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多様性より優秀な人を優先採用すべきという声。その優秀の判断が差別的では?

最近、株主や取引先からESGの調査が来るようになった。

ESGに、DEIに、CSRに、SDGに….  最近のはやり。最近と言ってももう20年? 国連に主導され、アメリカアカデミアから輸入され、企業が推進すべき「当たり前のこと」だよと。

「当たり前」をビジネスをしていない人達から言われ、官僚的に押し付けられ、ビジネス界が腰をあげる。全くに悔しい話。


でも、しょうがない。

「当たり前」が、これまでのリーダーシップの欠如で、自己利益の追求に固執した経営で、実施されて来なかったのだから。

多くのサラリーマンが「会社なんてこんなもん。しょうがない。会社だから…」と諦め、仮面を被って人生の多くの時間を過ごしてきた歴史。公平性や個性を大事にする受容性など、ある訳なかった。。。


それなのに、まだ、こんな反論がある。
例えば、「多様性」について、よく言われるのが、
「「多様性」と言っても難しいよ、「多様性」を追求するがために、「優秀」なひとや、将来の活躍がとても期待できるひとを劣後させて、職場に少ない性別や多国籍のひとを採用する、なんてありえないでしょ」と。

まるで正論かのように。。。


でも、正論ではない可能性が多いにある。

例えば「この人の方が「優秀」」と思っているあなたの考えの中にもう差別がありえる。使っている判断軸の選択にもうすでに差別が入っている。

男性社会だけに生きて来て、その他の経験がないから、男性以外を適切に評価できない。未知を嫌って、男性を優秀と思いがち。優秀という言葉を使っているけど他方の外見があまり好きじゃないだけかもしれない。今の職場がそもそも男性が有利な制度や風土だから、男性の方が活躍できると思い込んでいる、だけかもしれない。

明らかな偏見、差別が、知らずに、思考を侵食している。。。青い目を持っていたら、「青い目が欲しい」(トニ・モリスン)はならないもの。その気持ち、わからないもの。


だから、ボクはこう思うのです。その「優秀」な男性には申し訳ないけれど、多様性をまずは実現すればいいのだ。「こっちが優秀なのに採用できないなんておかしい」という正論のような誤謬を避けて、まずは多様性実現なのだ。


学校のテストのようなわかりやすい結果があるならまだしも、会社の採用は一つのテストだけで評価するなんてありえない。それに、そんなテストだって常に「正しい」訳ではない。たまたま「バカ」な人が知っている問いばかりだった可能性もあるし、「優秀」な人が体調不良だったかもしれない。例えば、TOEICの点数があるからって外国人とのビジネス交渉でチカラを発揮できるかは別問題。ネイティブや帰国子女でボクより点数が低い仲間はざらにいる。


人間なんて大した差はない、と思えばいいのだ。差を見ようするから、差を感じるだけ。あるいは、例えば、東大卒の方が早稲田卒より偏差値が高い、だから仕事がよりできる、なんて短絡的な間違った「算数」で判断しているだけ。


自分達と「違う」、自分から「遠い」をまず優先すればいいのだ。それにもし自分こそが「優秀」ならば、仮に”非”優秀が仲間になったとしても、成長させたらいいのだから。


「多様性」は難しい!と言う前に、まずは、こう思うべきかなと。
自分は差別主義なんだ。偏見、固定観念、先入観に侵されているんだ。知らず知らずに「近い」「本能的に好き」を選ぶようコントロールされている、と。だから、多様性をまずは重視すればいいんだ、と。

とにかく、自分は偏見の塊と思い、言い訳せずに、多様性や公平性やそんな当たり前をまず重視してみる、これがスタートだと思うのです。


ESGやらDEIやらCSRやら、英語で、アメリカのアカデミアが開発した言葉に踊らされたり、国連から言われなくても、そんなことは当たり前にやること。昔から、ことわざでも、過去の経営者の言葉でも、歴史的偉人の言葉、格言でも、文学作品でも、宗教家や哲学者からも、言われ続けていることなのだから。

でも、できていなかった。利己に、競争に、溺れていた。だから、ビジネスしていない人達、国連やらアカデミアから、官僚主義的に押し付けられている。最近になって。バカにされているとも言える。悔しい話。変わるといいですね。表面だけではなく本質的に変わると。。。


お読み頂きありがとうございます。
(v9_59)


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