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オレの相棒 第10回(B面)



B面なんていうと、お若い方は、
馴染みがないかと思いますが、
昔、カセットやレコード、LDもですね、
片方聴いたら、裏返してまた別なのを聴く、


みたいな習慣がありました。
前回みたいな補足でもない内容なので、
B面と、タイトルにつけました。


さて、オレの相棒も、第10回。
いよいよ佳境に入って参りました。
おかげさまで、たくさんの方に、
ご覧頂き、大変感謝しております。


本文中に、私が決して、
遠い昔の事だと思わないで下さい。
みたいな事を書きました。
覚えてる方、おられますかね。


10回、11回で書く内容は、
私は、過去の話を書いてるつもりはなく、
過去・現在・未来。
その全てに関わって来ると、思っております。


少し、10回のコメント欄で、
ご紹介したのですが、
現在進行形で、
ハチの物語は、続いております。


まずは、ウクライナのハチ。
こちらを、ご紹介しましょう。


2022年の記事なので、
現在は、より厳しくなっておりますが、
お時間のある時に、ご覧下さい。
各サイト様に、深く感謝します。




(HuffPost様 2022/04/06付  安田聡子記者)


記事紹介として、扱えない記事もありましたので、
第10回コメント欄の方で、残りは、
重複している内容もありますが、ご興味があれば、ぜひ。


ウクライナ北東部・ハルキウという都市にある、
300種以上5000匹の動物たちを飼育します、

「フェルドマン・エコパーク」


という動物園です。
ロシアによる、ウクライナ侵攻で、
大変な、被害を被ったのですが、


給餌をしていた、スタッフ2名が銃撃され死亡。
動物たちも負傷し、死亡していきます。

たくさんの、死傷する人と動物たち。


連日の攻撃を受け、
園内の囲いなども破壊されて、
大型動物の囲いも、もうこれ以上は
もたないという状況でした。


第10回当時の、日本と同じです。
創設者のフェルドマンさんは、
囲いが壊され、ライオンやヒョウ、
トラ、クマなどが、近くの村に逃げて、


人々を襲う事になったら申し訳ない。
という事で、どこかへ移せないかと
色々と検討しますが、ダメでした。


フェルドマンさんは、
苦渋の決断を下さねばなりませんでした。



「私たちに残された唯一の選択肢は、安楽死です。

 言葉にするだけで、想像を絶するほどの痛みを感じますが、

 今最優先すべきは人々の命です」

紹介した記事内より引用


フェルドマンさんは、
Facebookに、投稿した動画内で、
以下のようなコメントを出しました。



「安楽死させるのか、それとも別の場所に移動させられるのか。

 私たちは今日決断します。夜まで時間があります」

紹介した記事内より引用


これを出したところ、
1日も経たないうちに、
ウクライナの内外から、
支援の手が差し伸べられます。


1日が経ち。
フェルドマンさんは、
新しくFacebookに投稿した中に、


「輸送機関はすでに到着しており、
 必要なケージが届いています。

 紛争地域から動物を救い出すのを
 恐れない人たちが来ています」

紹介した記事内より引用



その後、ライオン2頭、ジャガー、ヒョウの、
計4頭を避難させた
と、フェルドマンさんが、
Facebook上で、報告しております。


最悪な結果からは、まず逃れられて良かったですね。
しかし、未だに続いておりますので、
この時よりも、深刻になっていると思いますので、
手放しでは、喜べませんが、
それでも、良かったですよね。


さて、続きまして、
こちらは、第10回のコメント欄に
書かなかったので、
幾つか、まずは記事を紹介しておきます。
各サイト様に、感謝します。


こちらも、深刻です。

ガザのハチを、ご紹介しましょう。





(HuffPost様  2024年01月03日付 ハフポスト日本編集部)




(AFP BBNEWS様  2024/01/04付 
                 発信地ラファ・パレスチナ自治区)




(JIJI.com様  2024/05/18付  時事通信外信部)



ガザ南部にあります、ラファという地域の動物園


イスラエルとの戦闘が開始された後、
絶え間なく続く、イスラエルからの爆撃を逃れた人々を、
避難先として、動物園自体は、戦闘直後に、
閉鎖しておりますが、動物園経営者のジュマさんは、
受け入れております。


動物たちの檻の前で、洗濯物を干したりなど、
そういう光景が、園内に見られます。


人間の方もですが、動物園も、
物資が入ってこないという事で、
医薬品や食料などが、支援物資が、
届いてない状況だそうです。


ジュマさんは、次のように語ります。


「どの動物も、常にお腹を空かしている。」

「餌が無いので、死んでしまった動物もいる」

「ライオンが、子どもを産んだが、
 餌をやれず、死んでしまった。」

「サルや鳥も同じような状況だ。」

引用元(JIJI.com様  2024/05/18付  時事通信外信部)


こちらには、載せてないのですが、
イスラエルとの戦闘が始まる前の、
2019年の記事でも、
動物園が、物資に困っている。


というのを、見ましたので、
前から、色々と不足している
状況だったのでは、
ないかと思います。


全部は、紹介しきれないので、
ご興味のある方は、
各サイト様で、記事をご覧下さい。


ウクライナ、ガザとも終わりの見えない、
ますます、深刻な状況下で、
両地域の、ハチの物語は
進行中です。


でもこれは、
遠い国の事だと、
決して思わないで下さい。


日本が今、たまたまないだけで、
周りを見れば、近い将来、
ハチの物語が、日本でも
繰り返される事に、なる可能性はあります。


まあ、この事は、
私が、書くべき事じゃないので、
その手のが、お得意な方に譲るとして、
先へ、進めたいと思います。


第10回B面では、
舞台となっております、
大東亜戦争の時代。


本編では、
上野動物園及び、
動物園の動物たちに、
焦点が当たっておりますが。


B面では、
それ以外の、
あの当時のおける、
動物たちは、
どうだったのか?


ここにですね、
スポットライトを当ててみたいなと、
思っています。


軽めに、
あまり深くやらずに、
サラっと、やりたいと思っていますので、
よければ、この後もお付き合い下さい。


日本は、資源のない国なのは、
今も昔も変わりません。


戦争が始まれば、
当然、物資面で色々と不足します。


毛・皮・肉
これらの物を、
動物で利用して、
補おうとします。





うさぎ(写真AC様)



うさぎ


うさぎですが、ご家庭で飼われてる方も、
おられるかと、思います。
うさぎから、ご紹介しましょう。


うさぎは、戦争関係なく、
昭和の初め頃から、
家庭や学校で、飼われていました。


簡単に飼育出来て、
成長も、早いという事もあって、
肉は、利用価値があり、
皮は、兵隊さんの防寒具に利用されました。


「みなさん、うさぎを飼いましょう!」
「うさぎは、大切な軍需品」


なんて、政府の情報雑誌に、
何度も、こういった特集が出て、
国を挙げての、飼育を進めてきました。


北朝鮮のドキュメンタリーを観ますと、
家庭で、うさぎを飼育している光景が、
多く見られたので、戦前の日本と、
同じ感じかなと、思います。



続きまして、これ!
何ていう動物か、わかりますか?





わかるかな?





ぼくの事、みんな知ってる?





ヌートリア



ヌートリアって、いいます。
聞いた事ありますか?


海外から、毛皮の増産を目的に
輸入して、育てたのですが、
戦後は、需要がなくなり、
逃げ出した物が、
現在では、特定外来種になっております。



今回は、細かく紹介しませんが、
牛・馬・豚・羊・鯨も、
毛皮や皮革として、利用されます。


戦争が始まると、
物資が統制されるようになり、
1938年(昭和13年)には、


「皮革使用制限規則」

「皮革配給統制規則」


なんていう物が出され、
毛皮・皮革が、
国の管理する資源
となります。


翌年には、水牛山羊鹿も、
対象となります。


生産・加工業者が戦争に行ったり、
陸軍と海軍で、取り合いしたりなど
色々な悪条件も重なり、


1943年(昭和18年)になると、
以下の、動物たちの毛皮まで、
利用されるようになります。






イタチ





オットセイ





アザラシ






キツネ





リス





ネズミ





駆け足で、紹介して来ましたが、
あえて、ここまで触れず、
最後に、紹介したい動物がいますが、
みなさま、お分かりになりますか?


ひょっとすると、今、
これをご覧になっている、あなたの、
膝の上や、周りにいるかもしれませんね。






犬と猫



我々にとって、最も身近な動物。
ワンちゃん、ネコちゃんですね。


戦争の影響は、
犬や猫にまで、及ぶ事になります。


先ほど、毛皮・皮革で追加された
水牛・山羊・鹿など同じ時期に、
犬の皮も、統制されます。


毛皮というのは、
当時、戦争が始まる前から、
多くを、輸入に頼る状態でしたので、
戦争が始まれば、当然、不足します。


日中戦争の長期化から、
1938年(昭和13年)頃には、
野良猫は、明記が無いので分かりませんが、
野犬は、もう捕まえられて、
毛皮の需要に、あてられてました。


実際には、野犬はその前から
捕獲され、毛皮にされていたと思います。


さて、どこから、
飼い犬・飼い猫が、
ターゲットにされて行くのかと、いいますと、


「節米運動」


というのが、昭和13年頃から始まります。
食料不足から、コメを大事にしましょう。
といった、運動です。


当時というのは、
人間が食べた余り物を、
飼い犬にあげていましたので、


我々の子どもの頃、まあ昭和の頃は、
犬といえば、残ったごはんにみそ汁、

みたいな感じだったので、
世間の風当たりが、当然強くなってまいります。


私も、子どもの頃から、
長年、犬を飼っていましたが、
途中までは、これでしたね。
最初から、ドックフードじゃなかったんですけど、
でも、18年くらい、元気で長生きしましたよ。


余談ですが、ドックフードというのは、
19世紀末に、ロンドンにいたアメリカ人が、
犬用ビスケットを作ったのが、
はじまりといわれております。


日本は、いつからといいますと、
戦後、米軍によって持ち込まれた
という説が、一般的です。


1960年に、日本ペットフードが発売した、
「ビタワン」が、日本で最初の、ドックフード
となり、
そこから、国産ドックフードの歴史が始まります。



(発売当初のパッケージを、ご覧になりたい方は、
  ビタワン様のHPで、ご覧下さい。)



さて、本題に戻りましょう。


畜犬票


というのが、あります。
今でいう、犬の鑑札ですね。


戦前にも、犬の登録がありまして、
犬を飼ったら、5日以内に
住んでる警察署長に、
届け出を出す規則がありました。


今と同じで、どこの誰が
飼育してる犬なのか、
首輪につけて、
わかるようにするという事ですな。


ここから、犬がメインで話を展開
して行きますが、猫は、
鑑札がないという事もあり、
鎖で、つないで飼う犬と違うので、


毛皮の事もありで、
犬の方が、矢面に立つ事が、
多かったのかなと、思います。
鎖でつながれてるのと、


登録してあるので、
逃げられないという事もあり、
そういうのも、あるのかなと思います。


戦争でも、パンデミックでも、
どの時代でも、
ビックリ仰天する発言
を、
する人は、出て来るものです。


1940年(昭和15年)
2月13日、

第75回、帝国議会衆議院予算委員会にて、
かの、2・26事件で処刑された、
北一輝の弟、北昤吉(きた・れいきち)議員が、
こんな発言をします。


「非常時には、統制を強化しなければいけないと言いつつ、

 閣僚たちは実際には何もしていない。


 軍用犬以外の犬猫を、全部殺してしまう。
 そうすれは皮は出る。飼料は、うんと助かります。

 そこまでやらなければ、統制は強化にならぬと思う。
 陸軍大臣のお考えを承りたい!」


畑俊六(はた・しゅんろく)陸軍大臣の答弁


「犬を全部殺して、愛犬家の楽しみを奪ったが、

 良いか悪いかにつきましては、なお折角検討いたしたいと思います」


この仰天発言に、愛犬家で知られた、
荒木陸軍大将という方が、

「了見が狭い!」


帝国軍用犬協会の発行する機関紙の、
座談会で、いさめるなどありまして、
この時は、すぐにどうのは、
なかったのですが・・・


翌年、日米英開戦。
当然、長引けば、
物資面で、更に不足します。


戦時下の人々の心模様も、
当然、変わっていきます。


「犬なんか、飼ってる場合じゃない!」


そんな風潮が、世に出回ります。
色々と、一気に犬にとって深刻になるのが、
1944年(昭和19年)ごろです。


狂犬病の流行


というのが、運悪く広まりして、
大流行してるんじゃないか?
という噂も広まって、
人々の恐怖を、あおります。


狂犬病は、この後、
10年くらい流行しまして、
この昭和19年が大流行で、


全国で733頭、東京だけで520頭
人への感染は、54人と記録されており、
昭和32年に、狂犬病ゼロになるまで、
我が国には、狂犬病がありました。


外国では、まだ狂犬病があるので、
外国に行ったら、むやみに、
犬をさわる事は、控えた方がいいですね。


狂犬病対策として、
色々な施策が、
行政から、打ち出されます。


都内ですと、
敗戦後の、昭和21年3月まで続く、


「畜犬徘徊禁止の令」


畜犬(ちくけん)というのは、
飼い犬の事です。

徘徊(はいかい)は、
目的もなく、うろうろ
するような事です。

こういう命令が、
1944年(昭和19年)
5月に出されます。


これにより、都内では、
犬の徘徊が禁止され、

10月になりますと、
都内から、連れ出す事も、
他県から、入る事も、
全て出来なくなりました。

更に、飼い犬たちの悲劇を
決定づけたのが、
同年、12月15日、


軍需省(ぐんじゅしょう)
といっても馴染みがないと思いますが、

軍需品=軍事用必要な物資
を、増産する事を目的に、
昭和18年に、組織されました。


軍需省科学局長と厚生省衛生局長の連名で、

”飼い犬の毛皮供出”を、求める通牒が出されます。


通牒(つうちょう)とは、
書面(主に公文書)による、
通知、通告の事です。

対象となるのは、


「軍用犬、警察犬、天然記念物指定日本犬、


 登録済みの猟犬 」以外の犬



飼い犬は、それまでは、
放し飼いの犬は、捕獲して供出
という形だったのが、
ここで、変わってくるわけです。

ちょっと説明不足だったかもしれないので、

供出(きょうしゅつ)


普通に使っていますが、
わからない方もいるので、
簡単にいえば、


お国のために、戦争のために、
犬を献上します。
毛皮として、お役に立てて下さい。


という意味です。
毛皮としてと書きましたが、
はっきりした時期は、
わかりませんが、


昭和18年頃には、
出されていたと思いますが、
食糧不足なので、
国の方から、


アザラシの肉・犬の肉を、
食用として、認める。


みたいなのが、出されまして、
犬は、肉としても使われ、
毛皮・肉が、軍に役立たれる

そういう事に、なって行きました。


猫は、どうかというと、
無かったので、
猫の肉を食べるというのは、
我が国は、恐らく馴染みがないので、


猫は、毛皮だけだったのでは、
ないかと、推測します。


犬肉も、日本では馴染みが
ないイメージですが、
縄文時代から、
犬を食用としていた


可能性がある骨が出土したとか、
江戸時代に、食べていた人がいたり、
色々と、犬肉も食べられていたようです。
現在は、禁止されております。


すいません。先ほど、猫の肉は食べないと、
書いたのですが、忘れておりました。
夏目漱石の「吾輩は猫である」に、
貧乏書生が、捕まえて食ったなど、


「おしゃます鍋」なんて、
いわいる猫鍋が、
昭和初期までは、一般的ではなく、
困窮層で、極限状態下であったそうです。


戦争中も、犬だけじゃなく、
調べると、猫の肉も食べていたそうですから、
食用として猫は、認められていませんが、
食糧難で、食べてる人もいたという事です。


猫の肉は、現在では、
食べる事は、法律で禁止されています。
犬の肉は、禁止されてますが、
法律では、禁止されてないのです。


明確な理由は、はっきりせず、
昔の、犬食なごりなのか?
法整備の遅れなのか、
そんな所なんでしょうかね。


これにより、地方では、お墨付きをもらったので、
犬の”献納運動”(供出運動)に、
拍車が、かかります。


東京では、回覧板で、

「お宅も、犬の献納しましょう!」

みたいなのが、
回って来るようになりました。


回覧板が出たので、
この話を、ちょっと、しましょうか。



隣組(となりぐみ)



聞いた事ありますか?
私たちになじみ深い、

「町内会」


の、始まりのようなものですが、
戦争中なので、今とは異なります。


江戸時代に、幕府が作らせた


五人組


というものが、ありまして。
町村で作らせたもので、


近隣5戸を、1組として、
互いに、連帯責任を取らせ、
火災・盗賊・キリシタンの取り締まり、

また、年貢を、きちんと納めるのを確保したり、
相互扶助を、目的に作られた組織です。


連帯責任ですから、互いに監視させて、
怪しい、違反してるのがいたら、
密告させる、狙いも当然あったと思います。


そんな、江戸時代の亡霊が、
突如、戦争中で苦しい状況の、
1940年(昭和15年9月)


内務省からの訓令で、
昭和の世に、蘇ってきます。


昔からの、相互扶助の美風に基づいて、
と、言う事で、


・村→部落会  ・町→町内会

       (この下に)

      ”隣組”


こんな構図の、組織体制を作りました。


・国のねらい

住民を団結させて、「万民翼賛」(ばんみんよくさん)を図る。

国策(政府の政策)を、住民に周知徹底する。

経済統制を、しやすくする。


「万民翼賛」なんて、難しい言葉が出てきましたね。
これは、簡単にいうと、


国民全員が、”ある目的”のために、一致団結する。


という意味です。この時代なら、”戦争”ですな。
少し前、我々の時代なら、新型コロナウィルスといえば、
だいたい、イメージがしやすいかと、思います。


国民サイドからすると、
戦時下で生活するには、かかせない
配給の情報を得たり、必要な組織でした。


隣組は、住んでいる家の役10戸を1組。

10戸というと、わかりにくかもしれませんので、
10戸  =  10世帯  
そう、考えて頂ければ、伝わりやすいかと思います。


5人組と違い、連帯責任は無かったのですが、
その代わり、協力しないと、社会的な圧力や差別されたりなど、
我々の時代も、コロナ渦の時に、
色々とありましたよね。それ以上だと、お考え下さい。


隣組の役割を、ざっと紹介します。


1.情報伝達

国や政府からの、情報を住民に伝える。
徴兵や勤労動員の通知を行う。
防空警報の発令などを迅速に行う。


2.物資の配分

食料や燃料などの、
配給を公平に行い、
資源回収を促進する。


3.防空活動

空襲時の避難誘導や、消火活動を行い、
防空壕の整備や、監視を行う。

4.思想統制

国民の思想を統制し、政府の方針に沿った行動を促す。
反戦的な思想や、行動を持つ者を監視する。

5. 相互監視

組員同士が互いを監視し、不審な人物や行動を報告する。
組の秩序を維持する。


6. 地域社会の維持

地域住民の生活を安定させ、
地域の共同体意識を高める。



箇条書きですが、
こんな感じです。

映画などでみる、
防災のバケツリレーや、竹ヤリの訓練、
この隣組の役割です。


ちょっと、難しくなってきましたか?
でもね、何年か何十年か先に、
また戦争が起きたら、
みなさんの町内会も、
隣組に、またなりますから、
軽く、目を通しておいて下さい。


隣組に、少し時間を割きましたが、
この隣組が、どういったものか、
理解して頂いてから、
犬猫献納運動、犬猫供出運動とも呼ばれる、
この運動の流れ
を、説明したかったので、
多少、隣組の説明を丁寧にしました。


少しまた話は、戻りますが、
そもそも、この運動の始まりは、
強制的なものでは、ありませんでした。


日米英開戦後、説明しましたが、
狂犬病が流行して、大流行してるんじゃないか?と、
噂が広まり、犬を飼っていない人の、
恐怖心に、拍車がかかります。


犬の供出自体は、
国が、狂犬病流行のため、
飼い犬の数を減らそうとしていたので、
供出したら、お金を払って買い取って
いたというのが、あったのですが。


そこに、

「毛皮を、軍に献納してご奉公しよう!」


という運動が、民間から沸き起こってきます。
軍人の家族とか、そういう人も多く関わって
いたと思いますが。

国への忠義を尽くしてるわけですから、
供出に、逆らえない大義名分が加わります。


それに、戦局の悪化もあり、
家族が、出征したりなど、
国民の生活も、苦しくなり、
犬猫への風当たりが、強くなります。


「人間でさえ食えない時に、
 犬猫を、飼っているなんて非国民だ!」


「この非常時に、犬を飼うなんて、
 ぜいたくだ!けしからん!」


こうして、特に犬ですが、
自体を悲劇的にする状況が、
そろいまくった状況なのに、
さらに、国から、少し前に紹介した、


1944年(昭和19年)
12月15日、


軍需省科学局長と厚生省衛生局長の連名で、

”飼い犬の毛皮供出”を、求める通牒が出されます。


これで、犬の献納運動は、
国から、お墨付きを与えられて、
飼い主への、圧力はさらに強まり、


国民、当時は、皇民とか臣民とか、
いってたわけですが、
臣民の義務的な感じになり、
強制色を、強めてまいります。



ちょっと話が、複雑になって
わかりにくい所もありますが、
ようやく、回覧板の所まで
話が戻ってきました。


説明が下手で、申し訳ありません。
ごめんなさいね、一生懸命考えてるんだけど、
やさしく簡単に、伝えられなくて。
わからない所があれば、
コメントで、教えて下さい。


続けますが、


ここで、ようやく長々と説明してきた、

”隣組”

の、出番となってくるわけです。


同調圧力



コロナ渦の時に、散々聞いたり、
体験しましたよね。


ようは、この隣組というのは、
犬猫の献納運動とは、これなんです。


戦争時でも、パンデミックの時でも、
個人の自由なんて、なくなるわけでして、
周りの声や空気に、逆らえない状況になります。


結局、この隣組が、ご近所という事で、
何処の誰が、犬を飼ってる、猫を飼ってるなど、
隣組内で、わかっちゃってるので、
飼ってませんよとか、言えないわけですよね。


回覧板は、繰り返しくる。

「お宅はまだ、犬ないし猫を飼ってるのか?」

「うちは、犬を供出したのに、
   お宅は、まだ飼ってるのか?非国民か?」


隣組のシステムを紹介しましたが、
みんなと違った事なんか出来ないですし、
我を張って、飼い続ければ、
色々な面で、生きていけなくなるし、


同調圧力が、苦しんでる飼い主を、
さらに、追い詰める事になります。


こうやって、戦時下の飼い主たちは、
犬だったり、猫だったり、うさぎだったり、
金属回収と同じように、その皮や肉、
そして命を、お国のため、軍に捧げます。


なかには、逃がしたりして戦後も生き延びた、
という例もありますが、

都市部なんかだと、難しかったと思います。


あと、通牒で出されていた、
対象外になっていた犬ですが、
守られなくて、供出された事も、

多かったそうです。


これが、供出運動のあらましですが、
最後に、悲しくてご覧頂くのが、
心苦しいのですが、
供出時の様子、どんな感じだったのか。


当時の様子を、証言された方のものが、
札幌市のHPに、ありましたので、
わかりやすいなと、思ったので、
札幌市様のHPから、引用させて頂き、
ご紹介したいと思います。


行間と、句読点は、こちらで読みやすいように、
手を加えてあります。



4-3 犬、猫供出献納運動―二人の証言(札幌在住)

【証言a】昭和20年2月頃 興農公社の殺処分のアルバイトをした
 証言者:国民学校高等科を卒業後のこと。

当時15歳の少年。 興農公社の知人から
処分作業のアルバイトに誘われた。

昭和20年の2月か3月頃の冬に4,5人の処理班とともに
岩見沢、滝川、江部乙、 新十津川、
雨竜町のオシラリカ(尾白利加)川を覚えている。

主に農村地帯を馬橇で廻り、5日間程度の日程を旅館で
宿泊しながら11、12カ 所で作業をした。
岩見沢では朝、旅館から出かけて行った。

幅1メートルくらいの小さな川の側で、
兎や猫を連れてきた人が一列に並んだ。

農協の受付係 の人が「兎、犬、猫」と書いて、
1匹50銭か1円の時もあった。

連れてきた人の眼の前で、金槌で殺すんだ。怖がっていたよ。

自分も怖かった。 なるべく苦しまないように眉間を狙うんだ。

滝川では農協の職員が小さな机を置いて、猫や犬を連れてきた人に
一匹当たり1円を支払い、帳面につけていた。女性の事務員も一人い た。


皮を剥ぐとカマスに入れて塩をぶっかけて、
塩漬けにして興農公社に送っていた。
友人の一人は作業が怖くなり、途中で止めて自宅に 帰った。

今でも忘れられない。時々夢を見る。
孫娘から「おじいちゃんは戦争中にそんな悪い事をしていたの」
と言われるのが一番怖くて、家族に は一言も話していない。

「兵隊さんも戦場で戦っているのに、犬もお国のためにならなければ」と
言われていた。戦争の時は惨いことをしたも んだ。

    (場所:札幌市文化資料室。2007年6月 西田秀子聞き取り)

引用元 札幌市様HP「第4章 犬、猫の毛皮供出献納運動の実施と結果」(PDF)より





【証言b】学校の帰り道 犬猫の処分を見ていた、
当時前田村(現・共和町)の、集会所 証言者 加藤光則さん(当時10歳)


当時は国民学校の5年生、学校でも白米弁当は姿を消しました。
季節風に小雪の舞う寒い日でした。

学校の帰り、部落の集会所の空き地 に雪穴が掘られて、
周囲を雪壁でかこってました。

その中から、男の人の声が聞こえてきて、
何だろうと、友達と近寄って穴を覗き込みました。
で、 息を飲んだんですよ。

雪穴の中は、一面が血の色に染まっていて、
雪壁の縁には、犬猫の毛皮と、裸にされた犬猫が山積みになっていました。


「子どもは来るな」と怒鳴られました。

男の人が、口の閉じたカマスを金槌みたいな
斧みたいなもので、数回叩きつけてました。

カマスの口を 空けた途端に、猫が飛び出して雪壁を駆けあがり、
ポプラの木に駆け上った。怖くて身震いしていました。
急いで家に帰り、父親に話すと、

「犬猫の供出だ。戦地の兵隊さんに送るんだ」と。
「農家はネズミ捕るやつ一匹だけ残していいんだ」。

それ以来、供出は忘れられません。

(2007年6月 西田秀子聞き取り)

動物の命奪っておいて、人間だけが幸せになるなんてできやしませんよ。
弾が飛んでくるとこだけが、戦場だと理解したら、とんでもないです。

                       (2015年 談話 )

引用元 札幌市様HP 第4章 犬、猫の毛皮供出献納運動の実施と結果(PDF)より 




もう一つ、同じ札幌市様HPにありました、
神奈川県の例を、ご紹介します。



4-2-3 神奈川県の場合
昭和19年(1944)7~8 月に実施。

獣医師の証言として次がある。

「44年(昭 和19)当時、狂犬病の蔓延に対して多くの獣医師が
 戦争にとられて人手不足となり、防疫対策がとれず、
 軍用犬、警察犬、優良犬以外の畜犬の供出を呼び かけた。

 獣医師、警察署、市町村の協力で、
 7、8月 の2か月間で、1万7000頭の犬を受理し薬殺処分し た。」

(『神奈川県獣医師会の六〇年のあゆみ』1986、
               今川勲『犬 の現代史』1996 所載)

引用元 札幌市様HP 第4章 犬、猫の毛皮供出献納運動の実施と結果(PDF)より




こういう惨劇が、全国各地で、
かつて行われておりました。


だいたい、飼い主が渡してすぐや、
札幌のように、目の前でとか、色々です。
多くを見ると、薬殺より撲殺が、
ほとんどのような気がしました。


井上こみちさんが、書かれた、


「犬の消えた日 (幻冬舎文庫 ) 


この本を読みますと、
だいたい、以下のようだったようです。



渡されると、犬の場合、
(数をかぞえる)立会人の人がいて、


犬に直接手を下す人が、2人。
角材や丸太などで、交代で殴り、
撲殺(ぼくさつ)した後、


短刀などで、毛皮を素早くはぐ係が、2人。


死骸を処理する係が、1人。



犬、猫を殺す側も人間です。
すみに、小さな仏壇があって、
手を合わせていたそうです。


犬猫を供出する側、処理する側も、
どちらも、心を痛めていた事が、わかります。



先に紹介した札幌市で、
統計を見ますと、
昭和21年まであるんですが、
寒い地域だから、戦争が終わっても、
続いていたか、詳細はわかりませんが、



昭和18年からの4年間で、
北海道全体で、


犬:3万頭   猫:4万5千匹



毛皮の数から、これだけの犬や猫が、
供出され、殺処分され毛皮にされたと、
いうことになります。


興味のある方は、先の引用や、最後にURL載せますので、
確かめて頂ければなと、思いますが、
特筆すべきは、



猫に関しては、”昭和19年のみ”


で、この数です。前後がありません。





猫に関しては、これで足りたのか、
詳細は、わかりませんが・・・


色々な証言を見ますと、
手渡した最後の犬や猫の、
断末魔の悲鳴が、
何十年と経っても、
忘れられない
という、


何十年と月日が流れても、
消えないトラウマを、
当時の飼い主たちに、植え付けました。
戦時下の悲しい、悲しい出来事でした。


さて、こうしてたくさんの愛犬・愛猫を、
犠牲にして、収められた毛皮ですが、
戦争が終わった時に、倉庫を調べますと、
多くが、残っていたそうです。


また、肉なども残ったそうですが、
札幌市の場合ですと、
残った毛皮などは、
民間に払い下げられたり、譲渡されてます。


消費された物もありますが、
使われずに残った。
という、証言が多かったです。


なぜ、これだけの犠牲を出してまで、
供出させた毛皮が、残ったのか。

幾つか見たのですが、
使われずに残ったという事ばかり・・


私の疑問は解決されず、
さあ、困ったという事で、
思い出したのは、


みなさんには、最終回で、
参考サイトで、載せようと思ったでの、
お伝えしてないのですが、


オレの相棒で、ハチと軍用犬が、
決闘した回を、覚えておられるでしょうか?


あの回で、参考にさせて頂いたサイト様で、
戦前・戦中・恐らく戦後も、
当時の犬事情に関して、
比類なき考察と、圧倒的な資料で、
他を、凌駕(りょうが)する


紅殻 様


という方が、現在も更新されているブログ


「帝國ノ犬達」


という、本当に素晴らしいブログがあります。
出版のお仕事される方は、この方のブログ、
絶対、書籍にした方がいいと思います!


終わりにも、改めてリンクを貼ってご紹介しますが、
この素晴らしいブログを、思い出して、
調査を続ける事にしました。


深くは書きませんが、
ありました。答えが、


”満州”(まんしゅう)



ここに、答えにつながるヒントがありました。
満州の、犬のほうが、
日本の犬より、毛皮が良質だそうで、

満州から大量に、犬だけじゃないと、
思いますが、満州産の、犬の毛皮が、
国内に入ってきます。


戦争の長期化で、最後には、
国内産をかき集めて、使っていたといいます。
そういった感じで、残ったのではないかと、
推測の一つですが、思います。


戦時下に行われていた、
犬猫供出運動を、ここまで紹介してきましたが、
色々と見て、あくまでも、
私なりの結論ですが、


国のねらいは、


狂犬病に、あったのかなと思います。


もちろん、戦争中ですから、
当時でいえば、臣民の、
気持ちを引き締めて、
統制して戦争に協力させるといった、


そういうのもありますが、
やっぱり、昭和19年の数みると、
狂犬病を、抑え込みたい、
犬を減らしたい、


それが、一番大きいのかなと、
思いますよね。
毛皮が、不足してたのは、
もちろんだろうけど。


今の我々では、考えもつかないほど、
狂犬病というのは、
恐ろしい存在でしたからね。
みなさまは、いかがお考えになりましたか?


長丁場に、お付き合いさせてしまい、
大変、申し訳ありませんでしたが、
ラストに、一つだけ。


「帝國ノ犬達」


であったのですが、
第10回の本編で私が書いた、
「かわいそうなぞう」
などが、間違えていた点を、


ご覧下さった方は、
覚えておられるでしょうか?
実は、この犬の供出にもありまして、
注意してみないと、いけない点があります。


この犬種に関してですが・・・






ジャーマンシェパード・ドッグ



シェパードですね。
ベルジアン・シェパード・ドッグという、
犬種もあるので、ジャーマンと書いたのですが、
一般的には、シェパードといえば、
ジャーマンの方なので、念の為、書いておきました。


犬の供出で、シェパードを
泣く泣く供出して、戦場へ・・・


などありましたら、
これは、創作や脚色なので、
軍が悪い、ヒドい!
とか、誤解なさらないよう注意して下さい。


詳しく知りたい方は、紅殻様が、
書かれているのを、ご覧になって欲しいのですが、


シェパードに関しては、
圧倒的に数が足りなかった
そうで、
私も何かで見たのですが、
ドイツから輸入してたり、してたみたいです。


軍の要望がありまして、
民間で、しっかり育成訓練したのを、
軍ので引き取り、軍用犬として導入する。


こういう利害関係といいますか、
構図が、シェーパードに関しては、
しっかりしているので、
民間で育てても、その先が決まってたそうで、
ですので、ここは注意して下さい。


あと、すいません、もう一つだけ。


犬猫の供出運動、献納運動にですが、
これが、全国的な広がりをみせた影には、

当時のマスコミ


の、影響ありました。
我々も、コロナ渦で、最近ですと選挙など、
彼らが、どういった本質を持ってるのか、
身に染みて、ご存知かと思いますが。


今以上に、影響力を持つ時代です。
いつの時代でも、煽りに煽って、
終われば、知らん顔です。


犬猫の供出運動が、メディアで、
取り上げられたとしても、
当時のマスコミが、加担したとは、
恐らく伝える事は、ないでしょう。


国から、国民から、マスコミまで、
一丸となって、この運動に加担してたのですから。


動物園の猛獣殺処分でも、
人間の戦争でも、彼らは、変わらず、
彼らの役目を果たしたとだけ、伝えておきます。


マスコミに関しては、書くと長くなりますし、
noteでは、専門の方も多いですから、
私の役割でもないので、これくらいにしておきます。


というところで、大変長丁場になりましたが、
オレの相棒、第10回(B面)と題しまして、
戦争中における、動物園の動物以外の、
動物たちに、スポットをあててご紹介しました。


どうでしたか?難しかったですか?
初めて知った方も、多いかなと思います。


およそ80年前、無かった地域もありますが、
ほぼ、みなさんのお住まいの地域で、
実際にあった、戦争中の悲しい出来事でした。


また、悲しいお話で、
ツライ思いをさせてしまい、
申し訳ないと、思いますが・・・


ただね、かわいそう、かわいそうって、
みなさんに、思ってもらうために、
書いてるわけじゃなくて、


人間というのは、過ちを繰り返します。


それが、知りたくない事であっても、


過去の過ちを知る、歴史を知るって大事なんです。


戦争だって、繰り返し終わらないでしょ?
人類の歴史とは、戦争の歴史です。
人類が滅ぶまで、戦争は無くならないのです。



近代でいえば、日本は遠くで起きた
戦争がきっかけで、戦争に突入します。


占領政策などのおかげで、
日本人は、戦争って、
日本が、勝手に始めたと思うように
なっていますが・・・


戦争って、そんな映画やTVドラマの
ような、単純ではありません。
物凄く、複雑なのです。



少しだけ、イメージして下さい。



何年か、何十年か後。
また、何かのきっかけで、
日本が、戦火の舞台に、
また、なってしまいました。


過ちは、繰り返されます。


今回、ご紹介したのとは、
また、違う形で、
犬猫の供出運動が、
行われる事になりました。


あなたが、今、膝の上の乗せている
ネコちゃん。


お部屋の中で、遊んでいるワンちゃん。
もしくは、お外で遊んでいるワンちゃん。


もしかしたら、
これから先、運命の出会いがあって、
未来のあなたの、家族になっている、
ワンちゃんだったり、ネコちゃんだったり。


あなたは、色々と思案しましたが、
結局は、逆らえずに、
多くの飼い主たちと同じように、
ワンちゃん、ネコちゃん、


うざぎちゃんを、抱いてる方もいますね。
何列かに並んでいる、行列の中に、
あなたも、愛する我が子同然のペットを、
抱いて、順番が来るのを待っています。


80年前と違うのは、
痛みも苦しみも与えず、
断末魔の悲鳴をあげる事なく、
一瞬で、その命を奪う装置がある事です。


ワンちゃん、ネコちゃんたちの、
かわいそうな悲鳴を、聞かなくて済むけど、
でも、声も何も聞こえず、
一瞬でお別れというのも、かえって不気味に、
あなたは、感じています。


段々と、あなたの順番が近づいてきます。
あなたは、ふっと思い出します。



「ああ・・そういえば・・・

 昔、note見ていた時に、

 坂本猫馬って、ヘンなおっさんが、

 昔の戦争中で、こうやって、

 犬猫を差し出してる事を、書いてたの読んだなあ。

 あのおっさんの言う事を、真面目に聞いていれば・・・」



などと、あなたは、
私の事を思い出しているうちに、
とうとう、前の人が終わりました。



「〇〇さーん! 〇〇さーん!

 ご協力ありがとうございます。

 

 さあ、どうぞこちらへお渡し下さい。」




役所の係員が、あなたの名前を呼んでいます。
あなたは、やっぱり愛する我が子を、
渡す事は、出来ませんでした。


係員が、何人もやってきて、
あなたと、愛する我が子を、
引き離そうとします。



「イヤ!イヤ!
 離れたくない!連れて行かないで!」



あなたは、必死で抵抗しましたが、
係員たちに抑えられて、
愛する我が子は、装置の中に入れられてしまいました。



「やめて!やめて下さい!

   スイッチを押さないで~~~!」



あなたは、声の限り叫びますが、
係員は、誰も聞いてくれません。


係員の指が、スイッチを押します・・・







”はいっ!

  イメージするのをやめて下さい!”




ごめんなさい。ごめんなさい。
怖い思いをさせてしまいましたね。


今見たのは、あなたの、
たくさんある中の、ほんの一つの未来です。


大丈夫ですよ。
あなたの大切な子は、
ほらっ、元気でいるでしょ?


こんなイヤな未来は、
とてもイヤですよね?


ひろーい、ひろーい、
この世界に、たった一人だけ、
このイヤな未来が、こないように、
出来る方が、いるんです。


えっ?誰だって。


いやだな~・・・ご存知のくせに。




それは・・・




”あなた”です!



この世界は、あなたの世界です。
あなたを、中心に回っています。


私にしたって、他のみなさんにしたって、
ゲームでいう所の、サブキャラクターなんです。


あなたが、この世界で最も重要な主人公なんです。
あんなイヤな未来が、来るかどうかは、
あなた次第で、決まるんですよ。


あなたがこれから、過去の事を学び。
そう、歴史というやつです。
でも、学校で教わるようなのじゃなく、
あなたが住んでる、身近な所の、
過去から、よく知ってみましょう。


そうして、政治とか選挙とか、
そういうものに、感心や興味を持ってください。


お医者さんとかなら、資格があるのに、
素人が、素人を選ぶなんて、
政治の世界って、誠に奇妙ではありますが、


そのうち、頭のいい人が、
このシステムより、もっといい物を
開発してくれる日まで、
我々は、このシステムで我慢するしかないようなので、


そうですね。
品揃えの悪いスーパーだと思って下さい。


品揃えが悪くて、いい商品がないけど、
それでも、あなたの大切な
ワンちゃんや、ネコちゃん、うさぎさんたち、


そんな愛する我が子たちのために、
あなたは、真剣に品定めをして下さい。
ニセモノだったり、不良品だったり、
そんなものばっかりですけど、


あなたが、真剣に品定めをすれば、
まれに、いい商品に出会えます。
あのイヤな未来が来ないために、
あなたは、その商品を持ってレジへGO!


こうやって、あなたの選んだいい商品が、
集まる場所があります。
別の世界の、別のあなたも、
そうやって、商品を選んでいます。


その商品が集まって、
この国の未来を決めています。
だから、ニセモノや、不良品ばかりだと、
あのイヤな未来が現実になります。



これが、選挙というやつです。






なーんてな。(笑)
ちょっと、お説教臭かったかしら?


まあ、坂本猫馬って、
ヘンなおっさんが、
おかしな事いってたなって、
少しだけ、よかったら覚えておいて下さい。


あなたの未来には、
私は、お付き合い出来ません。


私がいなくなった、あなたの世界で、
万が一にも、先、私があなたに見せた、
イヤな未来が見えそうだなって時は、
その時からでも、遅くはないので、


先、いった戯言を、やってみて下さい。
この世界は、あなたを幸せにするために
あなたのためにあります。


戦争なんかで、あなたの幸せな未来が、
決して奪われないように、
あなた自身で、世界を、未来を、
明るくして下さい。



大変、長くなってしまいましたが、
オレの相棒 第10回(B面)
いかがでしたでしょうか?


第11回は、一番悲しいお話になりますが、
年内には、書ければいいなと思っております。


最後に、今回、この作品を書くにあたり、
読んで参考にさせて頂いた本と、
参考にさせて頂いたサイト様を、
感謝の気持ちを込めてご紹介させて終わりにします。


もっと、深く知りたいよって方は、
それぞれの本を読まれたり、
サイト様に、行ってみて下さい。


冒頭で、ご紹介した、ウクライナの動物園。
日本の動物園各地で、募金箱などが、
あるみたいなので、よろしければお願いします。


残念ながら、ガザの動物園募金が、
やっているかは、わからなかったですが、
もし、やっていたら、ご協力お願いします。



それでは、寒くなって来ましたので、
読者のみなさま、お体ご自愛下さい。



最後まで、ご覧いただきまして、
本当に、ありがとうございました。


それでは、


さようなら!







ボクたちのこと、知ってくれてありがとう!






全てのステキな画像  写真AC様  感謝です。





参考にさせて頂いた本と、
参考にさせて頂いたサイト様。
ありがとうございました。













参考にさせて頂いたサイト様。感謝です。



「帝國ノ犬達」様



札幌市様 第4章 犬、猫の毛皮供出献納運動の実施と結果



アジ歴グロッサリー様



歴史人 様



大阪府獣医師会 様



各サイト様、本当にありがとうございました。





誰も待っていない特典資料


いつもの如く、AI画伯に幾つか頼みました。
今回は、GPT画伯のみにお願いしました。
Gemini画伯は、意思疎通が上手くいきませんでしたw





まずは、犬供出です。たらいは?






猫の供出です。それらしい?







犬猫供出運動(こっちみんなw)




以上です。
写真みたいのが、ないので本当の風景が、
わからないのですが、イメージまでに。



大長編なのに、ムダなお付き合いまで
させてしまい、すいません。


では、これでお別れです。
ありがとうございました。


今度こそ、さようなら!




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坂本猫馬
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