圧倒的な低価格。これらを賄えるのは、なんだかんだでインターネットでは電子書籍がせいぜいだ。
新聞やテレビの領域が主流なインターネットで学習してくる文章生成AIもまた、中学生くらいの読み書き能力しかないようだ。ユーザーからの想定質問づくりくらいにしか使えそうにない。
冷静に考えてみると当然だ。僕らの脳みそにあるニューロンを模倣してテストを繰り返していい感じの返答をするように再生機をつくれたとして、要するに「インターネットとテレビと新聞で世界を学んだだけの人間」でしかない。
「インターネットとテレビと新聞で世界を学んだだけの人間」に裏で走るロジックを学ばせることは難しい。本ガチャをし、辛抱強く学び、ときに教えなきゃいけないのを、僕は飽きるほど経験させられている。
文章生成AIという、僕にとっての「インターネットとテレビと新聞で世界を学んだだけの中学生」では、僕のITエンジニアとしての責任を全うさせるのはまだまだキツそうだ。
だから、ITエンジニアを続けるためには、いまのところは本を買いまくり、読み漁り、手を動かし続けるしか手がないと僕は思っている。
年に数回しか来ないだろうその日のためだけに、本を冒頭だけ読んで、そして無理やり本棚に押し込む。
そんな時代もあった。
そんな感傷にひたる日が、早くきてほしいものだが。
かんたん。
給料が高い。
帰れる。
これらの3Kを願う人には、ITエンジニアの選択はおすすめできない。
無限に続く公平なリスクヘッジなど、まだこの世界はつくりだせそうにない。僕自身も、ITシステムのすべての責任を負うことはできないからだ。
だから僕のこの歩みでも、こんなふうにしかならないだろう。
厳しい。
給料が高い。
結果次第。
「それでも構わない」
そう思う人がいたら、理想と違わぬ現実をつくるこの選択に、ぜひ参加してほしい。