愛していた人を嫌いになってしまうのはとても悲しいことだ。 ひとたび嫌いだと思うと、嫌なところばかりが目につく。 結局私の「愛」は、ただ障害の前で自己陶酔していただけだったのかとも思う。 対等な関係は、全く築けなかったという自覚はある、それは始まりがそういう関係だったから。 嫌なところはいくらでも出てくる、一体何が好きだったんだろう。 きっと、憧れていたんだ、確かに、人を惹きつける魅力がある、そしてそれは何かと表裏一体だ。 結局、私のことを好きだったのではなく、好きになって
相手について好きになったところが、嫌いになるところだと知って、ものすごく腹落ちしている。そしてこれどうしたら解決できるのかという悩みも。 私を女ではなく人間として見て尊敬してほしいとずっと思っていたけど、私が自立していなくて男に依存しているから、結果としてそんな私を好きになる、つまり女としてしか見てない男からしか好かれなかったということ。 君と身体が合うところが好きだったし抱き方も好きだったから、そこが嫌いになってしまった。 つまり、全ては私がそう仕向けてきただけのこと。
なんだかモヤモヤと考えてしまう、日曜の夜は大抵眠れない。 最近少しずつ何か見えてきた気がする。 なんか、私が欲しいのは父性だ。 泣きたい時に泣かせてくれて、甘えたい時に甘えさせてくれて、お話を聞いてくれて、そしてご飯を一緒に食べて、一緒に寝る。 キスもセックスも必要ない。 ましてや、セックスしたくない時断るなんて愛がない、なんて無茶苦茶なことを言われたくもない。 なんか、そんな安心した場所だと感じ取れたならば、もっと安心した場所と繋がりたくなって、セックスにつながると思う
なんだか疲れて生命力が衰えてる気がする。 イマイチ調子が出ない。私の人生は恋愛中心に回っていたから、それがぽっかりと無くなって軸を無くしたコマみたいな。 恋って、いつかしなくなるものなのかしら? どうやって始まってどうやって終わるかも、なんとなく、わかる、気がする。 愛はそこにあるって信じてればあるし、無いと思えばない、なんか神様みたいだ。 どうして恋は冷めてしまうのに、愛を続けられないんだろう? 恋も愛もいつか消えて無くなってしまうものでしかなかった、きっとこれから先
自立と孤立について、考えてみた。 人に頼れる状態にあることを自立だと。 寂しいと伝えることも自立が足りないなんて言われちゃうなんてなんか、寂しいね(笑) 自立してたら結婚も恋愛も必要ないのかな? 経済的協力、合法的性欲処理、子供の養育とかの合理的な理由がない限り不要なんだろうか?そういうことにならない? バランスを欠いてるなぁと自分でも思うけど、頼ることと依存することのバランスがわからなくて、多分ずっと孤立してる。 悲しさも辛さも自立してないからだと思ってた。でも消化
夫婦の間にだって、隠し事はあって然るべきだと思うし、一人に全てを話す必要もない。 この話題はAさんに、この話題はBさんに、それぞれ話せる相手がいればいいと思う。 何かでも、ずっと思ってる、もう少し言葉が通じる相手が欲しいなぁと。 よく言えば深淵なる、悪く言えばメンヘラな、私の悩みや生きづらさを、共有できたらいいのに、と思う。 でも一方で、言葉なんて千切れて消えてしまうものだし、一晩経てば言いたかったことなんか忘れる、こうして文章にしたためておけば済む話なのかな、なんて思う
人は孤独だ、それは十分わかってるのに、ものすごく寂しく悲しくなることがある。 誰とも合わない、なんかその自信はある。 どこまでいっても、傍にいてもらうためにセックスする、その姿勢は変わらないから、私にとってセックス は、つらい。 性欲からするセックスも、そばにいて欲しくて嫌われないためにするセックスも、好きだという感情からするセックスも、どうしてか寂しい。 お腹がすいたら一人でご飯を食べればいいし、眠くなったら寝たらいい、なのにどうして、セックスは、合わせなくてはならな
君にとってのセックスはなんだろうかとか、私にとってのセックスはなんだろうかと考えてみた。 多分二人にとってとても大切なものだったことは確かで、今もそれなりに大切なんだろうけど、なぜ大切なのかは全く違う気がしている。 そして、この数年の間にも、少なくとも私にとっては、少しその理由が変わってきたかもしれないと思っている。 長らく制約のある恋愛ばかりしてきたので、私にとってのセックスはきっとちょっと歪んだものになったのだと思う。 (歪んでいると言えば君も歪んでいる) なんだか
向き合ってくれて、嬉しかった。 案外いろいろバレてるもんだ。 すごくすごく好きで、嫌われたくなくていろいろ我慢してたことが嫌過ぎて、もう今度は素直になるぞって決めた反面、好きになるのを少し抑えようと思った。 好きだとなんだかいろいろ振り回されて、辛くて悲しかった。 だって君は結構ひどいこともよく平気で言うからね! なんか、少しずつ人に頼らなくても生きていけるようにと頑張って過ごしてきて、人を信頼したり好きになることは、やっと確立した「一人でもまぁ平気」を毀損しそうだから、
責任ある関係性になることは、失う怖さとセット販売で、もう2度とごめんだとも思う。 結局誰と居ても誰とも、合わない。そりゃそうなんだよ、他人なんだから。 合わなさを、どうしたら受け入れられるか自分でもわからないし、受け入れなくてもイイのかもしれないけど、合わないな、と思った瞬間に諦めて閉ざしてしまうほうがよっぽど楽だとも思う。 やっぱり、血の繋がりがないと、家族にはなれないんじゃないかなぁ? なんか、夫とか妻とか父とか母とか、肩書き?に縛られたくないとすごく思う。 苗字も変
案外、届いていて、驚いた。まぁ、よしとしましょう。 少しずつお互いの違いを受け入れていっているのかもしれない、とても素晴らしいことだ。 まぁいろいろ特殊な環境状況下にあったからっていうのもあるんだろう。 まともな思考をするには疲れすぎた、まともな思考なしでは、君との関係はただ心地よくて幸せで甘いだけだ。 もっと、馬鹿に生まれたら、幸せだったかな?? 平和にボケると争いは起きちゃうのかなぁ、なんて思ったり。 素敵な時間を思い出して、とりあえずゆっくり眠りたい。
人生の虚しさや、豊かさや、喜びや、悲しみを、誰と分け合うのが正解なんだろう? 相手が一人である必要はあるのかな? 自分を抑圧していい子になろうとしてばかりいたから、本音を話します。 きっともう届かないだろうから、遠慮なく素直に言わせて。 ありがとうと、ごめんなさいは、ちゃんと人として、言ってほしい。 性欲以外でも、愛情を表現してほしい。 私を異性としてでなく人間として見て欲しい、認めてほしい。 抱かれることは別に必須でないし、大事じゃないんだよ。抱きしめてもらうために、
本当に人の気持ちは変わるものだ。 何事もコミットすることはリスクを負うことで、リスクはヘッジするもの。笑えるくらいに、変わる。 尊敬、感謝、謝罪。 自分は何もしてもらえなかった、だから何もしない、そんな負の連鎖をこの世代で断ち切る。 弱さには、もう負けない、やはり、安らぎなんて、幻想だ。 性欲の代償は、愛情ではない。そこに、意味はない。 愛のあるセックス が、愛のないセックス に変わっただけなのか、もともと愛なんかなかったのか、そこは少し気になってはいるけど、後から何
節目を共に過ごせるようになったことを、本当に幸せだなぁと感じた。 お互いが何故か生きづらさを感じてバタバタしてるのを、変なの、と笑ってそばで手を取り合って生きていくのも素敵なんじゃないかと最近思う。 信頼するということは、裏切られるということ。 人は変わる。 信頼したい気持ちと、裏切られることを恐れる気持ちが対立していて、つらい。 裏切られても傷を最小限にしたい、そのために、不可侵な余裕をどこかで保持したい。 でも、自分はそんな器用じゃ無いことも知ってる。 頼るとか、甘
四年が経った、らしい。早いのか遅いのかわからないけど、私たちは、そんなに簡単には離れられない関係なのかもしれない、と少しずつ思うようになってきた。 なんだかいろいろ価値観も合わないしとにかく違うし、きっとお互いのことなんか死ぬまで分からない、そんな自信はある。 なぜだろう、それなのに、なんだか一緒にいた方がいいような気がしている。 私たちの人生の大半は会社というとても生きづらくて神経がすり減る環境で蝕まれてる。 特に何か希望も夢もあるわけでなく、なんとなく生まれ持った脳力
意味だとか、理由だとか、正しさとか、あるべきとか。 考えても答えが見えなくて、きっと答えなんか自分で決めるしかないんだろう。 まだ決められないかもしれないけど、包み込まれるのはとても幸せで温かくて、何にも代えがたかった。 君とわたしは出会ってから、人生が大きく変わった。 そして案外君は、この数年で変わった。 わたしもこの10年くらいを振り返ると、この数年は比較的大きく変わったと思う。 人と人はなぜ共に過ごすのか、理解もしあえないのに。ずっと考えてる。 全てを相手に合わせる