見出し画像

今とっても幸せだからさ

最後に2人で会った日を覚えている。彼は最中に「ずっとこうしてたいな」なんて幸せすぎて蕩けちゃうようなことを言ってた。今考えるとお互い最後になるかもしれないと薄々感じていたから出た言葉なのかもしれない。

その日は、もう彼は家に来ることはないだろうと意を決して彼の歯ブラシを捨ててしまった直後だった。この恋に疲弊していた。もしかしたらお互いすれ違っていただけなのかもしれないし、彼に本命ができたのかもしれない。大事なことはいつも聞けなかった。もう2つも前の家に住んでいた頃の話だ。

私たちは恋人にはなれなかった。私は初めから世界一好きだったが、向こうはそういうつもりじゃなかったみたい。彼は遊び人でもないので、何を考えて2年も関係を続けたかはさっぱりわからない。

それから本当に会わなくなって、あの子と付き合ってるという噂を聞いた。私が知るもっと前からかもしれない。でもそんなのも全部、彼が最後に自分のところに戻ってくるハッピーエンドへの伏線だと思っていた。
下り方面最終電車0:41分発。乗らなければ彼は家に来る。この時間になると時計とLINEを確認する癖はしばらく抜けなかった。

彼との思い出の殆どはベッドの上、次点で酒の席。お互いそんなに恋愛経験もない大学生の頃、まるで覚えたての公式を使って問題を解くかのように身体を重ねた。どちらも無駄に好奇心と向上心があり、感想を話し合ったりネットで調べたりして実践に反映させた。外面を気にする2人は、周りの目なんてない閉鎖された7畳のワンルームで素直に笑えたんだと思う。ブラジャーのホックを外す練習もした。失敗したパスタを食べた。周りに言いにくい就活の話もここでなら吐露できた。

そんな2人からの卒業をしたはずなんだけれど、約3年振りにあからさまな意図を持って触れてきた彼の手の感触は、蓋をした感情を呼び覚ますには十分な要因だった。

男女の友情の定義は様々だと思うが、自分は恋愛感情は友達への親しみの上にあるので、なんなら友達の上位互換だと思っている。
だから最後に2人で会った日以降も縁が切れたわけではなく、飲みの席などで度々顔を合わせる仲だった。
夜から昼まで一緒にいれる相性の良さがあるから2年も続いたわけで、身体の関係抜きにしても気の合う友人である。
今やお互い別の人で心身が満たされていれば別にもうわざと触れることは無いと思っていたし、それで良いと思えるくらい大人になっていた。

なぜなら私は今の生活に不満がない。いや実際は税金とか家の日当たりが悪いとかあるけど、人生において1番充足している。
フラストレーション型人間だった自分からすれば、人は満たされると突き抜けた感情がなくなると思う。すっかり向上心や性欲も減退していた。

あの日はいつものように宅飲み後に横に寝ていた。寝返りを打った時に少し体に触れるくらいは今までもあったが、今回は違った。慣れた手つきでブラジャーのホックを外す。今は利き手じゃなくても余裕なんだね。と成長を感じている場合ではなく、今更なんの心境の変化?

朝方4時の酔いと眠気で、思考も記憶もはっきりしなかった。そういやいつから腕枕されているんだろう。軽く抱き寄せられ頭を撫でられる。以前は私がリードしていたから彼を可愛がって撫でるばかりだったのに、急に余裕のある大人の男を感じて焦る。顔に柔らかい前髪と高い鼻が触れるのがわかる。キスする。

何も言わずに彼からキスするなんて今までなかったから驚いた。初めてキスしたあの日もちゃんと了承を得てからだったし、その後は照れなのか予防線なのか不安なのか、私にさせてからそれに応える流ればかりだった。それが不安だった。

ああ、欲しかったの、これだ。
起きてるって気付いてるかもしれないけど、ずっと寝てるフリしようと思った。なのにまたされたから、吸い寄せられるように溶け合った。うまくやろうとか気持ちよくさせようとか頭が回らない。彼とは無心でキスしても噛み合う。
心臓の音が大きい。他の人なら何も思わないのに。キスなんかでドキドキするチョロい女だと思われるのは不服だ。

私は今の幸せを守るための予防線を張るためにも自分から手は出さない。前と立場は逆。
あの頃のような、キスだけで脳が蕩けるような感覚はもう無くなっていて助かった。あの恋は麻薬のようなものだった。

恋人繋ぎをさせられて、次に目を開けた時は外が明るくなっていた。寝落ちしたのは自分だけど、漫画の一話だけ見せられたみたいだ。続きが見たい。読み切りだったんだろうか。

昔の自分だったらダメだと思いつつ自分から連絡してしまうかもしれないが、大人なのでもうそれはない。
酔った男の行動に感情や論理なんてなくて欲動だけだって分かってるけど意味をつけたくなってしまうな。
せっかく忘れた感情なのに思い出させないでくれ、流されたくなるから。今とっても幸せなのに、手の届くところにあったら刺激を求めてしまうって自分でもわかってるから、気持ちの供養。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?