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自動運転の恐怖と希望。技術に後戻りは無い。希望を想えばイイのかな。

代官山で用事を済まし、帰り道、ちょっとした可愛らしい個展が目に入る。COMiHOさんという方の。ちょっとお邪魔。男性がいなくて、そそくさ、そそくさ。ご自身の手で描いた素敵な作品。画面越しではなく実物を目の前に見る。優しさと可愛らしさ、清潔さと空間の拡がり、明るさと楽しさ。希望。雨あがりでスキップしたくなる、そんな雰囲気。

寒く風もある土曜日でしたが、穏やかな気分に。

が、帰宅途中でクルマ事故に遭遇。こちらは騒がしい。せっかくの穏やかさにさようなら。イライラ。自分でどうにもできないことにイライラしたらダメですね。受け止め、スルーし、クダラナイことで心を悪影響されないこと。そう言い聞かせる。

早く自動運転になるといいのに、そう思う。
が、自動運転は、ある意味、怖い。

例えば:
人が飛び出す。感知する。一瞬で考える、クルマが。間に合わない。
急ブレーキし左右に避けると壁か対向車にぶつかる。エアバッグは飛び出すはずだが、確実に乗客はケガする。乗客は高齢者かも、ハンディキャップの方かも、赤ちゃんかも。飛び出した人にぶつかれば乗客は無傷で済む。両方を助けられない、AIはどうする? あるいは、飛び出したのが要人認定されているVIPと顔認証でAIが感知したら? 海外の方なら? 子供なら? 

AIに判断させる”初期設定”もありえる:
  オプション1: 乗客を常に優先(守るべき席の優先順も決める)
  オプション2: 多数の死を逃れる方法を優先
  オプション3: 若いだろうひとを優先
  オプション4: AIに完全に任せる自然派。とか。。。

こんな初期設定が求められるとして誰が設定するのか。法律で決めるのか。

こんな二律背反、選択したくない。
自動運転、ある意味、怖い。

一方で、自動運転が多くなると、互いに競争する、煽る、イライラする、むかつく、などはなくなる希望もある。乱暴運転する「人」がいたとしても、周囲の多くの自動運転は安全運転を志向し、煽られたらすぐに避ける。「なんだこいつ!負けんぞ」なんて対抗心を燃やす自動運転は無い。多数が穏やかに運転すれば乱暴運転が来ても争いにならない。結果、乱暴運転を志向する「人」はいても穏やか程度で済む。皆が避けるので独り相撲で済むから。

AI・自動運転によって、人間の行動にポジティブな変化を生む。社会的に望ましい方向に。これは希望だ。

技術進歩のスピードは凄まじい。後戻りはない。いつの時代も人間は恐怖を感じたのだろう。馬に代わるクルマが出てきた時は戸惑っただろう。ボクも現代に既について行けていない。SNSを使わない。使いたい気持ちにならない(noteだけ)。既に化石。社会から干されそうで怖い。でも、渋滞ついでに色々考えていると上述のような希望にも行き着いた。

確かに、混雑・待つ・迷うという時間の無駄が現代は少ない。気づかずに技術のお陰でポジティブな感情が維持できている。時間を効率的に建設的なことに使え充実が増えている。そっか、ありがたい話だ。

希望にフォーカスしよう。そう決めた。で、穏やかな気分に戻れた。

さて、近い将来は誰も運転などせず、免許制度もなくなり、田舎の「乗馬倶楽部」の隣に「クルマ運転倶楽部」ができ、「クルマを運転しに行くのが趣味なの!」なんて時代が来るのでしょうね。


職場を良質にするコンセプトv6_47
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