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読む本のジャンルが偏ってしまうあなたに - ノンフィクション編

こんにちは

本は読むけど、なんだかジャンルが偏りがち。
新しいジャンルの本に挑戦してみたいけど、何から読んでいいのかわからない。

こんな悩みをお持ちの方はいませんか?

このコラムでは、特定ジャンルの本を、一冊ずつ取り上げて紹介していきます。
読書の幅を広げるのに、少しでもお役に立てるよう、情報を共有していきたいと思います。

今回はノンフィクションです。
ノンフィクションといっても、これからご紹介する本は重いテーマではなく、とあるインタヴューに関する本になります。

それは
沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮文庫)

という本です。

この本は、ノンフィクション作家の沢木耕太郎が、歌手の藤圭子に行ったインタヴューの内容についてまとめられたものです。

沢木耕太郎は、紀行小説の『深夜特急』で知っている方も多いかと思います。
藤圭子は、歌手宇多田ヒカルのお母さんと言った方が伝わるかもしれません。

この作品の原型となるインタヴューは、1979年秋ホテルニューオータニのバーで行われます。

その当時、作家沢木耕太郎は31歳、歌手藤圭子は28歳。藤圭子が芸能界の引退を発表してから間もない頃でした。

藤圭子がウオッカトニックを注文し、沢木耕太郎もそれに合わせます。

自分の生い立ちから、歌手としての活動、そして引退に至るまでのことが、沢木耕太郎の質問によって聞き出されていきます。

特に私の印象的に強く残っているのは、冒頭「インタヴューは嫌い?」と沢木耕太郎が聞いた後のやりとり。

「好き、ではないな」

「なぜ?どうして、好きじゃないの?」

「いつでも、同じなんだ、インタヴューって。同じ質問をされるから、同じ答えをするしかないんだけど、同じように心をこめて二度も同じようにしゃべることなんかできないじゃない。あたしはできないんだ。だから、そのうちに、だんだん答えに心が入らなくなってくる。心の入らない言葉をしゃべるのって、あたし、嫌いなんだ」

沢木耕太郎『流星ひとつ』,新潮社,平成二十八年八月発行,十三ページ

話すこと、言葉に対する真摯な姿勢に痺れました。
こんな格好いい回答を、人生で一度でいいからしてみたい。

実はこのインタヴュー、実施された1979年から翌年にかけて沢木の手によって原稿化されるのですが、世間への発表が見送られることになります。

それは、後記にも書いてあることなのですが、原稿を書き上げた沢木に様々な疑問や迷いが生まれたことが理由になります。

私は、私のノンフィクションの「方法」のために、引退する藤圭子を利用しただけではないのか。藤圭子という女性の持っている豊かさを、この方法では描き切れていないのではないか••••••。

沢木耕太郎『流星ひとつ』,新潮社,平成二十八年八月発行,四百ページ


結局この時点では、出版は見送られることとなります。

それから、一度だけ出版の機会があったのですが、それも藤圭子本人に連絡が取れなかったこともあり、断念します。

月日がたち、ニ〇一三年八月二十二日藤圭子は突然この世を去ります。

それをきっかけに、この原稿は他者の後押しもあり、日の目を見ることとなりました。

インタヴューを通し、清冽かつ己の内に情熱を秘めた高潔な魂を私はそこに見ます。

私はこの本に出会えて良かった。
心からそう思います。

皆さんも、一度読んでみてはいかがでしょうか。

ちなみに余談ではありますが、最初一生懸命相手に質問して答えを引き出そうとするも中々上手くいっていない(と個人的には思う)、沢木の姿が少し微笑ましくもあります。
それが段々と話す中で、関係性ができてきて、スムーズなやりとりになっていくところにも注目してみてください。

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