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悩む選択 v2-70:言いたいことを言えるのは個人のチカラ vs 環境・文化・リーダーがそうさせる

今日の悩み:
A.思ったことを言うか/言えないかは個人のチカラだ。自分に自信があるなら、言えばいい。何かを怖がり・びくびくするなら言わなくていい。

B.素直に思ったことを安心して言える。上司への反論でも、多数決に反することでも。仲間がそうなるのは、環境・文化・リーダーの問題だ。

今日はお墓参り。母と父と祖母と祖父のお墓。紅葉が綺麗でした。お墓参り、いいですね。なんか、人間って死ぬのね、って改めて思え、心が整理されるというか、凜となります。

そして、自分が存在する「奇跡」、先祖が戦争や天災や色んな苦難を乗り越えて、生き抜いてくれたことで存在する自分、を感じられます。両親や先祖/祖先に感謝ですね。

自分が存在する、1人1人が存在する、って本当に「奇跡」ですね。母と父が偶然に出会ったお陰でボクがいます。が、その偶然は地球が生まれてから、人類が生まれてから、めんめんとつながってきたのですものね。

で、お墓参りの後に、とらや工房さんに和菓子とお茶を食べに行ったのです。暖かく、紅葉も部分的にあり、穏やかでした。人気のようで長い列があり、でも、持ち帰りの方々も多く、注文の順番が来たら席はあせらずに、取れる状況でした。

で、ボクが和菓子をむしゃむしゃしていたら、ボクの目の前のテーブルに、お年寄りのご夫婦が。奥様がお座りになって、旦那様が注文の列に戻りました。しばらくして、曲げわっぱのトレーを2つ、自分と奥様の分の和菓子とお茶を乗せて、ちょっと危なげな足取りで持ってきました。こぼさないでね、ひっくりかえさないでね、ってちょっと心配になりながら。無事に座って、2人仲良く食べ始めました。

やさしい旦那様ですね。奥様には、座って待っていてね。ボクが持ってくるからね。という感じです。

で、ボクから見て、そのお年寄りのご夫婦の右奥に若い男性。20代ですね。水が入った2つの紙コップを持って、ひとりで着席。靴を脱ぐと、自分が座った椅子の前の椅子を足で引っ張り自分に近づけ、向かいの椅子の座面に両足を乗せた。

とらや工房さんのステキな雰囲気で、和菓子とお茶を食べているボクの目の前で、靴を脱ぎ、靴下を履いた両足を伸ばして向かいの椅子の座面の上に。なんとも美しい景色。全体の穏やかなステキな総和を、ぶち壊し的な?アメリカ郊外のモールで、ハンバーガーとポテトとコーラを食しているわけではないのです。。。

そして紙コップの水を飲み干し、携帯をスワイプ、スワイプ、スワイプ。

そしたら、同じ20代ぐらいの女性がやって来ました。先の老夫婦の旦那様同様にトレーに和菓子とお茶を持って。彼は伸ばしていた足を畳んで、靴を履くと、女性が座る隙も与えず、「水!」と口走る。すると女性は、その空の紙コップを持って、水を入れに行きました。

で、水が入った紙コップと共に戻ってきて、席につき(やっと席につき?)、2人で食べ始めました。

ボクは自分が「奇跡」のひとだと思います。繰り返していますが、地球に生命が生まれるという「奇跡」中の「奇跡」の中で、ボクが今、存在するなんて、「奇跡」以外の何ものでもありません。一方で、他の方も皆、「奇跡」のひとです。ステキな個性です。ボクだけが「奇跡」な訳、無いです。みんながみんな「奇跡」です。大統領だって、ゴールドメダリストだって、和菓子を作ってくださる方も、老夫婦も、この若者カップルも、みんな「奇跡」のひと。

2人の関係に口出しはしないです。支配的な関係でも、従属の関係でも。それに「現象」だけで判断しないことにしています。背景・理由を考えるくせをつけています。想像力を鍛えています。想像するの好き。なので、例えば、もしかしたら:

例えば:
・今日は、彼の誕生日。なんでも女性が言うことを聞くよごっこをしているのかもしれません。
・ここまでの遠路をずーっと彼が運転してきた。ので、お店に入ってからは彼女が「全部するわ!」って約束だったかもしれません。
・クルマの中で「しりとり」して彼が圧勝。彼女が負けた罰ゲームで、このお茶屋さんでは何でも命令に従いましょう、かもしれません。

いろんな理由がありえますね。可愛らしいことが背景かもしれませんね。

でも、靴を脱いで、足を前の椅子の座面に乗せるのはやめてくれー。想像力が働いて、臭いや水虫やら、変な想像・連想が・・・

でも、意を決して、注意しようと思ったら、彼女がやって来たので、”足問題”はなくなりました。なのでボクが「せっかくのデートを台無しにする」嫌なヤカラにはならずに済みました。タイミングに感謝。

さて、でも、本当に注意できたのだろうか。他人が管理するお茶屋さんで、上下関係の無い客同士で、靴を脱いで足を前の椅子の座面に乗せる行為は注意されるべき行為なのか。ボクの問題で、ボクが見なければ良いだけ。ただそれだけ。それに、ボクは「もぉー、雰囲気台無しだよぉー」と一瞬思ってしまったけど、他のお客様は「はぁー、ステキな靴下ね!」、「長い脚ねー」「別に何も気にならないわよ」かもしれません。

ま、和菓子が美味しく、お茶が美味しく、他に視線を移せば、すてきな雰囲気には変わりません。何があってもコップには半分”も”水が入っているし、そもそもコップがあって、水があることが嬉しいですね。

ふと、自分の会社に話を強制的に発展させます。

ボクの目指す職場は、業務・役割・事業・社員の関係性・職場・組織などに関することであれば、「素直に思ったことを言える関係性」の職場です。安心して何でも言える文化。反論・異論をありがたく受け入れる関係性です。人格の非難・批判ではなく、また、個性の批判ではありません。意見や考え、行動、アイデアに対する意見の出し合いです。

会社のメンバーには、集ってくれたことに感謝し、それぞれの個性に敬意を示し、関心を持ち、多様な考え・意見、クリエイティビティを寛容に受け入れ、鼓舞し合い、協調し合い、希望を持って、みなで高い目標を目指す。

だから、素直な気持ちを、思ったこと、気づいたことを、安心して、どしどし言ってね、そういう環境です。「言わなかったけど、そうなると思っていたのよー」みたいな”後出しじゃんけん”は無しね、ってことです。

で、皆がこうなれるのは、もっぱらにリーダーの責任・役割だと思います。リーダーが、素直で、誠実で、異論・反論をありがたく受け入れる。そして仲間を「奇跡」のひとと認識する。その個性に敬意を示し、集まってくれていることに感謝する。クリエイティブな意見を批判せず受け入れて、仮に未熟な思考であっても、それを受け入れ、自らの思考力で発展させ、統合させる。常に参考になるものです。リーダーが持つべき大切なチカラですね。

つまり「やさしいリーダー」の存在です。

言いたいことを言える、ということは、決して、個人に押しつけるチカラ(スキル・能力・コンピテンシー)ではないと思います。つまり、冒頭のA.はあまり好きじゃないかな。B.派ですね。

安心して何でも言い合える組織は、「成績が優秀」で、且つ、「ミス・失敗も多い」。だって、正直に話すから。隠さないから。ミスを皆で認識しているから、カウントできてしまう。

一方で、安心して何でも言えない組織は、「ミス・失敗は少ない」のに「成績がイマイチ」だって、皆がミス・失敗を隠すから。正直に意見を言わないから、ミスが共有認識されない。だからミス・失敗が少なくなる。なんで上手く行かないのだろう、とモヤモヤ状態。残念ですが、こんな状態では、ジリ貧、泥沼、右肩下がり。

リーダーは裸の王様状態。リーダーがリーダーシップを発揮していない、から、しょうがない。。。「やさしいリーダー」になって、こんな状況は回避したいものです。

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