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日本の鬼➁ー鬼はどこからきたのか?ー
“目に見えない”はずの鬼が
角や牙など「姿」を手に入れたのはどこからか?という疑問
日本人にとって「鬼」とは、薄暗い部屋の片隅にあるなにものかの気配、定まった形をもたない霊的な存在だということがわかりました。しかし、それならば私たちが「鬼」と聞いて頭に浮かぶ、角や牙をもち、赤や青色の肌をした“あの鬼”はどこから来たのでしょうか?
日本人はどこかで「鬼の可視化(ビジュアル化)」をしたことになります。
本来“目に見えない”はずの鬼が、以下のような“目に見える姿・形”を得たのはどこからでしょうか? そして、どうしてなのでしょうか?
【日本人が考える一般的な鬼の姿】
〇頭部:頭部:縮れ毛の頭髪、1本または2本の牛のような角、1つまたは2つの目。大きな口には鋭い虎のような牙。
〇身長:身の丈8尺(約240cm)以上。
〇肌色:赤・青(黄・緑・黒の五色あるとされる)
〇体格:筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)
〇衣装:虎皮の腰巻のみ
〇持ち物:金棒
1)払うものが、払われるものへ
追儺式の方相氏が「鬼の可視化(ビジュアル化)」の始まり?
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右:『都年中行事画帖』吉田神社追儺 中島荘陽 国際日本文化研究センター所蔵 Wikipedia
先頭を切って疫鬼を追い払った方相氏ですが、肝心の鬼が見えないため後続の人に追われているようにも見えます。現代も吉田神社では追儺式が行われていますが、方相氏の面は「4つ目の鬼」と呼ばれており「方相氏=鬼」となってしまっていることわかります。
鬼を可視化した最も早い例は「追儺式(ついなしき・おにやらい)」における方相氏(ほうそうし)だといわれています。
追儺(ついな)とは、新年(立春)前日におこなわれる中国の厄除け行事「大儺儀(だいなぎ)」が日本の大晦日の宮中行事として取り入れられたもので、現代の節分行事「豆まき」のルーツとなった祭祀です。日本における最古の記録は『続日本紀』の慶雲三(706)年になります。
この行事は、4つの黄金の目と1本角の仮面をつけた「方相氏」が、それに従う侲子(しんし)や儺人(なじん)たちと共に、鬼(疫鬼)を宮中の四方の門より追い払い、そのまま都の外へ外へと追いかけていくものです。追い払うといっても、鬼はもちろん“目に見えぬもの”なので「追い払うフリ」をすることになります。先頭を走る方相氏が「なーやろー(おにやらい)」と見えない鬼へ向かって大声で叫び、率いられる儺人(なじん)たちが桃と葦でできた弓矢を前方へうち放ちます。
方相氏はもともと中国の官職ですが、4つの目と1本角の仮面から人間ではなくいわゆる式神の一種であり、古くは中国神話の獣神であったのではないかといわれています。そのため方相氏は宮中の警備担当である大舎人(おおとねり)から6尺3寸(約190m)もある巨大な人が選ばれ、黒衣と朱の裳というかなり派手な装束を着用しました。熊の毛皮を被っていたこともあったそうです。恐ろしい鬼を追い払うためには、恐ろしい獣神の力を借りなければならないということなのでしょう。しかし追儺式を見学している人々にとっては“見えない鬼”よりも方相氏のほうがよっぽど恐ろしく見えたかもしれません。平安後期には見えない鬼たちに向けられていた弓矢が、方相氏に向かって放たれるようになり、室町時代になると方相氏のポジションははっきりと「鬼」と明記されるようになります。追い払う者が、追い払われる側にまわってしまったというのはなんとも気の毒な話ですが、“目には見えない鬼”はここで方相氏の姿・形を借りることで“可視化(ビジュアル化)”されたのです。
以後、獣の毛皮を身につけ、鉾や金撮棒(かなさいぼう=金棒)(*)をふりまわして走る角をもつ大男が、現在の「節分の鬼」として払われ続けているのです。
*方相氏は南北朝以降になると、「鉾」から「金撮棒(かなさいぼう)=金棒」を持つようになった例もあったようです。
2)『往生要集』で地獄のありさまがビジュアル化!
地獄の獄卒が鬼と同一視される
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地獄草紙は八場面の地獄で構成されていますが「鉄磑処(てつがいしょ)」は四番目にあります。四人の獄卒が罪人たちを大きな鉄の「磑(うす)」でゴリゴリと砕き、バラバラになった体の血を洗い流している場面が描かれています。
「嘘をつくと閻魔(えんま)様に舌を抜かれるぞ」というセリフがありますが、人は死ぬと、閻魔を含む10人の裁判官「十王(じゅうおう)」の裁判を受けて、極楽往生するか、天道(てんどう)・人道(にんどう)・修羅道(しゅらどう)・餓鬼道(がきどう)・畜生道(ちくしょうどう)・地獄道(じごくどう)と6つある世界(六道)のいずれかへ輪廻転生されるか、判決が下されます。
このような死後のシステムや極楽往生するための懇切丁寧なマニュアルを記したのが985(寛和2)年、恵心僧都源信(えしんそうず・げんしん)による『往生要集(おうじょうようしゅう)』です。平安時代末期は武士の台頭とともに治安の乱れも激しく世の不安が増大しつつありました。そんな時代を反映して『往生要集』は貴族や庶民のベストセラーとなり、死後の世界への関心が一気に高まります。『往生要集』はまた「極楽のようす」や「地獄のありさま」を日本で初めて具体的に示した書であり、これをもとに多くの「絵解き」や「絵巻物」が描かれるようになりました。現代でいう小説のマンガ化やアニメ化ですが、なかでも「地獄絵図」は強烈なインパクトを人々に与えます。「地獄絵図」を11歳の頃に見た江戸時代の禅僧、白隠禅師は「どうすれば地獄へ行かなくてすむのだろう」と悩み苦しんだため仏門に入ったのは有名な逸話です。このように「地獄絵」は鎌倉時代以降、長きにわたっての日本の超人気コンテンツになったのですが、そこには罪人を責め立てる獄卒(ごくそつ)という存在が描かれています。獄卒とは、牛頭・馬頭(ごず・めず)とともに地獄道に住まう異形の存在であり、あの世とこの世を行き来する下級役人なのですが、これが鬼と重なり、同一視されるようになるのです。
獄卒の具体的な姿形も、もちろん『往生要集』にバッチリ記されています。
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十八人の獄卒がいて、 その頭は羅刹(らせつ)のごとく、口は夜叉(やしゃ)のようである。六十四の眼があって、鉄丸をほとばしり散らせる。鉤(かぎ)になった牙は上に出て、高さ四由旬(ゆじゅん)(*)である。牙の先から火が流れ出て、阿鼻城(あびじょう)に満ちみちている。頭の上には八つの牛頭があり、一々の牛頭には十八の角があって、一々の角の先から皆猛火を出す。
*由旬(ゆじゅん)は古代インドの度量衡で一由旬≒およそ14.1km。四由旬は57.6km
このように『往生要集』には地獄や獄卒がどのようなものかが具体的に懇切丁寧に示されていたため、絵師や仏師にとっての地獄製作基本マニュアルとなります。『往生要集』が編まれて約200年後に描かれた国宝『北野天神縁起絵巻』(1219年頃)においても『往生要集』で規定されたとおりの地獄のありさまや獄卒の姿が描かれており、こうした多くの「絵解き」や「絵巻物」「仏像」などによって、獄卒や鬼の一定の形(スタイル)がどんどん表されていきます。実際、平安時代と『往生要集』成立以降の時代の「鬼の表現」を比較すると、平安時代の絵巻物では「鬼に取りつかれた人間」という方法でしか表現できなかった鬼が、時代が下ると、赤い肌や青い肌、角や大きな牙ももつ現代の私たちが考える「鬼の姿」に近い姿で表されるようになります。
*鬼と同一視されたのは、獄卒のほか餓鬼道(がきどう)に存在す餓鬼(がき)も同様であるという研究があります。
理不尽な不幸や災いなど見えない不安の
具体的な形にし、抵抗しようとしたのが鬼の可視化
薄暗い部屋の片隅にあるなにものかの気配、突然訪れる病や死、恐ろしいもの、忌むべきものすべてを「鬼」という一文字に詰め込んだ日本人。古代の人々は、自身ではどうすることもできない理不尽な不幸や災いをすべて「鬼の仕業」とし、それになんとか抵抗する術はないだろうかと必死で模索してきました。「追儺式」などのさまざまな呪法や呪術、極楽往生を説く『往生要集』など宗教・哲学は、自身では制御できない不幸や災いに対する人間の智慧、人間の戦い方のひとつのように思えます。
後に医療や薬学などが発展するにつれ、災害や病の科学的な理由が示されるようになり、目には見えない霊的な存在だった鬼はどこかユーモアを感じさせる表情さえもつようになり、時代を経るにつれどんどんキャラクター化されていきます。そして文学や芸術の登場人物として役割を変えていくのです。
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ねずみは“大黒天のおつかい”とされており、ねずみがくわえている柊(ひいらぎ)の葉は、魔除けに効果があると信じられ節分には戸口に添えられていました。この画は「節分・追儺」がモチーフであり、魔除け、厄除けの意味が込められたものだといわれています。
そして最後に残った鬼こそが最も恐ろしい鬼。
人間。人間の心の内に棲む鬼なのでした。
(いつか続きます)
■参考図書
『禅の風』第50号 特集「鬼」曹洞宗宗務庁 (編集) 水曜社
禅の風〈第50号〉鬼 一切衆生と仏道 | 曹洞宗宗務庁 |本 | 通販 | Amazon
『鬼の研究』馬場あき子 ちくま文庫
鬼の研究 (ちくま文庫 は 9-1) | 馬場 あき子 |本 | 通販 | Amazon
『図説 日本妖怪史』(ふくろうの本)香川雅信 河出書房新社
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