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壺井栄の『二十四の瞳』を読んで

 ”時世時節(ときよじせつ)”という言葉がある。「その時々の巡り合わせ」という意味であり、作品中でも大石先生のお母さんが、娘との会話の中で使っている。

 二十四の瞳の子どもたちが多感な時期に巡り会った時世はといえば、日本の国がたいへんな激動期にあり、戦争の影によって国民が深く暗い谷間の奥底に押し込められていったような時代だ。

 それでも、大石先生がはじめて岬の分校に赴任してきた時の二十四の瞳たちは、みんな同じに光り輝いていた。それぞれに家庭環境などの違いはあったにせよ、みんなが同じ価値観をもち、同じところから自分たちの将来を夢見ていた。いつの時代にも、子どもたちの純真で生き生きとした心のありようは同じだなと感じる。

 しかし、戦争の荒波は、それからの彼らの運命を翻弄した。戦場に駆り出された男の子たちは、そのうち三人が還らぬ人となった。生きて還った磯吉は視力を失った。女の子のなかには、紅灯(こうとう)の巷(ちまた)へ連れ出された者もいた・・・・・・。

 ラストの大石先生を囲んだ歓迎会のシーンは感動的だ。見えない目で、昔撮ったみんなの写真の一人一人を指差していく磯吉(いそきち)。その指先が少しずつずれているのに、「そう、そう。そうだわ」と明るい声で相づちを打つ大石先生。

 二十四の瞳の全員がこの場に勢ぞろいはできなかったが、みんなの心が一度にあのころに戻ることのできたひと時だった。しかし、現実と夢多かったあのころとのあまりのギャップの大きさに、やがて涙せずにいられなかった彼ら・・・・・・。

 時世時節とはいえ、彼らが受けた試練や境遇はあまりに過酷だった。しかし、それに背を向けるでなく打ちひしがれるでもなく、懸命に生きている彼らの姿がとても印象的だ。自分たちを待ち受ける運命をきちんと見据え、つねに前向きに、ひたむきに生きようとする姿勢は、感動的で眩しいほどだ。

 彼らには、彼らのかけがえのない人生があった。暗さばかりでなく、そういう明るさがずいぶん引き立つ。だからこそ、よけいに辛く悲しい思いが強くなる。
 

 私ら世代が小学生だったころは当たり前に読んでいた『二十四の瞳』でありますが、先ごろ大変驚いたことがあります。勤務先の部下の若い女性が、小豆島へ観光に行くというので、「岬の分校の写真を撮ってきてくれ」と頼んだんです。そしたら彼女、「それって、何ですか?」と怪訝な顔をします。「いやいや、あの『二十四の瞳』の舞台になった所よ。知ってるやろ?」と尋ねると、そもそも『二十四の瞳』を知らないというのです。
 そんな馬鹿なことがあるものかと、職場にやって来る取引先の若い営業ウーマンたちにも尋ねてみました。そしたら、一様に「知らない」と言います。「学校で習っただろう?」と聞くと、「習ってない」というのです。彼女らは、みな四年制大学を出たバリバリのキャリアウーマンです。そんな彼女らでさえ『二十四の瞳』を知らないとは・・・。つくづく世代の格差を痛感した次第です。
 

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