明日を思い煩うことなかれ
生前、父親は庭にエサ台を作って、やってくる野鳥にエサをあげていた。
初めは何か残り物とか、鳥が食べそうな物を置いたたりしていたが、いつからかパン屋さんでパンの耳を買ってきて、ハサミで細かくちぎってあげていた。
父が亡くなり、やがてエサ台は朽ち果て、忘れられた。
それなのに、いつからか私も、庭にエサを撒くようになった。
やってくる野鳥は何種類かいるけど、年間を通して毎日食べにくるのはスズメ。
まるで散歩やご飯をねだって、寝ている飼い主を定時に起こしにくる犬のように、毎朝、スズメ達は庭にエサがないか偵察にやってくる。
だから、その声で目を覚ます。
やってきたスズメをがっかりさせたくない。
5,6月は子育ての時期らしく、しばらく前には営巣のため小枝を集めていたスズメが、今は周囲を窺いながらエサを口にくわえ、木陰に潜んで待つ子スズメに食べさせていたりする。
私が通った小学校と自宅の間に市街を流れる川があった。
その川には鯉がたくさん泳いでいる。
学校帰りに、給食で残したパンを橋の上から投げて、鯉にあげていた。
鯉は競って食べる。
川沿いの道を人が歩くと、その振動が合図となって鯉は近くによってくるし、橋の上から身を乗り出すと、その影を察知して、鯉は欄干の下に寄って来る。
振動や影が現れると天からエサが降ってくると思っているのだろう。
最近、スズメや鯉を見ると思う。
マタイ福音書の一節。
明日を思い煩うことなかれ。
空を飛ぶ鳥を見よ。
彼らは明日の糧を心配などしない。
明日のことは明日自身が思い煩うであろう。
今日の苦労は今日一日だけで足れり。
スズメは、生まれ、飛び、食べ、生きて、やがて死んでいく。
鯉は、生まれ、泳ぎ、食べ、生きて、やがて死んでいく。
人は、生まれ、食べ、生きて、やがて死ぬだけではない。
経験したり、感動したり、考えたり、想像したり、、
だから悩んだりもする。
スズメはエサを探して今日も飛び回る。
たぶん、エサを探す事しか考えていない。
今、食べるエサを。
明日のエサのことは考えていないだろう。
けなげに。無心に。純粋に。
エサの無い日はただひもじく夜を過ごすだけだろう。
大雨で増水した川の濁流をしのいで、また、何もなかったかのように鯉は泳いでいる。
今日も、明日も。
今を生きるとはそういうことか。
どこかにエサが見当たらなくても、うちの庭にくればエサがあるよ。
そんな風に。
きっと私も生かされている。
今日もスズメが飛び回っていた。
明日を思い煩うことなく。
たぶん。
そして夕焼けがとてもきれいだった。
何も思い煩う必要なんかないんだ、きっと。