他人軸で生きる理由は、特に無い
他人軸で生きる理由は、特に無い
私って人は、そう思って生きてきちゃった人。他人軸で生きるって疲れるじゃない?疲れることをするなら、それなりの意味とか理由とか大義みたいなものがいるでしょ?でも私の中には特に意味もなければ、特別な理由も無い。あるっちゃーある。だけどそれほど大事にしなくちゃならないようなものでも無い。無ければ無いに越したことは無いなどと思っている。
そして、私の軸は『竹』と思って生きようとしている。
しなやかで、柔軟で、なのにすっからかんで、加工がしやすくて、たくましく生える。だけど、どこまででも際限なく伸びすぎて、他の誰かの領地を荒らしたり、他の植物をダメにしたりもする。
そういう、厄介さがあっても、良さの方がちょっと上回るみたいな存在。
金属みたいな強さとかには成れないし、厚い壁とかも要らない。かといって、わた毛のように浮遊もできない。それが私がイメージする私の軸。
うちの庭にも竹が生えている。庭に竹があるってのはなかなかに厄介。いつも見張ってないといけない。一度侵入を許すととんでもないことになってしまう竹。
だけどさ、竹を見てるとやっぱり『いいな』なんて思っちゃう。台風が来たってへっちゃらなのよ。雪が降っても大丈夫。切られても青々として、役に立つ。
誰かの為に生きようとなんてしなくったって、使い勝手がいいんだもの、選ばれる。
竹は自信家なわけもなく、特に自己卑下するようなヤツでもない。しなやかなだけ。
しなやかさ
それさえあれば、他人軸で生きる意味は特に無い。が実現可能になる。
嵐のような日も、上手く風を逃しながら、しなやかに。そしてまた何事も無かったように穏やかなそよ風で体を乾かしたい。
他人軸で生きる意味も理由も、やっぱり特に無い
疲れることを延々と繰り返せるだけの体力や気力も無い
だから私はこれでいい
憧れの人のようになりたい。とかも思ったことがにゃい。なんでなれると思うのか不思議。
『○○さんみたいになりたい』って、どうにかしたらなれるかも?って思うわけでしょ?どう頑張っても、どんなに真似ても、結局オリジナルになっちゃうんだから、誰かのようになりたいとはやっぱり思わない。ステキな人を真似てステキなオリジナルになるでいいんじゃないかな。