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プロが、プロであるのは、プロとしての限界の自覚があるから、かな。
雨の土曜日。ふと思い立ち、メガネを買いに行った。
ステキな店員さんのお陰でいいのが買えました。
まずはフレーム探し。アレコレかけるけど、似合うと思うものがない。
近寄って来た店員さんに、どういうイメージが好きですか?と問われるも、答えに窮する。普段のファッションはどんなですか? これも答えに窮する。
ボクの顔の形がどうの、髪型・色がどうの、だから、これはどうですか? 似合いますよ、と言われるも、似合っているとはどうも思えない。
店員さんいわく、メガネの選び方にはセオリーがある。顔のサイズや形、度数、髪型、髪の色、眉毛の形・位置などなど。色々教えてもらった。知識豊富。当然か。でも、なるほど、その通りだな、と思えました。
販売する側はそういうロジックを作るものですね。似合いますよーという感情的な表明も必要だけど、ロジックで納得感を醸成して判断を後押し。
「あ、でも、こういうのは、ま、あってないようなもので、私の好みもあるし、お客様を見て、ま、直観ですよね。一発目で合格しなければ、ってことはないですから、一緒にアレコレ選びますからね」。
ということで、引き続きアレコレかけては鏡を見る。
で、ふと思った。世の中で、メガネをかけているひとを見て、似合っていない、と自分側は思ったことはない、と。
店内を見まわして、アレコレかけている他のお客さんを見た。本人は首をかしげていたり、苦笑いしているけど、ボク的には普通に似合っていると思う。やっぱり。他人は似合っていると思える。
で、店員さんにふと質問する。
「自分はどれかけても似合わないと思うのに、他のひとは、世の中の見知らぬ人も、職場の人も、似合わないなぁーと思う人っていなくないですか? あの人も普通に似合っていますよね?」と、他のお客様の方を向いて。
すると彼は、「カラーライスみたいですね。カレーライスは、ま、どこで食べてもだいたい美味しいですものね!」なんてユニークな回答。
「ははは、確かに。」
「メガネ屋なので、専門家の私からしたら似合ってないひと、いますよ、と言いたいところなのですが、確かに、ぜんぜん似合っていない、これはありえない、なんてひとはいらっしゃらないですよね。結局、自分だけが気になるのです。
それに、プロだけど、別にプロじゃないんですよ。セオリーは学ぶのですけど、だからなんだってな話でして、それに縛られたらダメですものね。お客様が鏡を見て、好きならいいんです、それで」。
「はは、正直ですね。。。そしたら、ボクのメガネ選びもどれでも良いといえばいい、と言うことだけど、他人の為に買う訳ではないから、やっぱり自分が合っているなと思えないとですね」。
「はい、なので、いっぱい試してください。メガネは洋服と違って試着しやすいファッションアイテムですから」とのこと。
柔軟性があります。素直。ロジカルな回答もできるけど、押し付けない。とても心地良かったです。この後も色々お話しして購入。いいメガネが買えました。
プロだからわかることがあるはず。必ず。プロにならないとわからないこと。でも、プロって言葉に自分の思考が制限され、セオリーから逸脱できず、結果的にプロのチカラが発揮されない、なんてことも多々。
あるいは、自分はプロで、プロならではの判断をしている、と思っているけど、実は単なる個人的な感性に縛られている、に気づいていない。。。
それに、お客様もプロにどう言われても自分の心は納得させられない。自分のこだわりは強固。自分がいいな、好きだなと思えないと。これがわかっていない。
結局、この店員さん、プロなんだな、って回りまわって思ったのでした。プロの自負はしっかりありながらのプロの限界も知っている。
プロはこうでないとなのかな。。。
なんて、大げさかな。とにかく心地良き販売員さんでした。
お読み頂きありがとうございます。
(v9_60)