きっと会場の誰しもファンになる
この日私は東京2020オリンピック・パラリンピックの閉会式にピアノを演奏された「西川悟平」さんのピアノリサイタルへ行きました。私自身ピアノはとても好きなのですが、正直ピアニストさんには全く詳しくなかったのとスポーツにもあまり関心が向かない為、2020の閉会式も見ていませんでしたし、西川さんのことも存じ上げていませんでした。本当にご縁が合ってこのリサイタルをチケットを偶然手にしてリサイタルへ向かったので、会場でパンフレットを見て初めて存じ上げた方でした。
夜19時から始めったリサイタルは思った以上の長丁場でたっぷり2時間ありましたが、私は西川さんのリサイタルを「聞くエッセイ」のような気持で楽しんでいました。西川さんの半生を振り返り、その時に西川さんに寄り添った曲を演奏していたのです。
曲はどれも本当に素晴らしくピアノの音一つ一つが美しい「粒」を形成しているような、そんな音でした。そして心にしみる音楽でした。西川さんは人生の半分はニューヨークで生活されてきた方ですが、ニューヨークに拠点を移して2年ほどで、病気の為指が5本しか動かなくなってしまったそうです。その時に西川さんに寄り添ってくださった方が、シューベルトの「アヴェ・マリア」なら弾けるのではないかとアドバイスを下さり、リハビリと練習を重ね演奏したと語っておられました。この日のリサイタルでもそんな思い出の「アヴェ・マリア」を演奏してくださいました。後にリハビリが功を奏し、現在は7本指で演奏しているピアニストさんです。
ご本人もおっしゃっていましたが、西川さんの演奏を楽しみにしているお客さんには「お話」を楽しみにしている方も多くいらっしゃるようです。その理由がとてもよく分かりました。西川さんのお話には、「人への興味と愛情」が感じられ、「お人柄の素晴らしい方」だと思わずにはいられません。きっと皆さんお話を聞いたらファンになってしまうでしょう。
亡くなったお母さまが闘病生活されていた間、数カ月に一度ニューヨークからふるさとまで通われていて、お母さまのベッドの横で演奏なさったという曲もとても染み入りました。娘が好きなクラシックの曲も演奏されましたし、私の好きな映画の曲も演奏されたりと、お話と素晴らしい音楽で幸せな時間を過ごすことが出来ました。
西川さんはピアノを始められたのが15歳の頃とおっしゃっていました。30歳を過ぎてから初めてピアノを始めた私から見ればまだまだ若くして始めた方のように思いますが、音楽業界では2~3歳から始められる方も多くいる中で、西川さんはそれなりに感じていたものがあったようです。しかし彼のお話や音楽は、希望と勇気を与えてくれるようなそんなお話や曲ばかりでした。
私は今日のこのリサイタルに偶然居合わせることが出来たそのご縁に手を合わせたいくらいです。最後は涙であふれ出しました。会場中が感動の渦に包まれていました。音楽ってこんなに人を幸せな気持ちにしてくれるんだと改めて思いました。娘もこの日のリサイタルを聞いて「ピアノをもっと弾きたい、もっと難しい曲も弾きたい」と言っていました。まだ小さな娘にも音楽でこんなに響くものがあるのですね。
この日私と娘は午前中、ひどい喧嘩をしたのです。兄弟のいない娘は母親の私と喧嘩になってしまいます。私が大人になりきれていないせいもあるでしょうが、今日はひどいけんかでした。そして本当にひどい一日だと思いました。娘も母親の私もそれぞれ離れて泣きました。
ですがこの日の夜のリサイタルのおかげで私たちはとても幸せな気持ちで布団に入ることができました。少なくとも、大人の私には生きていること、元気でいること、私も娘も夫も元気で一緒にいることにそれだけでも素晴らしい奇跡だと思い出すことが出来たのです。生きていられることすら当たり前じゃない。でも時々そんなことさえ忘れて、小さな欲やら感情やらに溺れてしまうのです。
今日があって本当に良かった。また一つ自分が少しだけ変われるかもしれない。でも時間がたって日常に戻ったらまた繰り返してしまうのかもしれない。でもまた取り戻せるでしょうか、この日の夜のことを。
そして、これからも親子共々ピアノライフを楽しみ一緒に腕を磨いていけたらいいと思いました。先日私のピアノレッスンに同席していた娘は、先生が私に投げかけた質問を代わりに応えてしまうという場面がありました。既に楽譜の知識は自分を圧倒的に超えている娘に驚き、子どもの頃からの教育(ソルフェージュ)を受けることの威力を感じずにはいられない今日この頃なのでした。
でも私も(自分に)負けません。年を取ってからのスタートで、なかなか自分の頭にすっと入り込むまでに時間がかかるのがネックですが、時間がかかってもしぶとくやっていきたいと思うのです。