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「私は病気をやめることにした」(めまい克服の認知行動療法)③

さて、前回の記事では安全行動を取ってしまったが故に、更に状態が悪化してしまったことを書きました。

眠剤や精神安定剤の依存症になった私は薬が手放せない日々を送っていました。
最初に倒れてから半年後、実母に初期の肺腺癌が見つかり、母は手術入院することになりました。本当なら一人娘である私が母の入退院の手続きや準備などしなければならないのですが、私は自分のことで精いっぱいで、何もしてあげられませんでした。

幸い、母の癌は早期発見だったので、大事には至りませんでした。
そして、ある日入院中の母から気になるLINEがきました。

「お母さんの隣のベッドに入院している人の症状があなたの症状と似ている。病院に話を聞きにおいで」

私はすぐに母が入院している病院へ向かいました。
母の隣のベッドにいたのは、数年前に子宮の手術をして以来、めまいや頭痛、耳鳴り、不眠の症状が出るようになったWさんという女性の方でした。
話によると、手術の際の麻酔を打つときに、新人医師が担当していて脊髄を覆う硬膜に穴を開けてしまったとのことでした。
その時には穴が開いてしまったことに気付かず、手術は終わったそうです。
それ以来、上記の症状が出始めて、Wさんは私と同じくいろんな病院を回ったそうです。

Wさんの症状の原因が分かったのはそれから5年後。
硬膜に穴が開いたことにより、脳脊髄液が漏れ出して脳の位置が下がり、上記の症状が出ていたのです。

この病気は硬膜外麻酔の失敗や交通事故の衝撃、出産の際の衝撃などで起こる「脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)」といわれるものです。

過去には、単なるくしゃみや、よく子供が学校でしてしまう椅子を後ろに引いて友達に尻もちをつかせるイタズラでも発症した事例があります。

私はこの時、初めてこの病名を耳にしました。
この病気は知名度が低く、専門医も少ないです。お医者さんですら知らない人もいます。
数年前までは「怠け病」と言われ、治療や検査などは2016年4月までは保険適用にもなっていませんでした。
Wさんもまだ保険適用ではなかった頃に何度か検査と治療を受け、30万~50万ほど自費で払ったそうです。

治療方法は自分の血液を穴が開いている硬膜の部分に注入して蓋をする「ブラッドパッチ(硬膜外自家血注入療法)」という手術を行うのが一般的です。
他には背中に管を通して、生理食塩水を一定の割合で流し続けて髄液を補う生食パッチがありますが、感染症予防の為に二週間以上は出来ません。しかも、生理食塩水を自動的に注入する機械をお風呂の時もトイレの時も就寝中もずっとぶら下げておらねばならず、とても不便です。

WさんはMRIやCTミエロで髄液漏れの場所が確認され、ブラッドパッチを受けましたが、上手く蓋が作られずに再発を繰り返しているとのことでした。
今回の入院で8回目のブラッドパッチを受けるとのことでした。

この病気は髄液が漏れている場所が確認されるのはごくわずかだそうです。
穴が小さすぎたり、複数開いていたりすると、検査では場所が確定できないのです。
しかも発症してから年数が経っていると、脳が髄液の量を減らしてしまい、元の髄液の量に戻すのは難しいのです。
ブラッドパッチをしても、上手く塞がらなかったり、剥がれて再発を繰り返したりします。
発見が早い人は点滴と安静だけで治ることもあります。

私はWさんの話を聞いて、自分ももしかしたらこの病気なのではないかと思いました。
そしてすぐに、髄液漏れの検査を受けました。
しかし、漏れは確認されず、生食パッチを受けることになりました。
生食パッチで症状が軽減すれば、脳脊髄液減少症である可能性が高いという診断基準の意味合いもあるのです。

まだ生後半年の赤ちゃんと離れ、私は生食パッチを受けるために三週間入院しました。
ずっと機械が入ったバッグを持ち歩くのは大変でしたが、生食パッチで私の症状は少し良くなったのです。
症状が軽減したことから、私は「脳脊髄液減少症」という病名がつきました。
やっと病名がついた事がすごく嬉しかったです。これでブラッドパッチを受けたらもしかしたら私のめまいは治るかもしれない。
そしてブラッドパッチも受けました。
漏れている場所が分からないので、注入場所は適当です。そんなイチかバチかの手術を私は2回受けました。

しかし、私のめまいは残念ながら治りませんでした。
一応病名はついたものの、この病気自体が診断が難しいこと、漏れが確認できにくいこともあり、症状から判断されたに過ぎません。

このままこの症状と一生付き合っていくしかないのかと、私は絶望しました。もう治らないかもしれないと思うと、生きるのが本当に辛かったです。

毎日めまいの事ばかり考えていました。不安になると吐き気止めや精神安定剤、めまい止めの薬を手当たり次第飲みました。

めまいがストレスとなり、薬の依存症がストレスとなり、更にめまいが悪化する、そして吐き気を催す、嘔吐恐怖のパニックを起こす、という悪循環でした。

24時間365日ずっとふわふわクラクラ、地面が揺れて視界が揺れて、私は早く死にたいと思うようになりました。

そしてある日、また激しい回転性めまいを起こしてしまいました。
救急車で脳脊髄液減少症のかかりつけ病院へ運ばれました。

しかし、この時のめまいは脳脊髄液減少症のめまいではないと言われました。
おそらくメニエールか良性発作性頭位めまい症だろうとのことでした。
どちらも耳の病気で、ストレスや自律神経の乱れ、ホルモンバランスの乱れなどで発症しやすくなります。

めまいを気にするあまり、新たなめまいの病気を誘発してしまったのです。
薬の飲みすぎも、めまいを誘発していたと思われます。
薬剤性めまいというのもあります。
ちなみに、当時私が飲んでいた薬は以下の通りです。↓
・メリスロン(めまいの薬)
・アデホスコーワ(めまいの薬)
・メチコバール(耳鳴り、めまいなど末梢神経障害の薬)
・半夏厚朴湯(不安神経症、のどのつかえなど漢方薬)
・ソラナックス(精神安定剤)
・プリンペラン(吐き気止め)
・カロナール(頭痛薬)
・マイスリー(睡眠導入剤)
飲みすぎですね…。

次の記事では、認知行動療法に辿り着いた経緯、具体的にどんな事をしていったのかを書きます。

長々と読んでいただきありがとうございます。





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