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居る場所を変えること


最近、スーさんとサクちゃんの著書
過去の握力 未来の浮力 あしたを生きる手引書を読んだので、
休職しながらここ1年ほど考え続けていたこと、とはいってもなんだかんだ言って1年以上悩みに悩んだ時の終着点となっていたこと、と言った方が正しいかもしれないが、
兎にも角にも今の自分の課題とも言えることがこちらの著書で話題となっていたのでnoteを書くことにした。
それは、スーさんがとなりの雑談の中でも繰り返しおっしゃっている居る場所を変えることだ。

この言葉を、自分が仕事で面談したり講義する時に使ったり、プライベートで雑談する時に使う言葉に言い換えると、自分の身を置く環境を選ぶというワードになるのかな?と思っている。

私の人生の中で、大きく自分が環境を選べたのは、
高校受験、大学受験、大学院受験、ゼミ選び、就活だったのではないのかなと思い返す。
事のはじめは、高卒&高校中退の両親に育てられ、教育を受けさせたいが自分たちには指針となるものを示せず、実際に教えることもできない、本人のわたしは学校で出される宿題や授業で指された時にはしっかりと答えたいし真面目に学生生活を送りたいけど、何がなんやら勉強はどうしたら良いのかと思っていた小学生の頃だった。
そんな親と私のニーズが合致し、
また、保育園に預けられた私と違って幼稚園の頃から幼児教育を受けていた妹のママ友経由で塾を紹介されたことでした。
両親も、両祖父母たちも同じ地元で育って、家族みんなが同じ母校だったが、小学校低学年の時点で地元コミュニティに馴染めなかった。クラス替えを何回しても、そこが居場所になることはなかった。
ただ塾に通い始めたおかげで、自分にとってのサードプレイスができた。今思い起こすと、塾の塾長はいまだったら虐待で訴えられるだろうなってレベルにくちも悪いし手も足もでる人だった。
でも、そんな合わない人に囲まれてるんだったら中学受験をして、環境を変えることは得策だと教えてくれた。その時は、金銭的事情や田舎での電車通学から中学受験は断念した。
しかし、高校受験時は自分がどんな人たちに囲まれたいか?どんな生活を送りたいか?と考えて、
・人の噂話よりも自分の勉強の時間を取る人たちの中に身を置きたい
・なるべくなら小中で折り合いの悪い人が進学しない場所が良い
・過去の自分に悪い印象を持っている人と離れたい
・特にいじめてきた人とは絶対違う学校が良い
・ギリギリまで睡眠を取りたい
など、
どちらかというと嫌なことを避けることを条件として、地元の進学重点校になっている県立高校を志望校にし、紆余曲折ありながらも合格をして進学した。
15年経ってもなお、この時の選択は当時の最善かはわからないがベターではあったなと我ながら満足している。
その後の、折に触れての選択と結果には、何度も頭を悩まし、乗り越えなければならない壁もあったが、今になってしまえば自分を形成するために与えられた試練だったのかもしれないと思う。

また、必ずしも自分の望む環境ではないからといって、場所を変えたり文句を言うのではなく、まずはそこでやるべきことをやることが大切で、血肉となり生きる糧にもなると考えていた。
その環境の中で自分が学ばなければいけないことがあるかもしれないし、できることを精一杯行うことやその環境の中で違う視点から見たら自分にとっておきの場所となるかもしれない、と。

今この場所にいるのは、その人と関わることは巡り巡って自分になしかしらの縁があるから、と考えるところがある。これは、家族や周囲のお坊さんや神職の方と話す中で、無意識のうちに自分の思考のクセとなったものだった。

環境は変えられると思いながらも、不本意な居場所となっても何かしら自分は天から試練を与えられているのだ。と。
今ならわかる。縁といえども、良縁悪縁どちらもあるし、縋りつこうとすればするほど絆しとなり、ずるずるといつまでも距離を取ることができなくなる。と。

2019年に就職した、新人で配属された事業所で3年働き、2022年の春に現在は休職している事業所へと異動となり2024年の始めまで働いていた。
はじめの事業所では、これまでの人生の中で会ったことがない、善良な人たちが多い部署だった。仕事ができるできないという指針ではなく、人として信用できる、疑わなくても良い、揚げ足を取られないという人たちに囲まれて仕事をすることは、心理的安全性が確保されてとても働きやすかった。
たまに、自分のマイナスの感情が強すぎると、それらを抑え込まなければと思って、体を蝕む時はあったけれど。
異動してからは、本当に色々あった。(これは休職に至った経緯をまた別で書こうと思ってるので、省略...)

職場について、同僚や元同僚について相談したところ、同じ環境にいることやメンバーを知っていたこともあり、はやく異動希望を出すこと、どうにかハード面は無理でも多少環境を変えれるように部署内で一緒に頑張ろと言ってもらえていたし、実際に行動してくれた。でも、やはり声が大きい人たちの力は強いし、伝統的な組織の中で男性➕役職付きの言葉は大きいし、意地悪だったり怠けだったり負の力はすぐ侵食する。
それらに耐えきれなくなり、友達や家族にも相談をして、休職や退職、転職を勧められたが、なかなか動けなかった。
蕁麻疹や微熱、体の痛みなどの不定愁訴、不眠などがありながら1年半働いたが、とうとう仕事の失敗や部署内のトラブルを押し付けられるような形で、謝罪を要求された日から職場で涙がとまらなくなり、一気に抑うつ気分が3ヶ月ほど続いた。
なぜ不定愁訴などがありながら、環境を変えることができなかったのか?と考えると、

・今よりも年収が減ることが嫌だった
 (奨学金や保険などの支払いはしなければならないことはもちろん、旅行や被服費など物欲がストレスで抑えきれなくなっていた)
・年間休日や有給が取りやすかったこと
・異動して1年しか経ってないのに、また異動したら噂が立つのでは?と思っていた
 (どこまで誰かわからない他人の目を気にしてたんよ)
・エネルギーがなくなりすぎて、転職する元気がなくなってた
・120パーで無理をすることが努力だと勘違いしていた
・パワハラセクハラに負けたくなかった
・どこかで人は皆、善良だと信じていた
・業務について(3年いると業務の1タームが見れる)一度しっかり学びたかった

パッと思いつくだけで、このくらいの踏み切れない理由があったけど、
おそらく大きな要因となるのは、
120パーで無理をすることが努力だと勘違いしていた
・パワハラセクハラに負けたくなかった
・どこかで人は皆、善良だと信じていた

この3つかな?と思う。なので、このことについて内省して捉え直す必要があるかな?と思っている。

あとは、

・今よりも年収が減ることが嫌だったし、
最終的にはエネルギーがなくなりすぎて、
転職する元気がなくなってたので、
精神的にも体力的にもエネルギーを取り戻して、
金銭的にも安心できるように収支を見直しながら、
条件等検討して行こうと思っているところ。


なかなか、居る場所を変えることができなくて、
現状の不満ばかりを羅列したり、
居る場所を変えることができたことをやっかむような気持ちを持ってしまうこともあるけれど、
それも自分がある選択をするまでの1つのプロセスだと思って、ネガティヴな自分、動けない自分も受け入れることができたらいいな。
あとは、居る場所を変えることで、いま自分が居る場所を失うと思ったり、いまここで自分ができていることが全てできなくなってしまうと思いがち。
だから、場所を変えたとしても自分が発揮できるスキルや知識を持っている。以前居た場所がもつ性質のおかげで発揮できたこともあったはずだけど、新しい場所には新しい場所の良さがあるはず。と、
自分ができていないことばかりや失うものばかりに目を向けず、小さくても少なくても確実にできていることや、新しく得れることに目を向けて行こうと思う。
あとは、人は善良であるとは思っていたい。

自分の身を置く環境をどこにするか?をこの1年ずっと考えてきて、具体的には何も決まっていないが、心の中で感じてきたこと、頭の中だけで考えてきたことをジャーナリングしたり、口から言葉にしてみたりしていくことで、どんどん思考がクリアになっていき、心の中に溜まった澱みが軽くなっていってきているので、この過程を大事にしていきたい。

家で寝たりゴロゴロ過ごし、たまに散歩して、犬と暮らして、なんも生産性がないような日々でも、生きること暮らすことを諦めずに生活をしていた自分を愛したい。




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