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哲学に親しむ ~ マルクス
マルクス
ドイツの経済学者、哲学者(1818年~1883年)。いわゆるマルクス主義の創始者。ユダヤ人弁護士の子としてトリールに生まれ、ベルリン大学で哲学・歴史等を学ぶ。はじめは急進的な共和主義者として活動したが、次第に社会主義に移り、1848年、エンゲルスと共に『共産党宣言』を発表し、ドイツの社会主義運動を指導した。その思想は、ヘーゲル左派として出発し、フォイエルバッハの唯物論、フランスの初期社会主義、イギリス古典派経済学を批判的に摂取して、独自の史的唯物論・弁証法的な階級史観などを体系づけた。とくにイギリス亡命中に書かれた『資本論』で、資本主義の矛盾を明らかにし「マルクス経済学」の理論を作りだした。また、共産主義者同盟に参加、のち第一インターナショナルを創立した。
アダム・スミスが、「市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、”見えざる手”によって知らず知らずのうちに適切な資源配分がなされ、公共の利益に資することになる」と主張したとおり、実際に資本主義を採用した国家は、ことごとく成功を収めました。それまでの特権階級があらゆる富を独占していた国家と違い、資本主義国家では、働く人々の生活レベルは大きく向上し、国家の生産力も格段に高まってきたからです。
しかし一方で、この資本主義の成功を懐疑的に思っている人物がいました。ドイツ生まれの哲学者で経済学者でもあったカール・マルクスです。彼は資本主義を分析し、資本家が労働者を搾取する不公平かつ人々を不幸にするシステムだから、必ず崩壊するであろうと結論づけました。当時の、資本主義を肯定し謳歌する世間の常識と真反対のことを言ったのです。
ただしマルクスは、資本主義社会が、歴史上まったく無意味な社会であると考えたわけではありません。いずれは崩壊する運命にあるとしても、資本主義も歴史の一段階である以上、歴史的な意味と役割を持っている、それは資本主義こそが生産力の急速な上昇をもたらすと同時に、次の社会をつくる変革の担い手を育てることにあると考えたのです。マルクスが批判した資本主義社会には、次のような問題点が掲げられます。
資本家による労働者の搾取
労働者が得られる賃金は、労働者が生み出した本来の富のほんの一部にすぎない。富は資本家に蓄積するばかりで、貧富の差が拡大、搾取する側と搾取される側の新しい身分階級を生み出す。
生産性向上のための機械化による労働意欲の低下
産業革命以降、次々に新しい機械や仕組みが発明・導入され、生産性が大幅に高められると同時に誰もが熟練なしで働けるようになった半面、機械に合わせた単純かつ長時間労働を反復するのみになり、働く喜びが失われ、ただ賃金を稼ぐだけのものになってしまった。
景気循環の発生
規則的に好不況の波が生じることとなり、大規模な経済恐慌が起こると大量の倒産や失業者が発生し、能力も意欲もあるのに働けない人々が増加、さらに大量の生産手段が廃棄される結果を招く。
マルクスは、このような問題をはらむ社会のなかで実際に生産にたずさわる労働者こそが、やがて資本主義を批判、否定し、それを覆す原動力になるだろうと考えました。そして、次世代を形づくる社会システムとして社会主義を提唱しました。私有財産を認めず、全ての財産を国家が管理し、それを各個人に公平に分配すれば、格差のない平等な社会が実現すると主張したのです。
しかし、現実には、マルクスの経済学を信奉し社会主義国家を築いたソ連や中国が、国家の解体または市場経済への移行という、社会主義の破綻を示す結果となってしまいました。歴史的にはダメな主義だったと結論づけられたのです。それらの何が問題だったかというと、大きく2つあります。
まず、「すべての階級や差別をなくす平等社会」という理想とは裏腹に、共産党官僚という新たな特権階級が生まれ、さらに自分たちに従わないものを弾圧するという恐怖政治に変わってしまったこと。そして、がんばって働いても怠慢であっても得られる収入が同じという「平等」が招いた、生産力と品質の大きな低下です。とくに前者は、労働者の自由も人権も踏みにじる最悪の非平等社会に至りました。
それではマルクスの経済学が完全に敗北したのかというと、必ずしもそうとは断言できない事情もあります。そもそもソ連や東欧諸国などが、マルクスのいう社会主義だったのかという議論があるようですし、少なくとも彼が描いたような、資本主義が行き詰まり労働者が中心となって構築するというプロセスはありませんでした。また『共産党宣言』に書かれているような「ひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展の条件となる」共同体を形成することもできませんでした。
さらに、アメリカを中心とする資主義陣営から包囲され、国際政治的に苦しい立場におかれ続けたこと、そのため軍事に莫大な物的・人的資源を投入せざるをえなくなったことなども、マルクスが考えていた社会主義の実現のためには想定外の事象でした。とはいえ、マルクスが想定した資本主義の崩壊はこれまで一つも世界中で起きていませんし、また起きる気配もありません。
本来の社会主義であれば、貧富の差はなく、景気循環も倒産も失業もありません。そうした体制をめざした国家が実際にあったことは、資本主義陣営にも少なからず影響を与え、失業対策や社会福祉の充実をはかるなど、社会主義的な政策を取り入れるようになりました。しかしながら、依然として、マルクスが指摘した資本主義の本質的な問題点は克服できていませんし、また、これに取って代わる新しいシステムも見出されていません。 けっきょく私たちは当面の間はこのシステムの中で生きていくほかないようですが、はたしてこの後、第二のマルクスが現れるのでしょうか。
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マルクスの言葉
豊かな人間とは、自身が富であるような人間のことであって、富を持つ人間のことではない。
自由であるということは、自分の幸せを選べるということでもある。
人間にとって最大の幸福は、自分を生かせる仕事に巡り合うこと。
何をするにも最初が肝心という格言は、どんな学問にも当てはまる。
無知はなんびとを助けたこともなく、なんびとの利益になったこともない。
共産主義は完成した自然主義として人間主義であり、完成した人間主義として自然主義である。
人間が集団で生きていくにあたって最も肝心な事は、一人ひとりの人間の柔軟な感性と個性に対応できるようなシステムが保証されていることである。
各時代の支配的な思想は、いつの時代でも支配階級の思想である。
革命は歴史の動力源である。
平和の意味は、社会主義に対する反対がないということだ。
支配階級をして共産主義的革命におそれおののかせよ。プロレタリアは、自分の鎖のほかに失うものはなにもない。共産主義者は世界を獲得する。世界中のプロレタリアよ、団結せよ!
共産主義の理論は一文にまとめることができる。それは「すべての私有財産を廃止する」である。
道理は常に存在しているが、それが必ずしも合理的な形とは限らない。
疑いの余地なく、機械装置は裕福な怠け者たちの数を大きく増大させた。
便利なものを多く作りすぎると、結果として、役に立たない人たちを多く作ってしまう。意識改革を説いてオチをつける論文はみな眉唾だ。
理論も大衆をとらえるやいなや物理的権力となる。
過去のすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である。
社会の進歩は女性の社会的地位によって測ることができる。
自らの道を歩め。他人には好きに語らせよ。
歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は茶番劇として。
民主主義は社会主義へと続く道である。
ブルジョア社会では、資本は独立して個性を持つが、そこに生きる人は依存しており個性を持たない。
宗教は、大衆のアヘンである。
宗教は抑圧された生物の嘆息である。
人々の幸福のための最初の必要条件は、宗教の廃止である。
人間が宗教を創るのであって、宗教が人間を創るのではない。
人間の意識が人間の存在を決めるのではなく、反対に人間の社会的存在が人間の意識を決めるのである。
哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだ。世界を変えることが大切なのに。
芸術はいつでもどこでも行われる秘密の告白であると同時にその時代を象徴する不朽なものでもある。
社会から切り離された“自我”など有り得ないし、社会と無関係に生きることなど何人たりともできない。
マルクスの著作
『共産党宣言』
1848年刊。エンゲルスとの共著による、科学的社会主義の理論と運動方針を示した社会主義の古典的著書。
『資本論』
1867年~刊。商品と貨幣の分析から資本主義経済の矛盾と搾取の解明までを論じた、マルクスの代表的著書。