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「幸せになるための訓練」について本気で書きました
30数年生きてきて、30代も後半の年齢ですが、人生は辛いことも悲しいこともありました。
それでも、大事な家族を突然失ったり、自分の命の火が消えそうな大病にかかっているわけでもありません。
毎日の食事に困るほどの貧困だったわけでもありません。
教育にお金をかけてもらえず、進学を断念したという訳でもありません。
金銭的理由で、希望通りの道へ進むことはできないなどの制約はありましたが。
それでも公立学校から大学まで進学しましたし、小学生の間は習い事にもいくつか通わせてもらえました。中学生からは塾にも通わせてもらえました。
勉学の機会を損なうほどのことはありませんでした。
人間関係の悩みも多数抱えていました。
でもそのおかげで、学んだことも数多くあります。ストレス耐性も多少は付いたのではないかと思います。
今は自分にストレスの少ない形で人間関係を維持していますし、家族や、少ないながらも、仲の良いお友達もいてくれて感謝しています。
そういう意味では私は今十分幸せだと思うのです。
人生で今が1番幸せだと思えます。
高須クリニック院長のYOUTUBEを聞きました。院長先生は「現代人はなぜ幸せを感じにくいのか」について語っておられました。
高須クリニック院長の、現代人が幸せを感じられない理由の導入部分に、マズローの5段階欲求を挙げていました。
現代人は欲求ピラミッドの底辺部分をほとんどクリアしています。底辺部分で悩む人は数少ないのです。少なくとも日本という国では。
命の保証もあり、人権もあり、社会保障もあり、安全で飢餓もほとんどない。
既にみんなピラミットの底辺部分を持った状態でのスタートという訳ですね。
(それなら現代では、その底辺部分はもうないものと同じではないかと思ったりもしましたが。)
それなら昔の人と比べると、私たちはほとんどすべての人が、昔の人たちよりも幸せに生きているはずなのに
そうは単純ではないのですね。
それはなぜか・・高須クリニック院長の動画からいくつか記憶に残った部分をピックアップして自分なりの解釈で書きます。
理由①:幸せとは主観的なものだから
金持ちでも幸せと感じられない一方で、貧乏でも幸せを感じる人もいる
理由②:他人と比較してしまうから
昔はコミュニティが小さくてそんなに人の情報が入ってこなかった。人のことを気にする必要がなかった。
それに、昔はみんな貧しかったしみんな我慢をしていた。それが普通だった。今はすごく貧しい人もいればすごく裕福な人もいる。
現代はインターネット等により大勢の人の暮らしが入ってくる。昔よりも多くの人の話が入ってくる。その中にはすごく幸せそうで裕福な人の話もある。そういう人の話を聞いて、自分と比べて劣等感を感じてしまう。
理由③:睡眠不足・運動不足
昔の人の方が睡眠の質や運動量では圧倒的に質が良かっただろう。
夜遅くまで仕事をしたりしない。テレビを見て夜更かししたりしない。肉体労働などで体を動かしていた。
現代人は睡眠不足。睡眠不足で幸せホルモンが減少してしまう。労働環境も変わり、運動不足の人が多い。
理由④:科学の進歩
科学の進歩は医学など様々な分野で確実に私たちの生活を生きやすくしてくれた。助かる命も増えた。一方で不都合な真実も明らかにした。
例えば「遺伝」
昔は「頑張れば報われる。だから努力しよう」と言われてきた。だから頑張った。でも遺伝が人の能力に与える影響の大きさなどが解明されて、努力しても必ずしも望む結果を得られないかもしれないと分かった。それによって努力して頑張る意味を見失ってしまい、不幸に陥ってしまう。
というようなことを挙げていました。
私もつい娘に「今の時代は幸せなんだよ」と説き伏せる時。昔の暮らしと比べて説明してしまいます。
「今はみんなが学べてこんなに豊かだ。幸せなのだと。こんなに食べるものがあって幸せなのだ」・・と。
私自身、「昔の人と比べると今の暮らしは幸せなんだ」と思うことで、自分は幸せなんだと納得させようとした時もあります。
でも、この理屈はあまり意味がないと思いました。
少なくとも継続的な幸せを実感するためには役立たないと思うのです。
今直面している問題に、そんな過去の時代の人たちと比較しても、自分が幸せだと考えられる人はどれくらいいるでしょう。
「そんなこと言っても今辛いんだよ・・」としかなりませんよね・・。
人間は幸せにはなれないのでしょうか・・。
幸せになる人は幸せを感じやすい遺伝子を持った人だけなのでしょうか・・。
私は自分が幸せだと思いながらも、やっぱり辛くて悲しい日もあります。
泣きたくなる日もあります。
今はありませんが、子ども時代は「死にたい」と思っていた時もありました。
(逆に今は、「もうすぐ自分が死んでも後悔しないようにするにはどうしたらいいか」とかんがえるようになりましたが。)
子ども時代の自分に「幸せになる為にこうしたらいいよ」と今の気持ちを伝えて、子どもの私は納得するか分かりませんが
(子どもは全てが自分の意思で思い通りに行動できるわけではありませんからね)
自分なりに幸せな気持ちでいるために貢献できたと思える考え方や行動を書きます。
①SNSをしない
人のきらびやかな生活を見ない、知ろうとしない。
見るのは行きたいお店情報のみ。
②借金をしない&貯金を増やす
借金をしないことと日々貯金が少しずつ増えていくことで、気持ちにゆとりが出来ました。
金銭的に無理そうなこと、怖いと思うは絶対しない。(投機に限らず、住宅費、教育費、生活費等全て)リスクを取らない!(投資などでリスクを)取りすぎない!
(私は奨学金経験者です)
③単純な有酸素運動する
私は最近ジムに通い始め、色々なレッスンを取りました。ピラティス、パレドン、エアロビクス、ジャズダンス、ストレッチなど取ってみました。
その中で運動後に1番、心が晴れ晴れしたのは(私の主観です)
ドゥルルルルルルルル・・・
エアロビクスです!!!
理由はおそらく、
①単純なステップ
②有酸素運動
③明るくリズム感ある音楽
④大きな掛け声(自分は声を出していない)
だと思います。
レッスンが終わった後、つい頬がほころんでしまいました。
エアロビクスの明るい掛け声を聞くだけで気持ちが元気になります。
エアロビクスはステップが単純で、覚えやすい分、ステップを覚えるのに頭を使う必要が少ないです。その分手足の動きを大きくすることができるから、運動効果が高かったのではないかと思いました。
ピラティスは続けるとお腹はすっきりしそうです。呼吸も深くするので、その点は精神衛生上良さそうです。
ですが、腹筋を地味に使います。筋トレのようなものです。有酸素運動とは少し違う気がます。
パレドンは、バレエとフィットネス、ヨガの組み合わせの動きをします。
これはパレドンに限らずダンス全般に言えますが、(バレエ経験者などダンスが得意な人なら違うかもしれませんが、)全く踊りの経験がない人、あと私のように、すぐ振り付けや踊りを覚えることが出来ない人は、ステップや振り付けを覚えることに意識がいってしまいます。
その分、手足を大きく動かせず、運動効果が減ってしまう気がするのです。
振付やステップを覚えるのに意識がいく分だけ、頭が疲労してしまいます。運動に来たのに、なんだか頭を使ったり、気を遣っているような気がしてしまうのです。
簡単なステップ、少し続ければ覚えやすいもの、難しすぎないものが良いと思うのです。
単純な有酸素運動なら、ランニングやトランポリンでもいいと思います。でもエアロビクスは明るい音楽と掛け声、シンプルなステップで動きに変化があります。
段々疲れて動きをやめたくなっても、「音楽がなっているから、ステップの続きがあるから、もう少し頑張ろうかな」と思えたのです。
ランニングならきっとすぐに私はやめて歩き始めてしまうでしょう。
という訳で運動の中でも特におすすめはエアロビクス。
大学生の時、授業でエアロビクスを友人と一緒にしていた時、とても楽しかった(*'ω'*)
エアロビクスの後、ジムから自宅への帰り道、いつもの狭くてこちゃこちゃした、いつも自転車にぶつからないように気を配らなくてはならないような危なっかしい狭くて、植木もなく綺麗でもない、普段なら絶対に意識しない道なりを歩いて帰った時
私は確かに幸せだった。
こうしてここを歩いていることに幸せを感じた。
「運動するとこんなに幸せになれるのか」と感じた。胸がすっとする感覚。風の気持ちよさを感じ、空を美しく感じた。
きっと数時間後か夜には、また色々何か出てきて、私の幸せ一杯な気持ちはかき消されるかもしれない。
でも、また次回運動するだけで、きっとまた気持ちをリセットできる。
無理やりでも体を鞭打って?、自分を強制的に運動させるのは、ある意味幸福を感じられる人であるためには必須かもしれない。
メンタル状況が良くなって、幸せ度がアップして、ついでに体力も筋肉も増えたら一石何鳥になるだろうか。
④栄養(特にタンパク質、ビタミン、ミネラル)を取る
3食の食事と、不足しがちな栄養素はサプリでも補って、栄養不足ではない状況にしておきたい。
⑤生涯の生きがい、趣味を持つ(将来の夢とか展望ではなく今できること)
私はピアノとブログ、そして語学学習
⑥シンプルライフ(エコライフ)
・物は少なくする。
・生活費を上げないように常に大まかな支出を把握する。時には支出を減らす努力をする。
・好きなことにはお金を使う。
⑦歴史を知る(本でも漫画でも映画でも何でも娯楽書でいい)
昔の人と比べる時、歴史の本や漫画に出たあの人は、知らないどこかの国の昔の人のではなく、自分の祖先の兄弟や親せきだったのかも・・と考える。
自分の祖先は何とか生き残ったおかげで自分はこうして今生きていると思う。
けれど、自分の祖先の兄弟家族は、親戚は、友人は、恋人は生きられなかったかもしれない。
自分の祖先は、
飢えや病気で苦しんで死んだかもしれない。戦や戦争で命を無残にも奪われたかもしれない。
奴隷だったかもしれない。遠いアフリカから西洋人に連れてこられて、移送船の中、病気と戦い何とか命を持ちこたえた人かもしれない。
新しい土地についてからもひどい扱いを受けてきたかもしれない。
悪い領主にこき使われたいた使用人だったかも。理不尽に扱われて人権も何もなく、ただただ奪われてきた人だったのかも。
それでも自分の祖先は何とか命は助かった人たちだったのかも・・と。
そんな風に想像すると、やっぱり自分の祖先が生きながらえてくれたことに感謝します。
今自分がここで生きていられるから。
私の曽祖父は戦後早くに、若くして病気で亡くなりました。
幼い子を女手一つで育てた曾祖母の苦労は想像できません。でも幼い祖父は生きて、大人になれた。だから父が生まれて、私も生まれた。
夫の祖父は、戦後結核にかかったけれど、その当時できたばかりの結核治療薬のお陰で助かったそうです。
祖父が生きながらえてくれたおかげで夫の父が生まれて、夫も生まれた。
私と出会って娘に出会えた。
命の連鎖が続きました。
ご先祖様が生きながらえたことを思うと、自分の今抱える悩みや問題、欲は取るに足りないものかもしれない・・と俯瞰できます。
それと、
遺伝的な悩みは一生付きまといます。
自分より優秀な人はいくらでもいます。
自分より裕福な人はいくらでもいます。
自分より恵まれた育ちの人も沢山います。
自分より・・と、こんなことを挙げると悲しくて幸せは遠ざかるばかり。
人との比較は、
①過去の自分
②現在の自分
という、どうにもならない生まれ持ったものを嘆き続けることですよね。
頭の中を変えるのは難しいけれど、頭の外から自分の幸せのためにできることはありそうです。
幸せについて本気で考えてみました。
生まれ持って幸せ思考な人は、その才能を思う存分享受して、
そうでない人たちは(私もこちら)、幸せになる訓練が必要なのだと私は思うのです。
「幸せな気持ちでいられる訓練」