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自己紹介というnoteへの感謝状


 なんでだろう。

幼稚園のとき椅子取りゲームがあった。私は椅子取りゲームが嫌いだった。椅子が1つ足りないから必ずひとりあぶれてしまう。自分があぶれても、誰かがあぶれても、ひとりあぶれてしまうことが嫌だった。だから、参加しないで眺めていたら先生に怒られた。先生は家にまでやってきて両親に文句を言った。

 なんでだろう。

小学1年生のとき

授業で発言したあと、その人が次の発言者を指名するーというルール。

大勢が挙手しているので「次、誰にしようかなぁ」と身体をクルクル回して迷っていた私に、先生が言った。

「首だけ回して探せばいいのに。なんで身体ごと回るの?ロボットみたい。みんなで〇〇ちゃんのことを今度からロボットと呼びましょう」。

 なんでだろう。

好きな紙で動物を創るという図工の時間。私は金色の折り紙でヒヨコを創っていた。

先生が来て「ヒヨコは黄色でしょ!」と言った。

それでも、金色のヒヨコを創りたい私は金色の紙で創り続けていた。

また先生がやって来て言った。

「ヒヨコは黄色に決まってるでしょ!!!みんな、ヒヨコは黄色なのに金色で創るなんておかしいね!」

 なんでだろう。

先生がみんなに「どういう物語が好きですか? 好きだと思うものに手を挙げて」と言った。

楽しい物語が好きな人?  大多数が挙手

怖い物語が好きな人?   ゼロ

悲しい物語が好きな人?  2人挙手

「悲しい物語」で手を挙げた2人のうちの1人が私だった。

先生は「普通は楽しい物語が好きなんだから、悲しい物語が好きだなんて信じられない。悲しい話が好きだなんて冷たい人だ。悲しい物語が好きだなんて言うのはどんな人か、みんなでよ~く顔を見てみましょう」と言った。

 なんでだろう。

学校の置き傘。ちゃんとそろっているかチェックがあった。

私の傘が無かった。でも使った覚えはない。数日前、自分で傘置き場に置いてあるのを見ている。絶対に使ってない。

先生は言った。「家に持って行ったんでしょ!明日持ってきなさい!」

私「持って行ってません。ずっと置いてました」

先生「じゃあどこにあるの?あなたの傘だけ無いでしょ?必ず明日持ってきなさい!」

翌日、学校に行くと先生が言った。

「〇〇ちゃん、実はこの前の夕方、急に雨が降った時に借りたのが〇〇ちゃんの置き傘だったのを忘れてたよ。だから持ってきた」

 なんでだろう。

先生にたくさんダメだと言われた。

いろんなことがあった。

幼い私を傷つけるのはいつも先生だった。

自分はダメなんだと思った。全然、まったくダメなんだと思った。

他のみんなは全員、すごくて素晴らしいんだと思っていた。


小学生のとき、誰も信用できないと思った。

「ひとりで、自分の力で生きていくんだ」と決めていた。


「自分はなんで生まれてきたんだろう」

いつも思っていた。


本を読んだり絵を描いたり音楽を聴いたり星を眺めたり

空想、妄想ばかりしていた。


大人になるとよく旅に出た。

ひとりで、日常と違う空気を吸う。

新しい匂いを嗅ぐ。

こころの奥に焼きつく色彩。

初めて訪れる異国の街で、

自分だけを頼りに歩くときの、不安感と高揚感。

片言でも通じ合える人と人。

無数にある別のありふれた日常

ちっぽけな世界に自分を閉じ込めていたら知り得ない

広い広い空を見る

あふれる光とここちよい風

列車の窓から眺める、飛んでいく景色

「ぼやぼやしてたら時は過ぎ去ってしまうよ~」

言葉、旋律、色彩、形象・・・

長い時間かかって回復した。


もう十分なくらい大人になった今は

自分はダメだなんてこれっぽっちも思っていない。

人は信用できることも知っている。

いつも助けてくれる友だちがいる。

尊敬できる「先生」もできた。

人生は楽しまなきゃと思う。


noteは

初めての世界をたくさん見せてくれる。

知らない匂い、知らない景色、知らない言葉、知らないリズム

新しい色彩、新しい細胞、新しい宇宙・・・

無限の人の、無限の世界、無限の表現を見て、ズキンとくる。

多くの人の生き様が直球で入ってくる。

誰かのnoteが、誰かを救い、誰かを癒し、誰かを奮起させる。

そうして自分をも解放している。


そんなnoteに感謝。

という自己紹介。










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あとりえぽえとりあ  
素晴らしい世界をたくさん見たい。たくさん感動したい。知らない世界を知りたい。幸せは循環させたい。ありがとうございます。

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